星師とは
深紅には秘密がある。
俺はそれを知っている。
何故なら、彼女がその秘密を負った瞬間、俺も傍にいたからだ。
***
深紅はババアの屋敷に運んだ。
え? どうやってって、勿論俺がおぶって運んだんだよ。
地上を歩いたんじゃ目立つから、学校の屋上から屋根づたいに飛んで歩いてな。
今回ばかりはドレスコードも門番も無視して突入したが、さすがのババアも邪魔しなかった。
それどころか俺達が来るのをわかっていたようで、俺が玄関を突破した瞬間、召使たちと共に出迎えてくれたもんだ。
「む。」
ババアは深紅を見た瞬間そう唸り、即座に屋敷の奥へと彼女を連れて引っ込んでしまった。
「待てよババア、俺もっ」
追いすがろうとした俺だったが、たちまち召使たちの持った薙刀が道を塞いでしまった。
ぬがー!!
俺は暴れた。
何なんだよ一体!!
「おい、ババアっ!」
「やかましいわ、こんの馬鹿者が! 言った傍から深紅に無茶をさせおって、全く、これだからお前に任せるのは不安だと言ったのじゃ。」
ぎらぎらした眼差しで睨みつけられて俺の心はひやりと冷えた。
薙刀から身を乗り出して、必死に突破しようとする。
が、召使たちはびくともしない。
……ちくしょう、これ絶対ババアの式神だろ!!
「深紅、ヤバいのか!?」
突破は諦めて、仕方なくそう叫ぶ。
ババアはやれやれと息を吐いて首を振った。
「大事はない。だが全く問題がないわけでもない。ちと時間がかかる。お前も怪我を手当てしてやるから、それが終わったら帰るが良い」
「え!? いいよ、俺のことなんて、それより──!」
「駄目だ! 帰るのじゃ。良いな」
で。
ババアは行ってしまい。
俺は召使たちに腕を掴まれ、屋敷の客間へと引きずられて行った。
さっきから放置しておいた左手の傷を手当され、そのまま帰らせられるところだったが、おあいにく。
俺は全力で抵抗して屋敷に居残った。
大体、ババアに聞きたいことも山ほどある。
ここで帰るわけにはいかない
そう思ってまんじりともせずに待っていたのだが──
──やっぱりというか、眠くなってきた……。
気づけば寝ていた。
疲れも少しあったらしく、眼が覚めた時には夜になっていた。
「うおお、マジか!?」
慌ててふすまをすぱんと開き、廊下に飛び出すと、辺りは闇。
濃厚な緑の匂いに風の流れが身い体じゅうに吹き付けてくる。
池の方からぱしゃんと快い水音が立った。
『おや。またいつかの星持ちが来ていますな』
『うむ。先ほど姫様もお帰りになられたようじゃのう』
『おばば様もなにやら忙しそうにしていましたな』
『うむ。姫君の封印がまた強まったと言っておられたのう』
──何だと!?
