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十五歳、まだ名前を呼べなかった頃 〜メイリーン戦記・ララ編〜  作者: 水戸直樹


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第23話 白銀のイヤリング

「あら、忘れ物よ」


 座ったままの、マルセナ王妃が不思議そうに目を上げる。


 テーブルの上、白銀の、小さな細工のイヤリング。


「こちらは、王妃殿下に……お礼として」


 マルセナは驚いたように目を見開いた。


「いいの?これ……アーティファクトよね?」


「はい。ささやかなものですけど」


 王妃はそれを、手のひらの上に乗せた。


「……素敵」


「では、私は、これで」


「どこへ行くの?」


「聖女様の、お部屋へ……伺います」


◇◇◇


 回廊の奥。


 重厚な扉の前で、ララは足を止めた。


 ノック。


 すぐに返答が返る。


「あ、やっときた。早く入って」


 ララは、一歩踏み入れた。


◇◇◇


 室内には、甘い香が漂っていた。


 薄布の天蓋。


 椅子にもたれかかるようにして、一人の女が微笑んでいる。


 聖女エリカ。


 その隣。


 背の高い青年が、ゆっくりと振り返った。


 金の髪。


 整った顔立ち。


 王太子ミサラサ。


 ララの歩みが、わずかに止まる。


 二人の視線が、同時に絡みついた。


「……へえ」


 エリカが、目を細める。


「この子?」


 返答の代わりに、ミサラサはララを上から下まで眺めた。


 値踏みするように。


「禁図書館の司書……になったか」


 ララは一礼する。


「お初にお目にかかります。聖女様、王太子殿下」


 声は震えていなかった。


 エリカが椅子から身を起こす。


 裸足のまま、絨毯の上を歩いた。


 距離が詰まる。


 ララは動かない。


「……綺麗」


 エリカの瞳が、ゆっくりと細くなる。


 まるで、宝石を覗き込むように。


「ねえ、アンタ……好きな男いる?」


「……いいえ」


「そう、残念」


 エリカは、楽しそうに笑った。


 その背後で、ミサラサが上着を脱ぐ。


 見えない圧が、背に触れた。


 ララの指先が、わずかに強ばる。


 だが、振り返らない。


「……さて、ララ。アタシに何の用かしら」


 エリカが首を傾げる。


「ご挨拶に参りました」


「それだけ?」


「はい」


 短い沈黙。


 エリカの視線が、ララの胸元へ滑る。


 ブローチ。


 その奥。


 肌の下を、何かを測るように。


 次の瞬間。


 エリカの瞳の奥が、深く沈む。


『……当たりだ』


 声が重なった。


 唇は動いていない。


 空気が震えた。


 ミサラサが、低く笑う。


「分かるのか」


『清浄。濃い。……これほどの贄は久しい』


 エリカの喉が、わずかに上下する。


 飢えたように。


 ララは、静かに息を吸った。


「……どういう意味でしょうか」


 ミサラサが近づく。


 背後から。


「意味を知る必要はない」


 エリカが、ララの頬へ手を伸ばした。


 冷たい指先。


 触れる寸前で止まる。


「怖い?」


 ララは、首を横に振った。


「少しだけ」


 エリカが、くすりと笑う。


「いい子」


 指先が、顎を持ち上げる。


「もう、待てん」


 ミサラサの手が、ララの腕を掴んだ。


 強く。


 逃がさない力。


「俺が先だ」


 ララの呼吸が浅くなる。


 腕を引かれる。


 寝台の縁に、膝が触れた。


 体勢が崩れる。


 背中が、柔らかな布へ沈む。


 ミサラサが覆いかぶさる。


 吐息が、頬に触れた。


「……抵抗しないのか」


 低い声。


 ララは、彼を見た。


「反省なさったのでは?」


 その言葉に、小さく驚き、そして笑う。


「十分にしたさ。……だから、聖女の部屋を使うことにしたわけだ」


 指が、手首を押さえ込む。


 逃げ場が消える。


 エリカが寝台へ膝を乗せた。


 ララの髪に触れる。


「まだ怖がってないね。つまらないよ?」


 ミサラサが、ララの肩口へ手を伸ばす。


 布が引かれ、裂かれようとする。


 留め具が、音を立てて軋む。


「やめてください……。大切な服なんです」


 ララの喉が、わずかに鳴る。


 それでも、目は逸らさない。


「……ならば、自分で脱げ」


 指を離して、見下ろす。


 ゆっくりと留め具を外しながら、聖女へ目線を向けるララ。


「……聖女様」


 エリカが、微笑む。


「なあに?」


「消えた侍女たちは……私は、どうなるんですか?」


 エリカの指が止まる。


「泣かせながら、食べるだけよ。大丈夫、髪の一本も、血の一滴も残らないから」


 沈黙。


 ミサラサが、苛立ったように舌打ちした。


「いつまで話をしているのだ。……引き延ばすにもほどがある」


 靴が床に落ちる。


 そのとき。


 外の回廊で、足音が走った。


 扉の向こう。


 音が、急に静まる。


 鋭い声が響く。


「入ります」


 空気が凍る。


 ミサラサの肩が跳ねる。


「……母上?」


 エリカの瞳が揺れる。


「なんで? イザベルは?」


 扉が叩き開けられた。


 光が差し込む。


 マルセナ王妃が、立っていた。


 耳には、白銀のイヤリング。


 寝台の上。


 息子の背。


 その向こう。


 少女が、こちらを見ていた。


 泣いていない。


 逃げる気配もない。


 ただ、見ていた。


 そこで。


 王妃は理解する。


 その顔から、色が落ちた。


 イヤリングを撫でる指が、震える。


 そして。


 ゆっくりと歩き出した。


 ミサラサが、言葉を失う。


「……母上、これは」


 王妃の手が振り上がる。


 乾いた音。


 ミサラサの、頬が弾けた。


 さらに。


 反対側。


 もう一度。


 部屋の空気が、完全に凍りついた。


挿絵(By みてみん)

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