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十五歳、まだ名前を呼べなかった頃 〜メイリーン戦記・ララ編〜  作者: 水戸直樹


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第9話 声を上げた夜

 ――この夜、ララの人生は、確かに裏返った。


◇◇◇


 部屋を訪れた侍女長イザベルは、淡々と告げた。


「着替えて、聖女様の居室へ行きなさい」

「高貴なる方々のお世話よ」


 意味を理解した瞬間、胸の奥が冷え切った。

 指先が、わずかに強ばる。


◇◇◇


 回廊を進むあいだ、イザベルは珍しく口数が多かった。


「あなたも、ようやく役に立つ時が来たということです」

「口答えが多く、責任感に欠ける」

「……正直、あなたほど手のかかる子は珍しい」


 ララは、何も言えなかった。

 唇を噛み、ただ歩調を乱さないようにする。


 東宮との連絡通路に近づいたとき、

 向こうから、明らかに場違いな気配が近づいてくる。


「脇に控えなさい」


 命じられるまま、壁際に下がる。


◇◇◇


「ほう……お前が、ララか」


 刃物のような声が、回廊に響いた。


 黄金の髪。

 宝石のような青い瞳。


 整った容貌の奥に、濁った光を宿す男。


 ミサラサ・ヴェルディオン・アークレイド王太子。


(……顔は綺麗なのに、こわい)


 視線を逸らしたくて、逸らせない。


 イザベルに肘で突かれ、声が跳ねた。


「ラ、ララ・シルヴェリスです……」


「ふん、見た目は悪くないな」


 王太子は口元を歪める。


「来い。使い物になるか、見てやる」


 意味が分かった瞬間、思考が白くなる。

 足の裏が、冷たい。


(そんな……)


「あ、あの……私では……」


「……何?」


 空気が凍りついた。


「逆らうのか?」


「ミサラサ様!」


 イザベルが、慌てて割り込む。


「この娘は取り乱しており――」


「教育がなっていないだけだろう」


 そのとき。


「――監察使が来訪されています」


 伝令の声が、場を切り裂いた。


「……誰だ」


「婚約者様です。本を届けに――」


 一瞬、王太子の顔が歪む。


「……あの女、引きこもりだったはずだ」


 吐き捨て、踵を返した。


 去り際、イザベルにだけ告げる。


「……次は通すな」


◇◇◇


 回廊に、沈黙が落ちた。


 イザベルは、しばらく動かなかった。

 そして、ララを見る。


「……どれだけ、私に恥をかかせれば――」


 その瞬間。


「嫌です」


 ララの声が、はっきりと響いた。


 自分でも驚くほど、まっすぐな声だった。


「……は?」


「もう、嫌です」


 言葉が、止まらなかった。


「最低です。あなたも、あの人も」


「こ、この小娘!」


 言い切った瞬間、イザベルの手が振り上がった。


「――何をしているのです?」


 澄んだ声が、空気を断ち切った。


 本を抱えた女性が、静かに立っている。


 落ち着いた所作。

 騒ぎの中にあっても、息が乱れていない。


「メ、メイリーン様……!」


 イザベルの顔色が変わる。


 ララも噂で聞いていた。


 王太子の婚約者。

 国王直属の監察使。

 そして――禁図書館司書長。


(この方が……メイリーン様……)


「王宮内での暴力は禁じられています」


 穏やかな声。

 だが、その一言で場の力関係が変わった。


「……申し訳、ありません」


「謝る相手が、違いますよ」


 イザベルは、ぎこちなく頭を下げた。


「……悪かったわ」


 ララは、言葉を失った。

 謝罪が向けられたのが、自分だと理解するのに一瞬かかった。


 視線を向けるメイリーン。


「……がんばったわね」


 柔らかい微笑みに、ララの瞳が揺れる。


(なぜ……守ってくださるの……?)


 その心を見透かすように、言葉をつなぐメイリーン。


「よければ、一緒に来ないかしら。禁図書館は、無理なことをさせないわ」


 一拍。


「それにね、甘いお菓子も、あるの」


 少しだけ、茶目っ気のある声色。


 ララの胸が、じんと熱くなる。


 答える前に、イザベルが一歩踏み出す。


「お、王妃殿下の許可なく、侍女を連れ出すことは……」


 声は硬く、焦りが滲んでいた。


 メイリーンは、イザベルを見なかった。

 ララのほうへ、静かに視線を落とす。


「あなたの気持ちを、聞かせてほしいの」


 一瞬の沈黙。


 ララは、小さく息を吸った。


「……私は、行きます」


 それだけ言うと、視線を伏せた。


 メイリーンは何も言わず、ただ頷く。


 二人は並んで、歩き出す。


 背後のイザベルは、足を止めたままだった。


 回廊の先。

 扉の向こう。


 ララは、思う。


 ――ここは、私の居るべき場所じゃ、なかったのかもしれない。


 その小さな身体を、

 メイリーンは何も言わず、導いていた。


挿絵(By みてみん)

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