第24話 砕けた祈り
乾いた音が、部屋に残った。
ミサラサの頬が赤く染まり、ゆっくりと顔が傾く。
反対側から、もう一度。
王妃の手が振り抜かれた。
誰も、言葉を探さない。
マルセナは息を整えない。
震えも、抑えない。
ただ、息子を見ていた。
「……あなたという子は」
声が、掠れる。
それでも、言葉は止まらない。
「謹慎を破り」
「聖女の部屋に入り」
「そして――」
視線が、寝台の上を滑った。
ララ。
乱れかけた衣。
押さえつけられた痕。
それでも、揺れない瞳。
王妃の喉が鳴る。
「……何をしているのです」
ミサラサが歯を食いしばる。
「誤解です」
言葉が先に飛び出した。
「この娘が誘っただけです。私は何も――」
「黙りなさい」
落ちた声に、ミサラサの肩がわずかに強ばる。
「……母上」
「あなたの声は、聞いていました」
マルセナの指が、耳のイヤリングに触れた。
「この娘に向けて語ったこと。すべて」
ミサラサの唇が、わずかに開いたまま止まる。
エリカが、ゆっくりと眉を上げる。
「……へえ」
ミサラサが一歩下がる。
絨毯がわずかに沈む。
「それは――」
「もう、聞きたくありません」
王妃が遮る。
声は、震えていない。
「聖女」
エリカが、笑みを深める。
「なあに?」
「これは、どういうことです」
「見れば分かるでしょ」
瞳の奥に、濁りが沈む。
「汚して壊して、食べるところ」
ミサラサが舌打ちする。
「聖女、黙っていろ」
だがエリカは視線を外さない。
『ここまでだな』
声が重なった。
底冷えする声。
『王妃を始末するしかあるまい』
マルセナの睫毛が、かすかに震えた。
ミサラサが振り向く。
「……待て」
短い呼吸。
逡巡が一瞬浮かび――消える。
「母上」
声が、甘くなる。
「私が救って差し上げます」
マルセナは動かない。
「……救う?」
「はい。今回は見なかったことにしてください。そうすれば――」
「できません」
即答だった。
ミサラサの喉が詰まる。
「私は、あなたの母です」
王妃が一歩進む。
床板が、微かに鳴る。
「だからこそ、見過ごせません」
ミサラサの頬が引きつる。
次の瞬間。
「……やれ」
低く落ちた。
エリカの瞳が細くなる。
指が持ち上がる。
香が、急に澱む。
見えない刃が、王妃へ走る。
同時に。
光が割り込んだ。
透明な膜が空間に広がる。
衝突音。
寝台の薄布が大きく揺れた。
エリカの指が止まる。
王妃が振り返る。
そこに、ララがいた。
寝台の上で、腕を伸ばしている。
ただ、そこに立っていた。
障壁が、王妃を包んでいる。
光の波が、歪んでいた。
エリカが喉を鳴らす。
『……面白い』
ミサラサの眉が歪む。
「貴様――」
ララは答えない。
視線だけが、逸れない。
王妃の指が震える。
イヤリングに触れたまま。
声が出ない。
エリカが、ゆっくりと指を下ろす。
『予定変更だ』
低く沈む声。
『先に、あれを喰う』
ミサラサが振り向く。
「今は母上が先だろうが!」
『愚かだな、王太子』
外から、鎧の触れ合う音が重なった。
複数の足音。
ミサラサの顔色が変わる。
「誰だ――!」
エリカが舌打ちする。
『……早すぎる』
ミサラサが後退る。
視線が揺れる。
王妃。ララ。聖女。
逃げ道を探すように。
そして。
白が並ぶ中、ただ一人、赤外套の白騎士が踏み込んだ。
剣が抜かれる。
紋章が揺れる。
「王太子ミサラサ」
低い声が、室内を断ち切る。
「王妃殺害未遂。ならびに反逆の疑いにより、身柄を拘束する」
誰も、動かなかった。
外套の赤だけが、揺れていた。