池の鯉たちが話している内容を聞きとって、俺は飛び上がりそうになった。
慌てて廊下を駈け始める。
今の話が本当だとしたらエライことだ。
姫君とは深紅のことであり、封印とは恐らく封呪を指している──
──六年前、俺の目の前で深紅に施された、あの封呪の法。
それは深紅の力が強まるほど彼女自身を戒めていくという、恐ろしい技だった。
「……なんてことしたんだよ……」
親父、と。
俺は呟いて唇を噛んだ。
薄い皮膚がたちまち破れて血が流れるのを感じたが、憤りは収まらない。
強く握りしめた拳からも血が流れた。
ああそういえば、怪我してたんだっけ。どうでもいいけど。
俺が傷ついて、深紅が楽になるのなら、いくらでも傷ついてやる。
けど実際はそうじゃない。
わかっているから、俺は深紅の傍にいることに決めたんだ。
それなのに──
「──廊下は走るでないわぁあ!!」
「ぎゃーっ! 出たな妖怪!!」
突如視界いっぱいに映ったしわくちゃの顔に、俺は悲鳴を上げて跳び退った。
だがよく見るとそれはババアで、手に何か盆を捧げ持っている。
俺は手にしたくないを下ろした。
「あれ? なんだババアか。何持ってんだ?」
「なんだではないわ、このこわっぱ! 帰れと言ったのに何をしておる!」
「なんだとぅ!?」
「事実であろうが! だあーれーが妖怪じゃ、このばっかもん!!」
侮辱の言葉に怒った俺に、ババアは痛烈なチョップをお見舞いしてくれた。
「痛ってぇー!!」
脳天に火花が散って俺はもんどり打った。
またしても避ける隙すらなかった。
本当にこいつ、妖怪ババアじゃねぇのか。
「ふん。これは罰じゃ、未熟者。」
「罰?」
その言葉が何を指すのかわかって、俺ははっとする。
「そうだ、深紅はっ!?」
ババアに取りすがってそう尋ねた。
彼女にふりかかる災いの全ては俺の罰だ。
俺はそのことをようく知っている。
だから星師になったのだから。
「深紅は大丈夫なのかよ、ババア!?」
「……」
ババアはすぐには答えず、無言で俺を見下ろした。
その視線。
感情の読み取れない瞳に俺の焦りは最高潮に達する。
ババアの着物の裾をつかむとがくがくと揺さぶった。
「おい、答えろよ! 深紅は? 深紅は!!」
「……安心せい。ただの疲労じゃ」
やがてババアはそう言った。
俺は安堵のあまり、一瞬息ができなかった。
ずるずるとババアの足もとに崩れ伏し、ようやっと全身の緊張を解いた。
よかった。
「……良かった……!」
そうしてしばらくじっとしていた。
何を考えることもできなかった。
ただ、深紅が無事であればそれで良かった。
ただ、俺は、彼女に傷ついてほしくない。
彼女を守るためだけに俺はここにいて、だから、俺のせいで彼女が傷を負えば、俺はもう彼女の傍にはいられない。
つまり、深紅を守るという事は。
俺にとって、何より大事な自分の居場所を守ることでもあったのだ。
「来なさい、蒼路。」
「え?」
やがてババアが沈黙を破った。
俺は顔を上げた。
彼女の手にした盆の上には、そういえば薬湯の椀が載せられていることに今更ながら気がつく。
ババアは俺の背後を指差して言った。
「お前の怪我にはもう少し特別な手当てがいる。聞きたいこともあるじゃろう──共に私の部屋に来なさい。」
これは師匠としての彼女の言葉だった。
本当はすぐにでも深紅の元に駆けつけたい俺だったが、こういう時のババアに逆らうのは嫌だった。
なんつーか、非礼だから。
……というわけで一秒だけ迷ったが、それでも俺はすぐに姿勢を正し、床に拳をついて一礼していた。
「承知いたしました。」
「うむ」
ババアは厳かに頷くと、着物の裾をさばいて歩き出した。
***
左手の傷には草花の種子が植え付けられていたらしい。
自分では全く気が付かなかったので、ババアにそう聞かされた時ぞっとした。
植物。そういえば、アンナさんが憑依したあとのハル先輩は、植物の化け物に変化したっけ……。
「どうやらその双子、緑の性質をもつらしいな。深紅もその毒に当てられたようじゃ」
「──やっぱそうか。」
ババアの言葉に、薬湯の盃を傾けながら俺は眉をしかめた。
怒りが一瞬胸中に生まれたが、それは不思議に燃え立つことなく、すうっと静かに消えて行った。
……なんだか俺はひどく落ち着いていた。
行燈の光に照らされた薄暗いババアの部屋。
辺りには甘い香りのする香が焚かれており、くゆる白煙を吸い込む度に、なにか身体が緩んで行くような感覚がする。
恐らくはこれも薬草なのだろう。
鎮静作用のある薬草。
「しかし半星とはいえその男、なかなかの術者のようじゃの。お前、結構な深さまで種を植え付けられておるぞ」
