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星師  作者: 小糸
16/53

心配

 

 

『捕えた、捕えたぞ──』

 

 黒い彗星のごとき犬の影が、深紅目がけて突っ込んで行く。

 俺は喉が潰れるかと思った。

 だが自分がそれほど声を上げている事にも、この時は気づかなかった。

 

『捕えたぞ、星持ちの姫──!!』

 

 妖犬の歓喜の声が屋上を取り巻く空気を揺らす。

 俺は物事の全てがスローモーションで進行してゆく錯覚に陥った。

 まんじりともしない深紅、その柔肌にぴたりと狙い定めたしろがねの爪、そして、何よりも凶悪に開かれた紅い口。

 端から泡を吹き、びっしりと隙間なく並んだ牙をむき出しにしたそれが──

 深紅の小さく美しい姿を一呑みに──

 

「犬畜生が」

 

 え?

 俺は眼と耳を疑った。

 

「誰に向って物を言っている?」

 

 深紅が──笑ったのだ。

 紅い唇の端を吊り上げて、艶やかというよりは、残忍に冷たく。

 そして立ち上がった。

 俺よりも早く、妖犬にさえできない速さで。

 驚いたなんてもんじゃない──それはほとんど脅威だった。

 圧倒的な戦闘センスと強さ。

 呪を唱えることすらせずに青藍を召喚し、彼が飛翔した時には既に手の上に新しい術を載せている。

 

「私たちはお前などに構っている暇はないのだ、忌々しい魔物よ!」

 

 青藍が猛々しく吠え、低く角を構えた姿勢で妖犬めがけて突っ込んでゆく。

 俺は肌が鳥肌立つのを感じた。

 彼は──彼も、容赦がない。当たり前だ。

 主人である深紅が魔物を激しく憎悪しているのだから、その召喚獣である青藍に情けなどあろうわけもない。

 

 ──畜生、俺、間違ってた!

 

 俺は舌打ちをした。心配すべきは深紅じゃなかったのだ。

 妖犬だったのだ!

 いま一度星から刀を閃かせる。

 妖犬が鋭く叫び声を上げたのが聞こえる。青藍の角が前脚を裂いたのだ。

 瞬間、わずかに動きが鈍った漆黒の体躯めがけて放たれたは銀の針。

 

 ──あれは交わせねぇ!!

 

 大体、空中戦は俺には不得手だっつーの!

 イライラしながら俺は走り、加速をつけると、強く強く地面を蹴り、妖犬の前に飛び出した。

 視認できるだけの毒針を刀で叩き落とす!

 余りはしょうがないから制服の袖で受ける!

 

『え、ちょ……蒼路――っ!!?』

 

 青藍が驚愕に眼を見開いて、身の動きを留めようとする。

 俺はかすかに笑った。無理だろ。

 だって目の前のこの角には、もう十分に加速と重みが載っている。

 

「受けるぜ。青藍」

 

 両手を広げて俺は見据えた。

 稀なる青い鹿と、その背後に控えた彼の主人を。

 鋭い角の切っ先が腹に到達する寸前で、呆れたように見開かれた深紅の瞳と瞳が合った。

 彼女の唇が開く。

 なにか言っている。叫ぶような大きな口で。

 けど。

 

(──駄目だ、もう、聞こえねぇ……)

 

『小僧……!?』

 

 というわけで、俺は妖犬を庇い、青藍の角に刺された。

 そしてさっき犬から喰らった怪我もあいまって、そのまま意識を手放した。

 ダサいな。

 でも、ちっと無理しすぎたわ。

 鎮守神レベルの妖怪と、深紅が相手じゃ……いくらなんでも分が悪すぎだ。

 

 というわけでゴメン。ちょっと寝る。

 

 *** 

 

 ──……て

 

 泣いている。

 誰かが、とても、悲しんでいる。

 

 ──……どうして

 

 ああ、そういう声、俺ダメなんだよ。

 可哀そうすぎて、聞いていられない。

 なぁ、泣くなよ。何があったか知らないけど。

 

 ──どうして、あたしのせいなのに……! 

 

 おいおい、だから、泣くなってば。

 それだけ苦しんでるならもういいじゃんか。

 何が起きても。

 なにがあっても。

 俺達は何回だって、やり直せるんだから。

 

 ──怖いよ

 

 ……え?

 

 ──怖いよ、蒼路……!

 

 あ。

 何だ。この声、もしかして。

 

「深紅……?」

 

 そこで俺は眠りから醒めた。

 自分で自分の声に起こされたのだ。

 ぼんやりとした思考に現実という外界が割り込んできて覚醒を促す。

 まぶたを開けると、薄暗い天井が見えた。

 それから鼻腔をついた薬品の類の匂い。

 どうやらここは医務室で、俺はベッドに寝かされているらしい。

 訳もなく大きくひとつ息を吸い込んだ。

 そして吐きだしながら首を僅かに横に巡らすと。

 

「……深紅」

 

 なんだか強張った表情の、彼女と。

 

「れ、ハル先輩……?」

 

 そう、先輩が、並んでいた。

 俺は思わず起き上がろうとしたが、その途端内臓を走り抜けた激痛に身体を折った。

 はうっ……痛ぇ、超痛ぇ……!! 

