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星師  作者: 小糸
20/53

異形たちの噂

 

 

『蒼路、血の匂いがする』

 

 ぽてっと音をたてて窓枠から飛び降りると、花緒は俺の足もとにまとわりついてきた。

 ふんふんとしきりに鼻を動かしながら二本の尾を振り立て、無意識なのだろうが白い毛並みをふくらませている。

 その瞳は針のように細くなっていた。

 ──興奮しているのだ。星師の匂いに。

 

『いい匂い。甘い匂い。怪我したの?』

「……ちょっとな。あんまり嗅ぐな、喰いたくなるぞ」

 

 俺はさりげなく花緒の身体を手で押しのけて、この身体との距離を広げた。

 星師の血肉は魔物達にとって至高の珍味なのだ。

 強い力を宿すだけに喰うとうまい上、魔物達に特殊な力を与えてしまうらしい。

 つまり俺達は魔を祓う存在でありながら、魔を引き寄せてしまう体質なのだ。

 ……不思議だと思う。

 星師に力を与えたのは神々で、それは俺達が神々のために魔物を祓う役目を担ったからだ、と言われている。

 けれど俺達がいくら魔物を祓っても、この命続く限り魔物は湧き続けるだろう。生き物の骸に群がる虫たちのように。

 そう考えると不思議でならないのだ。

 ほんとうに俺達は神々からこの星を得たのだろうか。

 だとしたら何故、星は魔を吸い寄せるのか──と。

 

『蒼路?』

 

 黙々と考えていたら、花緒の声で我に返った。

 はっと白い猫を見下ろす。彼女は眼を蛇のように細くして俺を見上げていた。

 

「あ、悪い。それで、どうしたんだ? わざわざ」

 

 尋ねながらずっと手にしていた鞄をベッドに放り投げた。

 同時にネクタイをはずして、シャツの襟をはだける。

 花緒はそんな俺の一挙一動を興味深そうに眺めながら言った。

 

『うん。蒼路、気がついた? 北山の犬塚の封印が、今朝解かれた』

「──なに?」

 

 俺は花緒の報告に驚くと同時に、はたと気がついたことがあって手を止めた。

 頭に浮かぶのはあの黒妖犬。

 尋常でなく腹をすかしていた彼はこう言っていなかったか。

 

 ──今の我には力がない。ゆえ力が必要なのだ、小僧よ。

 長きにわたる眠りの間に失ってしまった力がな。

 

 “長きにわたる眠り”とは、つまり。

 

「封印のことか」

『え? 蒼路、やっぱり気づいてたの?』

 

 花緒がぱっと顔を上げる。

 俺は小さく頷いた。

 彼女はこの丘の街を守る意識が強い、き妖怪だ。

 街に異変あらば全力をもって解決しようとする。

 今日俺の元へやってきたのも、だから、そのためなのだろう。

 

「ああ。気づいてたっつーか、そいつ、俺のところに来た」

『え! 星持ちの肉、食べようとしたの!? ずるい抜け駆けっ』

「突っ込みどころが違うだろ花緒! ……まぁ、そういうこと。正確には俺の星を狙ったわけじゃないみたいだったけどな」

『あぁ。それも聞いた。星持ちの姫君が、蒼路の傍に現れたって』

 

 訳知り顔に頷く花緒に、俺の心は不穏にざわついた。

 星持ちの姫──深紅。

 元より魔物を吸い寄せる体を持つ俺達星師のなかで、抜きんでて魅惑的な芳香を放つ娘。

 あいつの存在は魔物達の間ではもはや生きた伝説らしい。

 生まれた瞬間から魔物を御身に引き寄せ続け、ゆえに故郷を滅ぼしてしまった、血ぬられた姫君。

 

『本当に、ものすごく美味しそうな匂いがするよね。あの姫君。でも不思議。なんだか力を押さえられている感じもする』

 

 ぱたぱたと尻尾を振ってそう言う花緒に、俺は低い声で答えた。

 

「……封呪をかけられてるんだよ。強すぎる星を持って生まれたから」

『ああ。なるほどね。で、犬塚の鎮守神は、姫様を食べたの? 食べれなかったの?』

 

 妖怪だけに、花緒はぞっとするようなことを無邪気に言う。

 俺はただ首を振って今度こそシャツを脱ぎ棄てた。

 

「喰えるわけねぇだろ。俺がついてるんだから」

『へえ。蒼路は姫君の護衛なの?』

「ちがう」

『じゃあ恋人?』

「……もっと違うっ」

 

 顔がじわじわ紅くなるのを自覚しながら俺は私服に着替えた。

 動きやすいジーンズにポロシャツ。

 夏なのに紺や藍という暗い色合いを選んでしまうのは、この後に控えた展開を何となく予測しているからだろう。

 ──濃色は、闇に紛れる。

 