ババアが言った。
こいつはさっきからずっと、俺の左手から種子を取り除く作業に従事している。
先刻麻酔を打たれたので痛みこそないが、自分の手の肉を、棘ぬきのような器具でほじくられるのは見ていて気持ちのいいものではない。
眼を背けた俺は、部屋の天井付近になにかゆらゆらと漂っている影のような「もの」を見つけた。
影縫いだろうか。影の中に潜むだけの、害のない妖怪。
「……でも俺、わっかんねえんだけどさ。アンナさんがもう死んでるってことは、俺達が会って、話して、あまつさえ戦ったあの人は幽霊だったってことだろ? あまりにもはっきりした霊で、俺でさえ全然気が付かなかった。そんなことってあり得るのか?」
俺は尋ねながらアンナさんを思い浮かべる。
にやりとした魔女っぽい笑い方、生命力にはちきれそうだったナイスバディ、何よりも、ハル先輩をを呼んだあの声。
信じられない。
もうこの世に居ない人だとは、とても。
考えているとババアが答えた。
「星の力が作用したのじゃな。彼女が半星であり、お前たちは星師。どちらも普通の人間よりもずっと闇──冥界や異界に近い所にいる者じゃ。星師の中には幽霊を専門にしている奴らもおるくらいじゃて」
「へぇ。初耳だな」
「お前はわたしの元で、典型的な闇祓い専門の教育を受けておるからのう。ま、その分今回の依頼は良い経験になるじゃろう」
「──そうだ。そもそもその依頼だけど」
ババアの言葉に思い出したことがあり、俺は視線を元に戻した。
傷口に薬草の煎じ汁を染み込ませた布があてがわれて、ツンとした独特の香りが鼻を付いた。
「ハル先輩は、護衛を依頼したのは自分じゃなくてアンナさんだって言ってた。ってことは、アンナさんはここに来たのか?」
「来たとも。兄を助けてやってくれと泣きつかれたわい。自分ではどうしようもできないのだと」
「……けどさ、さっきも思ったけど、それっておかしくない?」
俺は言った。
だってそうだろ。
「なんで妹の霊が、実の兄貴に憑りついたりしちゃうわけ? 恨みつらみがあったわけじゃないみたいだし、自分で憑依した上で”兄貴を助けてくれ”って、アンナさん矛盾しまくりだろ。」
「お前の言っていることは最もじゃが、あいにくとな。幽霊にはそういう現世の理は通用せん。彼らは体を持たぬ残留思念のような存在だ。己の意思とは無関係に、自分が引き寄せられた人間に憑率してしまうことは少なくない」
「え、そうなの!?」
俺は心底びっくりして眼を見開いた。
だとしたら霊って、なんて悲しい存在なんだ。
思わずババアを見つめてしまったけれど、ババアは俺の顔を全く見ずに話を続けた。
「そうなのじゃ。アンナの場合は、兄が心配で成仏できず、死してなお霊として兄の傍に添ってしまった。それだけなら良いのだが、まずいことには双子は星を持つ身だった。ゆえに、アンナは非常にパワーを持つ霊となり、遙の方でもそんなアンナと触れあう力を持っていた。そして互いに、離れがたくなったのじゃな。確かにあれだけはっきりとした霊はなかなかおらん。わしでさえ驚いたくらいじゃから、あれの兄はさぞ驚いたであろうよ。驚いて、そして喜び……妹を手放せなくなったのじゃ」
哀れじゃのう、と、ババアの声が何か慈しみを含んだように低く、優しくなった。
俺は少し胸を突かれて黙ってしまった。
確かに。
俺だって藍や母さんが死んでしまって、幽霊として俺の前に現れたら……先輩と同じ事をしないとは言い切れない。
愛しくて、恋しくて。もう二度と傍を離れて欲しくなくて。
でも。
「でも……俺たちは星を持っている」
俺は薬湯を飲みほした。
香ばしく熱い液体が喉から胃に滑り落ちて行く。
ババアは今度は針と糸を持って、俺の傷口を縫い始めた。
「さっきババアがそう言ったみたいにさ、普通の人間よりは死んだ人とか、霊とかに近い場所に居るんだ。そのことを生業にしてる。だから、うまく言えねーけど、そういうことに関して、間違っちゃいけないと思うんだよな。星であろうが、半星であろうが。異能を持ち合わせている以上、この使い方を勘違いしちゃいけねー気がするんだ」
「……フム」
傷口を縫う手を止めて、ババアは俺を見た。
行燈に照らされたその瞳は、今までに見た事のない眼差しをしていた。
俺は何となく気恥かしくて眼を逸らす。
するとババアは言った。
「お前は、誠に甘い奴じゃのう」
「……甘い?」
「情にもろいということじゃ。お前、双子の兄の方に同情しているんじゃろ」
「うっ」
図星を指されて俺は固まった。
な、なんでわかっちまったんだ!?