 さすが青藍、深紅のしもべ、とか思いながら身を震わせて痛みに耐えていると、横から呆れたような声がかかった。

 

「馬鹿だなあ。肋骨骨折、内臓損傷、おまけにベラドンナまで盛られちゃって。普通の人間なら死んでるとこだよ。あんまり校内できてれつな怪我をするのはやめてくれないか、面倒至極なことになるから」

「……は、ハル先輩……なんでここに」

 

 俺は涙目になりながら先輩を見やった。

 だって近づくなとか言ってる癖に、向こうからやってくるなんて変じゃないか。

 すると先輩は嫌味たらしく腕を組んでため息を吐いた。

 

「君を見舞にきたわけじゃない。むしろ逆だ。注意しに来たんだよ」

「注意って、何の」

「忘れたのかい? 僕は今学期まで現役の生徒会長。校内の平和を守る義務があるんだ」

「平和っすか……」

「そう。白昼の屋上で堂々と魔物とチャンバラやられてみろよ、校内は大地震だ世界の終わりだって大騒ぎだったんだ。なんとかごまかしたけど」

 

 は。そういえば。

 俺、妖犬に気を取られるばっかりで、学校が授業中だってことぜんぜん考慮してなかった。

 ……でも、それを言うなら昨日の放課後の一件だってかなりやばいと思うんだが。

 俺は思ったが、ハル先輩はそれを指摘する前にはもう身を翻していた。

 

「とにかく、死亡ニュースにならないように戦ってくれよ、誇り高き星師さん」

「い……嫌味!」

 

 俺は痛みとはまた別の意味合いで身体を震わせた。

 ほんとうに、なんてむかつく野郎なんだ!

 が、罵声を吐こうにも身体が痛いし、そもそも先輩はもう行ってしまっていた。諦めるしかない。

 

「……っだよ、相変わらずむかつく奴……」

 

 俺はため息を吐きだすと、改めて横の深紅を見やった。

 

「なあ? 深紅」

 

 深紅は答えなかった。

 それどころか深く俯いて、膝の上で両の手を固く握りしめたまま微動だにもしない。

 俺はいぶかしんだ。

 

「おい、深紅?」

「……鹿」

 

 小さな声が耳朶を打った。

 俺は可能な限り身体を彼女の方に傾けて、耳をそばだてた。

 

「え?」

「……馬鹿って言ったのよ……」

「バカ?」

 

 俺はその言葉を復唱した。

 まさしく青天のへきれきである。

 俺は確かにバカかもしれないが、何故このタイミングでそれを言われるのかわからない。

 小首を傾げて頭を掻いた。

 その瞬間。

 

「──蒼路ッ!」

「はい!?」

 

 怒鳴られた。

 反射的に答えてしまった。

 いつも通り、姿勢まで正して彼女を見つめる。

 

「お前を、ここまで馬鹿だと思ったことはない」

「は、いや、あの?」

「黙って聞け!!」

 

 凄まじい一喝であった。

 ……何でかわからんけど本気で怒ってる。

 俺は従わざるを得なかった。

 わずかな沈黙が流れ、深紅がゆっくりと息を吸い、そして吐いた。

 彼女は言った。

 

「……再会してからのお前を見て気付いた事がある。お前の戦い方の無謀さ。その精神の甘さ。何よりも、己の力量も推し量れない愚かしさよ」

 

 深紅の声は低く、何か感情を押し殺すようにかすれていた。

 この声、さっき聞いたばかりだ、と俺は意識の片隅で考えた。

 夢の中で。とても遠い場所で。

 深紅は、泣きじゃくっていた──。

 

「はっきり言って、今のお前では一人前の星師にはなれぬ」

「……は?」

 

 俺は止められたのに声を上げていた。

 さすがにカチンと来たのだ。

 

「なんでだよ」

 

 眉を吊り上げて問う。

 すると彼女は立ち上がった。

 寝ている俺は彼女に見下ろされる格好になってしまい、再びその存在に威圧感を覚えた。

 深紅は恐ろしく冷たい眼をしていた。

 氷のような怒りを浮かべた瞳で俺を見据えていた。

 

「わからぬか? お前、このような戦い方でこの先、どのようにして生き残って行くつもりなのだ! お前は自己を省みない。そのくせ自分勝手に突っ走って、満身創痍になっておる。……私はな、その態度に腹が立つのじゃ!」

「……はあ?」

 

 わからない。深紅の言いたい事がさっぱりわからなかった。

 はっきりと核心を突いてくれればよいものを、なにを湾曲的な表現ばかり使っているのか。

 俺は思った。

 なので、はっきりとこう言った。

 

「意味わかんねーし。はっきり言えば?」

「──……」

 

 間があった。

 深紅が黙った間だ。

 彼女の、元々白い顔がさらに紙のように白くなり、それから一気に紅潮した。

 深紅はまぶたを一度閉じて、一瞬のちに勢いよく開いた。

 同時に振り上げられた右手が俺の視界の端をよぎった。

 

 ──ばちぃんっ!!

 

 マンガの効果音のように良い音をたてて、彼女のビンタは俺の頬を直撃した。

 瞼の裏に星が炸裂する。

 あまりの衝撃に全身が痛んだ。もちろん傷には相当響いた。

 

「……!!」

 

 どこもかしこも痛くて悶絶する俺を尻目に、深紅はさっさと出て行った。怒鳴りたいが到底できない。さっきと一緒だ。

 なんなんだ。

 何なんだよ、みんなして!

 

『あ~あ、君、幸せもんだねぇ……』

 

 今度こそ涙を流して呻いていると、ふいに今まで無かった気配が登場して、俺は顔を上げた。

 もう誰が来たって驚きゃしねぇぞ。そう思って見てみると。

 

「……何してんのアンナさん」

『やあやあ』

 

 幽霊の彼女が、ベッドの端に腰かけて笑っていた。

 

 

 

 

 

 


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