「それよりも花緒。いまあの犬、どこにいるかわかるか?」

 

 着替え終えると俺は花緒をふり返って言った。

 すると白い猫は実にあっさりと首肯して、再び窓辺に飛び乗った。

 

『わかる。おかげで街中の妖怪たちが大騒ぎしてるの。だから蒼路に頼みに来た』

 

 ……やっぱりな。

 俺は思ったが、口には出さなかった。

 代わりに片手を探るように腹の傷に押し当てて、その治癒状況を確かめる。

 どうやら深紅が治療してくれたらしく大事には至らなかったが、この傷、実を言うとかなり深い。

 ハル先輩が言っていたように、俺が星師でなければ間違いなく死んでいるだろう。

 ──しかし。

 眼を閉じると浮かぶ、いつも厳しい表情をした深紅の顔。

 痩せこけた鎮守神。

 悲しみに暮れるハル先輩と、痛々しいほどに笑うアンナさん。

 俺は右手をきつく握りしめると息を吸った。

 怪我をしていようがいまいが、そんなことは関係ない。

 大事なのは俺に今、やるべきことがあるということなのだから。

 

「よし。んじゃぁ、行くか。ちょっと案内してくれよ、花緒」

 

 ぱんっと両手を打ち合わせて笑うと、花緒は応えるように二本の尾を振り立てた。

 

『わかった』

 

 ***

 

『人間の足は遅い』

 

 ぼやく花緒の背に乗せてもらい、黄昏のそらを駆ける。

 眼下に広がるのは薄闇に包まれて濃い紫色の影のように見える俺の街。

 君見丘、という。

 君にまみえる丘──そんな名前を持つこの街は、元々は山だった土地を開発してつくられた街だ。

 開発元の会社は鉄道会社で、山を切り崩して駅を建設し、そこを中心として街を広げた。

 だから今でもこの街は山を連想させる形状をしている。

 丘のてっぺんから中腹にかけてまではさっき述べた学校や住宅地、病院などの生活施設が密集しており、小奇麗に整頓されているが、そこから下の裾野にあたる地区にはあまり手が及ばなかったようで、今でも昔ながらの緑深い田畑や神社、ゆるやかに流れる小川といったのどかな光景が残されている。

 その本質を物質ではなく気──つまり、心や感情、思念という力のことだ──とする魔物たちは、環境から気をとりいれることのできない都会にはあまり住みたがらず、緑豊かな田舎を好むことが多い。

 まぁ中には悪魔のように、人の悪しき心を好んで都会に跋扈ばっこする魔物達もいるが、今は彼らの事は置いておこう。

 とにもかくにも、花緒が俺を導いているのは、うっそうとした緑に覆われた、山の裾野めがけてだったのだから。

 

「……暑いな」

 

 これほどの高台を飛んでいても、吹き付ける風はほとんどなく、夏の暑気は弱まらない。

 俺は腕で額を軽くぬぐいながら花緒の背にまたがっていた。

 彼女の毛並みはしっとりと細やかなだけに、肌に触れると暑い。

 

『蒼路~、また雑魚が来たよ』

 

 汗を拭っている俺に向けて花緒の声がかけられる。

 俺はまたか、と舌打ちをして眼下の闇の海を見下ろした。

 足もとから広がる藍色の靄のなか、湧き上がるようにして、蟲のような雑魚の魔蟲たちが絶え間なくこちらへと上ってくる。

 星の、星師の血の匂いに誘われているのだ。

 キチキチと嫌な鳴き声をたてて無数に飛んでくる彼らは、大抵は星の力に反応して、俺達に触れることすらできず蒸発してゆくが、中にはそれなりのレベルの魔物も混じっていて、家を出てから何度襲われたかわからない。

 今しも、一匹の鳥妖がするどい嘴を開いて突っ込んで来るところで、毒々しい緑色の羽が闇に妖しく光をはじいた。

 

『蒼路!』

 

 足もとを素早い動きですりぬけたその鷲のような姿の妖怪に、花緒も気が付いて俺に注意を呼び掛けた。

 

「ああ、わかってる」

 

 俺は短く応えると、花緒にまたがる両足に力を込めた。

 振り落とされないように体制を整えると、両手を解放し、宙に魔法円を描いて呪を唱えた。

 

『我、星を以て万魔を調伏すべし』

 

 鳥妖が俺の上空に閃光のように伸びあがり、そのまま急降下を始めた。猛禽類より尚鋭く巨大な嘴がまっすぐに俺の眼玉に狙いを定めている。

 蒼く光る魔法円を両手の中に掲げて俺はやれやれとため息を吐く。

 ほんとうは、術はあんまり得意ではないんだが。

 ……とにかくにも、今は極力体を動かしたくない。

 

