第13話 月の下で迷う者たち
夜。
王宮西棟へ続く庭園に、月光が降り注いでいた。
噴水の水面は淡く揺れ、白い彫像の影が石畳へ長く伸びる。
本宮から禁図書館へと続く通路は、静寂に包まれていた。
そこへ、数人の兵が足を踏み入れる。
東宮所属の近衛兵。
若い顔ぶればかりの小隊を率いるのは、中隊長だった。
「……確認するぞ」
低く声を落とす。
「本日の任務は、書状の手渡しのみ。挑発、詮索、無断侵入は厳禁だ」
「了解」
返事は短い。
誰も余計なことを言わない。
ミサラサ王太子の命令は絶対。
だが――
禁図書館にまつわる掟は、それ以上に重い。
(王妃殿下に知られてはならない、か……)
中隊長は、奥歯を噛みしめた。
なぜ、自分たちが選ばれたのか。
なぜ、よりにもよって、この場所なのか。
答えは、分かりきっている。
精鋭は、いない。
王太子にとって、自分たちは――使い捨てに近い。
「隊長……」
後ろから、小声が飛ぶ。
「あの……もし、あの白騎士が出てきたら、どうします?」
一瞬、空気が張りつめた。
白騎士。
その名を出しただけで、何人かが息を呑む。
「……逃げるしかあるまい」
中隊長は即答した。
「え、逃げていいんですか? 殿下にどんなお叱りを――」
「命には代えられん」
遮るように言う。
「あの時の白騎士……セレス様は、本気を出していなかった」
隊員たちは、無言になる。
思い出すのは、圧倒的な差。
一撃も届かず、ただ倒され、最後に言われた一言。
『訓練はここまで。精進するように』
「……俺、何もできませんでした」
ぽつりと、誰かが言う。
「あ、でも……また、指導を受けたい気はあります」
「おい、それ、美人だからだろ!」
「ち、違います! 剣筋が……!」
小さなやりとりに、張りつめていた空気がわずかに緩む。
だが――
「お前たち」
中隊長が、ぴたりと足を止めた。
「周りを見ろ」
「……え?」
隊員たちは、顔を上げる。
そこにあったはずの噴水が、ない。
彫像の位置が、ずれている。
いや――違う。
同じものが、何度も視界に入っている。
「……隊長」
「さっき、ここを通りませんでしたか?」
月光が、揺れていた。
光が、道を作らず、反射している。
前も後ろも、区別がつかない。
「な、なんだこれ……!」
「おい、出口はどっちだ!?」
若い兵たちが、ざわめく。
中隊長は、深く息を吸った。
「落ち着け」
声を張らず、しかし強く。
「慌てるな。走るな。固まれ」
言われて、ようやく気づく。
誰も、敵に襲われていない。
ただ――迷っているだけだ。
歩いても、進まない。
戻っても、戻れない。
「……まさか」
誰かが、震える声で呟いた。
「これが……禁図書館の……」
そのとき。
「あら」
柔らかな声が、夜気に溶けた。
「迷子?」
一斉に、兵たちが振り向く。
白装束の女騎士が、そこに立っていた。
月光を受けて輝く白銀の紋章。
だが、その表情は――
「……うわあああ!」
「セレス様っ!?」
一瞬で、腰が引ける。
「……むぅ」
女騎士は、頬をぷくっと膨らませた。
「ちょっと、そんな幽霊見たみたいな反応、やめてくれる?」
その声は、拍子抜けするほど年相応だった。
中隊長が、咳払いをして前へ出る。
「失礼しました。なぜ、こちらに?」
「ふふっ」
セレスは、にこりと笑う。
「あなたたち、ずっと同じところ歩いてたから。可哀想で」
「……抜け道が、あるのですか?」
「あるわよ。ほら、ついてきて」
疑う暇もなく、セレスは歩き出す。
月光が、彼女の足元で静かに割れた。
数歩。
ほんの数歩。
気づけば――
「……あれ?」
本宮の門が、目の前にあった。
最初に立っていた場所。
何事もなかったかのように。
「た、助かりました……」
中隊長は、深く頭を下げる。
「……ですが、我々は禁図書館に用事がありまして」
セレスは、あっさりとうなずいた。
「その書状ね。預かるわ」
「えっ?」
代わりに差し出されたのは、一枚の名刺。
『王国白騎士団 第一席
団長 セレス』
「これ、受領書代わり」
ひらりと手を振る。
「これがあれば、怒られないんじゃないかな? じゃ、みんな、がんばってね」
次の瞬間。
彼女の姿は、月光の中に溶けて消えた。
「……消えた?」
「どうやって……?」
しばらく、誰も言葉を発せなかった。
中隊長は、静かに目を閉じる。
「……やはり」
低く、噛みしめるように。
「禁図書館は、絶対に敵に回してはならん」
◇◇◇
同じ夜。
禁図書館の厨房。
「あっ、メイリーン様、おかえりなさい!」
食器を棚にしまいながら、ララが振り向いた。
「ごめんね、ララ。片付けまで任せちゃって」
「いえっ! ケーキまでいただいて……せめて、これくらいは」
メイリーンは、くすりと笑う。
「本当に美味しかったわね。もう少し食べられたかも」
「あ、あの……五個食べたのに、まだですか?」
「……外で、少し運動してきたから」
「あ、運動……?」
ララは、首をかしげる。
「そういえば……さっき、外の空気、変でした。方向が、分からなくなる感じで……」
「……何か、感じたのね」
「あ、いえ! 気のせいだと思うんですけど……」
「いいえ」
「……」
「あなたの感覚は、信じていいと思うわ」
「は、はい……」
月明かりの下で、
今夜もまた、誰かが迷い――
しかし、誰かは道を見つけようとしてた。




