第4話 禁図書館の主は、動かない
王宮の西。
本宮から石畳の外路へ出て、噴水と緑の庭園を抜けた先に、禁図書館はある。
軍議室より人の気配が薄く、
礼拝堂より、空気が重い。
誰もが名前だけを知っていて、
中を見た者はいない。
――禁図書館。
「……また増えたわ」
書架を見上げながら、メイリーンは溜息をついた。
古文書、魔導書、禁術記録。
世界を救った知恵と、世界を滅ぼしかけた愚行が、同じ棚に並んでいる。
その管理者は、ページをめくりながら紅茶を口にしていた。
「前線の報告は?」
「王都周辺、安定していますわ」
答えたのは、金髪をローシニヨンにまとめた女性――セシリア・ドゥルセ。
彼女は焼き菓子の皿を、紅茶の横に置く。
「魔王級の消失が効いています。補給線も通りました」
「そう」
メイリーンは頷き、本を閉じた。
指先で焼き菓子をひとつ取る。
「国内の魔物多発現象は、ひとまず片付いたわね」
淡々とした声音。
勝利を語る調子ではない。
「問題は、王都です」
セシリアが声を落とす。
「王宮の椅子が、また動き始めています」
メイリーンは歩みを止め、窓際に立った。
遠くに見える王城の尖塔。
その輪郭は、どこか霞んでいる。
「本宮の方は?」
「第二陣まで揃いました。若い官僚ばかりです」
「彼女らしいわね」
ほんのわずか、口元が緩む。
「血筋より、能力。それに……情が深い」
「……情が深い、ですか」
「ええ。しばらく会えなくて、寂しいわ」
振り返らないままの言葉。
セシリアは小さく微笑んだ。
(意外に情が深いのは、あなたよね)
短い沈黙。
「それで」
メイリーンが、何気なく言った。
「北宮に、新しい侍女が入ったそうね」
セシリアの指が、ほんの一瞬止まる。
「よくご存じで」
「王妃殿下の動きは、全部ここに流れてくるもの」
机の報告書を、指先で示す。
「シルヴェリス辺境伯の……四女?」
「はい。ララ・シルヴェリス。十五歳です」
その年齢を聞いた瞬間、メイリーンの眉が、わずかに動いた。
「……あの時の子ね」
「ご存じでしたか」
「忘れるわけがないでしょう」
小さく息をつく。
「四人姉妹の中で、いちばん、父君の才を受け継いだようだわ。もしかしたら、嫡男よりも」
「辺境伯といえば、武人として知られていますが……」
セシリアは思い出すように言う。
「彼女は体が小さくて、可愛らしい印象でした」
「ええ。でもね」
メイリーンは窓の外から視線を戻す。
「辺境伯は、武力の影に隠れているけれど――
魔力感知に、異様なほど長けている家系よ」
セシリアの瞳が、わずかに開いた。
「……たしかに」
間を置いて、続ける。
「王宮へ入る前。
あの子、禁図書館の防護結界が――」
言葉を選ぶ。
「“視えていた”ようです」
メイリーンは、微笑んだ。
「でしょうね」
否定も、驚きもない。
「でも、今はまだ芽よ」
一拍。
「北宮で潰されるか、
踏みとどまれるか……」
「動きますか?」
セシリアが慎重に尋ねる。
メイリーンは、首を振った。
「いいえ」
即答だった。
「彼女は、まだ“何もしていない”」
「……」
「夢を見て王都に来ただけの子を、
いきなり大人の都合に巻き込むつもりはないわ」
それは、彼女自身の線引きだった。
「まずは、見守りましょう」
セシリアは深く頭を下げる。
「監視を?」
「それとなく、ね」
「危なくなったら?」
少しの間。
そして、メイリーンは微笑んだ。
「……その時は、禁図書館に招く理由ができる」
それが朗報か、
それとも破滅の始まりか。
セシリアには、まだ分からない。
禁図書館の主は、焼き菓子をひとつ口に運ぶ。
盤面には、確かに新しい駒が置かれていた。
「……できれば、動かさずに済ませたいのだけれど」
◇◇◇
北宮の一日は、決められた順序で流れていく。
廊下を拭き、
書類を運び、
決められた時間に、決められた場所へ立つ。
言われた通りに動きながら、理解していく。
そして、余計なことをしそうな人間は、
余計なことをする暇を削られる。
ララは、休みなく仕事を与えられ続けていた。
(……私、いじめられてる……?)
そう思った瞬間、
胸の奥が、少しだけ冷えた。
小柄だが辺境育ち。
体力のあるララはさほど苦でもないが、
休む間も与えられない。
◇◇◇
夜。
寝台に横になり、小さな体を丸めると、布団が少し余った。
今日一日を、思い返す。
忙しい。
しかし、何も起きていない。
――起こさないように、されている。
目を閉じる。
そのとき。
西の方角から、
鐘の音がした気がした。
短く、ひとつ。
ララは、目を開ける。
(禁図書館――)
――今夜は、聞き流さなかった。