「──降魔調伏」

 

 小さな声で呟いた瞬間、手の中から蒼い光があふれ出た。

 鳥妖は悲鳴をあげる間すらもなく、その光に呑みこまれて消滅する。

 おまけに魔蟲まむしたちも、いましも林の合間からわらわらと飛び立とうとしていた別の魔物たちも、皆灰と化して崩れ去った。

 ふぅ、と軽く息をついて俺は呪を解いた。うまく行った。

 

『蒼路、前よりは術、うまくなったね』

 

 何事もなかったかのように飛翔を続けながら花緒が言った。

 俺は首を振ってわずか苦笑する。

 

「まぁな。でも、やっぱ肉弾戦のほうが得意だ」

『今はやめたほうがいいよ。身体を動かして傷が開きでもしたら、もっとたくさんの蟲が寄ってくる』

「わかってる」

 

 短く応えて俺は腹に右手を当てた。

 じわりとした温もりが傷に染みいる。……確かに、しばらくはあまり派手に動けない。

 この血の匂いが呼び寄せる災いは、俺だけでなく俺の大事な者までをも飲み込むだろう。

 

「しばらくは、術を中心に戦うつもりだ。……それより花緒、まだ?」

『もう着く』

 

 答えた花緒の声は明確だった。

 白い毛並みに金色と緑の模様を持つ美しい身体が、ひらりと宙を旋回し、それからふいに下向きになった。下降を始めたのだ。

 だが衝撃はほとんどなく、俺は余裕を持って周囲の景色を確認することができた。左前方に黒くうごめく小川、蛇行するその川に沿って伸びる道、辿った先には──ひどく崩れているものの、あれはおそらく朱の鳥居。

 抑えてはいても隠しきれるものではない妖気が、鳥居の奥のこんもりとした林の中からあふれ出ていた。

 

「神社に隠れているのか……」

 

 俺が呟くと、花緒はうんと首肯した。

 

『今は誰も参拝しない、廃れたお社。忘れられているけれど、ここが元々の彼の家だった。北山の塚は後から人が勝手に作ったものだ』

 

 彼、というのが誰を現しているのかは無論明白だった。

 俺は花緒の言葉に胸を痛めて、崩れ落ちた鳥居を見下ろす。

 忘れられた神、つまり。

 ──俺達が忘れ、見捨てた神。

 

「どうして、人は……」

 

 俺は花緒の毛皮に顔を押し付け、知らず呟いていた。

 風がゆるやかに吹き付けて髪を動かしていく。

 

「……人は、見えなくなってしまったんだろう……」

 

 ここに、確かにあるものを。

 こんなに温かいのに。やわらかいのに。

 彼らは確かに生きていて、人と同じものを見て、同じことを感じる心を持っているのに。

 

『──降りるよ、蒼路』

 

 静かな声で花緒が言って、やがて彼女はふうわりと地上に降り立った。あまりにもなめらかな着地で、そうと言われなければ気付かないほどだった。

 彼女の身体が水平になり、俺はようやく地面に降りる。

 まだ完全に落ちていない日が照らし出す、眼の前の光景。

 そこには、ぼろぼろの鳥居があった。

 太い柱が中ほどからぽっきりと割れ折れて、半分しか形を保てていない。

 うっそうと茂った雑草は周囲の木立と同じほどの高さがあって、かつては参道であったであろうものを完全に覆い隠していた。

 壊れた鳥居、それが、西日を浴びて燃えるような朱色に輝いている。

 

『蒼路』

 

 地に鼻をこすりつけて匂いを嗅いでいた花緒が、顔を上げて俺を見た。俺も頷いた。

 鳥居の方へと数歩足を進め、草むらの中に埋もれてはいたものを取り上げる。

 

「ああ」

 

 それは、千切れた注連縄しめなわだった。

 人の住む現世と神の常世とこよを隔てるもの、つまり結界の役割を果たす縄。

 縄が落ちていた場所の草は、折れてまだ間もない様子だった。

 つまり──つい最近誰かがここに来て、この縄を切ったのだ。

 明確な目的を以て。

 

『呪力で切られてるね。この縄』

「ああ」

 

 花緒の指摘に俺はふたたび頷いた。

 彼女が身体を緊張させているのがわかった。

 美しい毛並みが波打ち、見えざる敵を威嚇するかのように二本の尾が天を向いている。

 俺はしばらく手の中の縄を見つめていたが、やがてそれをぽいと林の中へ放り投げると、歩き出した。

 

 


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