異世界転移
高校からの帰り道だった。
俺の名前は小鳥遊湊。勉強も運動も飛び抜けているわけじゃないし、自分で特別な人間だと思ったこともない。ただ、人と関わるのは好きだった。楽しそうに話している人達を見るとつい混ざりたくなるし、誰かが困っていると放っておけない。友達からはたまに「お前は知らない人にも距離が近い」と言われるが、自覚はない。
その隣を歩いているのが桐生健だ。
中学からの付き合いになる親友で、俺とは正反対の人間だった。俺が人を見るなら、健は理由を見る。何か問題が起きれば「誰が困っているか」より先に「なぜ起きたのか」を考えるし、面倒くさそうな顔をしながらも最後まで付き合ってくれる。
だから目の前が突然真っ白になった時も、俺が何だこれとしか考えられなかった一方で、健は原因を探していたのかもしれない。
もっとも、その時の俺にはそんなことを考える余裕はなかった。
視界を埋め尽くした光は眩しいというより異常だった。事故かと思ったのも最初の一瞬だけで、瞼を閉じても消えない白さに現実感が薄れていく。足元の感覚まで曖昧になり、自分が立っているのかどうかすら分からなくなった頃、ようやく光が弱まり始めた。
嫌な予感がする。
その予感を抱えたまま目を開いた瞬間、俺は思わず周囲を見回していた。
高い天井。
石造りの床。
真っ直ぐ伸びる赤い絨毯。
見たことのない景色だった。
ただ、それ以上に気になったのは人だった。
広い空間の両側には甲冑を着た兵士達が並び、その後ろには豪華な服を着た人達が立っている。映画の撮影と言われても信じそうな光景だったが、そこにいる人達の表情を見た瞬間、その考えは消えた。
誰も演技をしているようには見えない。
本気で驚いている。
そして困惑している。
「……健」
反射的に隣を見る。
そこに見慣れた顔を見つけた瞬間、胸の奥にあった不安が少しだけ軽くなった。
健も周囲を観察していたらしく、俺と目が合うと小さく息を吐いた。
「無事か」
「それはこっちの台詞」
「夢じゃなさそうだな」
「俺もそう思う」
短い会話だった。
それだけなのに落ち着く。
昔からそうだった。健がいると何とかなる気がする。根拠なんてないのに、そう思ってしまう。
改めて周囲へ視線を向ける。
やはり妙だった。
全員が俺達を見ている。
だが歓迎しているわけではない。
敵を見る目でもない。
何かがおかしい。
そんな空気が広間全体に漂っていた。
特に気になったのは、広間の最奥に立つ壮年の男だった。豪華な衣装を纏い、自然と周囲の中心になっている。その姿を見れば王なのだろうと分かる。
だが、その男もまた困ったような顔をしていた。
俺達が現れたことを喜んでいるようには見えない。
むしろ予想外の事態へ巻き込まれた人間の顔だった。
「これは……」
誰かが呟く。
静まり返った空間の中で、その声だけが妙にはっきり聞こえた。
何が起きているのかは分からない。
ただ、少なくともこの人達も状況を理解しているようには見えなかった。
「……なあ湊」
隣で健が小さく声を出した。
「何だ?」
「召喚って感じじゃないな」
「え?」
健は周囲へ視線を向けたまま続ける。
「呼んだ側ならもっと喜ぶだろ」
言われてみればそうだった。
もし俺達を呼んだのだとしたら、もっと歓迎するはずだ。
だが見えるのは困惑ばかり。
「じゃあ何なんだ?」
「知らん」
健は即答した。
「でも原因はある」
その言葉を聞いた時だった。
空気が変わる。
そう感じたのは俺だけじゃなかったらしい。
周囲の人達が一斉に息を呑む。
何が起きたのか分からず視線を動かした瞬間、兵士達が膝をつき始めたことに気付いた。続いて貴族達も頭を下げる。さっきまで俺達を見ていた王までもが深く頭を垂れたことで、何かとんでもない存在が現れたのだと理解する。
だからこそ。
視線を上げた瞬間に見えた姿へ言葉を失った。
人の形をしている。
だが人間には見えない。
白銀の髪。
背中から広がる光の翼。
現実離れした姿を見た瞬間、頭の中に浮かんだ言葉は天使だった。
もちろん本物なんて見たことはない。
それでも、それ以外の呼び方が思いつかなかった。
広間は静まり返っている。
誰も動かない。
誰も喋らない。
その沈黙の中で天使は俺達へ視線を向けた。
まず俺を見る。
次に健を見る。
その視線に敵意は感じない。
ただ確認している。
そんな印象だった。
そして。
ほんの僅かに眉をひそめる。
その表情を見た瞬間、違和感を覚えた。
知っている顔じゃない。
予定通りに進んでいる顔でもない。
何かがおかしいと気付いた人間の顔だった。
「……あいつか」
隣で健が呟く。
「何が?」
「一番事情知ってそうな奴」
確かにそう思う。
だが同時に、全てを知っているようにも見えなかった。
しばらく俺達を見つめていた天使は何も言わない。
何かを確かめるように広間を見渡し、そして光へ溶けるように姿を消した。
「消えた……」
思わず漏れた声は広間の静寂に吸い込まれる。
現れた時も意味が分からなかったが、消える時はもっと意味が分からない。
ざわめきが広がる。
やがて王がゆっくり顔を上げた。
そして真っ直ぐ俺達を見る。
その目にあったのは先ほどまでの困惑だけではなかった。
希望だ。
縋るような色が混じっている。
「まさか……」
震える声が広間に響く。
「天使様の使いなのか……?」
その瞬間、空気が一変した。
「勇者だ!」
「勇者様だ!」
「天使様がお認めになった!」
「魔王を倒せる!」
次々に上がる声に思わず健を見る。
健も同じタイミングでこちらを見ていた。
「なあ」
「何だ」
「今、勇者って聞こえたよな」
「聞こえた」
健は少しだけ考え込み、心底面倒くさそうにため息を吐いた。
「……異世界っぽいな」
否定したかった。
だが天使を見た直後では、その言葉を笑い飛ばすこともできなかった。