「良いか、蒼路。」
ババアはふと針を置くと、脇に置いてあったハサミで糸を切った。
今度は包帯を取り上げて傷口に巻き付けてくる。
ずっと天井を泳いでいた影縫いが、ふらふらと行燈に照らされた俺達の影の方に泳いでくるのが見えた。
影縫いは影から影へと渡り歩き、けして一つの場所に棲みつかない。
影から外へはどこにも出られず、なんの力も持たない、ほんとうに儚い存在だ。
「優しいのはお前の良い所じゃ。深紅に対するお前の態度からも、それはようくわかっておる。しかしな、可哀そうという気持ちはただの自己満足で、優しさではない。相手のためにはならないからじゃ」
「……わかるよ。でも」
「聞くのじゃ。ようく考えろ。双子の兄は確かに可哀そうな男じゃ。半星で、愛する妹を亡くして、悲しみと怒りに狂うあまり、その妹に憑り付かれてしまった。しかもその状態を嫌だと思う余裕すらなく、むしろ喜んですらいる。お前達がアンナを退治すれば、彼はもしかしたら立ち直れないかもしれぬ」
「だったら──」
「だが、だからこそ!」
耐えきれずに口をはさんだ俺をババアは眼だけで制した。
その瞳。
いつも通りに厳しいが、どこかに……なんていうか、優しいような、悲しいような色を浮かべた瞳。
この人のこんな眼を、初めて見る気がした。
「だからこそ、じゃ。蒼路。ここでアンナを引きはがしたら彼は立ち直れないかもしれない。だが、このままにしておいてはもっといけないのじゃ。アンナがお前たちにハルの護衛を依頼したのは、彼に生きていて欲しいからなのじゃぞ。兄が助かることはつまり、自分が退治されることだとわかっていて、アンナはお前たちに助けを求めたのだ。彼女が助けてほしいのは自分ではない。兄だけ──遙だけなのじゃ!」
俺は言葉を失った。
やっとわかった。
ババアも胸が痛いのだと。
あの双子を引きはがす事に、アンナさんを退治する事に、胸を痛めているのは俺だけじゃないんだ。
当たり前の事実に言われて初めて気がついた自分が悔しい。
「俺……」
俺は俯きかけて、思いなおした。
まっすぐにババアを見る。
瞳を合わせると、彼女は頷いた。
「お前が言ったことは正しい。蒼路。星を持つ者とはすなわち闇に生きる者である。だが決して、闇に呑まれた者ではないのだ。そのことを遙に教えておやり」
「……星を持って闇を祓い、この世に光を導く者──」
俺は呟いた。
それは幼いころから幾度も繰り返しくりかえし、父に、深紅に、そしてこの師に教えられてきた物語。
「──星導師」
右手を見つめた。
行燈の光に透けて、わずかに赤みを帯びた肌に浮かび上がる五芒の星。
望んで得た星ではない。
俺たちの運命は、俺達が選びうるものではなかった。
けれど。
眼を閉じた。
けれど、俺達は今生きている。
この手で、この足で前へ進み、生きてゆく事ができる。
(星なんて、あっても無くても。本当は多分、どっちだって同じだ)
俺は思った。
でも、それでも俺は星導師なのだ。
「……わかった。」
ババアに向って頷いて見せると、俺の師は、しわくちゃの顔にかすかな笑みを刻んだ。
そして静かに立ち上がった。
「さて、そろそろ深紅に会いに行くか? もう眼を醒ましているはずじゃ」
「お、おう。」
俺も続けて立ちあがり、部屋を後にした。
涼しい夏の夜風が心地よい。
ババアの後について廊下を歩きながら、迷ってはいけない、と己に言い聞かせた。
迷ってはいけない。
俺はたぶん。
ずっと進み続けなければいけない。
──うまく言えないが、星を持って生まれたということはつまり、そういうことなんだろう。