第12話 休館中
翌朝。
王宮西棟――禁図書館。
石畳の外路を進むにつれ、使者の足取りは重くなっていた。
花々に彩られた庭園を抜け、噴水の脇を通る。
王国でもっとも美しいとされる庭園も、無理な任務を抱えていては目に入らない。
王太子直々の命を帯びた訪問。
それも、聖女エリカの署名入り命令書だ。
断られるはずがない。
そう、理屈の上では。
だが――
「……休館中?」
低く呟いた声が、石壁に吸われるように消えた。
正面の扉には、簡素な木札が下がっている。
『臨時休館』
それだけ。
だが、近づいた瞬間に分かる。
この建物は、ただ閉まっているのではない。
壁面に刻まれた古代紋様。
継ぎ目のない石組みは、刃も魔法も拒むように沈黙している。
窓は曇りひとつなく、七色に光を弾くだけ。
中を覗こうとしても、何も映らなかった。
(……重要書簡だ。声をかけぬわけにもいかん)
使者は、意を決して扉の前に立つ。
拳を握り、
そっと、叩いた。
――コン。
音は、返らなかった。
扉に触れたはずの拳には、
ずしり、とした重みだけが残る。
もう一度。
今度は、少し強く。
……やはり、音はしない。
打ちつけた感触だけが、骨に伝わる。
(これは…… 鉄でも、青銅でもない……のか?)
扉は、そこにある。
だが、世界が一枚、隔てられているようだった。
王宮には、暗黙の了解がある。
――禁図書館の名を口にするな。
――関係者と話すな。
――近づくな。
ましてや、命令書を携えて訪れるなど、前例がない。
(……置いて帰るわけにもいかない)
だが、扉の前に立ち続ける勇気もなかった。
使者は、深く一礼すると、
すごすごとその場を離れた。
何も成さぬまま。
◇◇◇
同じ頃。
禁図書館の中には、穏やかな朝の光が射していた。
「ララ、こちらの棚もお願いできるかしら」
「はい! メイリーン様」
分厚い書物の匂いと静かな空気に包まれていると、昨日まで胸を締めつけていた恐怖が、まるで遠い夢のように思えた。
それでも、不安の影は完全には消えていない。王太子の顔や、侍女長の冷たい視線がふと脳裏をかすめる。
(私なんかがここにいて……メイリーン様の迷惑にならないだろうか)
そんな思考を読み取ったかのように、司書長がふっと笑みを向けてきた。
「ララ、手が止まっているわ。悩むときこそ、手を動かすのよ」
その軽やかな声に、不安がしゅるりとほどけていく。
返事をして、ララは本を抱え直す。
分厚い魔導書。
(……あれ?)
最初は、一冊運ぶだけで、身体の奥から力が抜けていた。
今は、まとめて運んでも、少し肩が張る程度だ。
本を揃え、背表紙を整える。
次に置く位置も、迷わない。
考えるより先に、身体が動いていた。
メイリーンが、ほんの一瞬だけララの手元を見る。
(いい集中力ね……それに……)
小さく微笑み、立ち上がる。
「ここは任せてよさそうね。わたくしは奥の書庫に行ってきます」
「しょ、書庫……?」
「ふふ。いずれあなたも入ることになるかもしれないわ。頼りにしてる」
その何気ない一言が、ララの胸の奥をぽっと温めた。
◇◇◇
「……渡せなかった?」
報告を聞いた瞬間、ミサラサ王太子は立ち上がった。
「休館中? 馬鹿な! 誰も出てこなかっただと……」
聖女エリカが、くすりと笑う。
「ふうん……ずいぶん大事に守られているのね。
たかが図書館のくせに」
だが、王太子は笑えなかった。
母に知られるわけにはいかない。
禁図書館の名を出したと知れた瞬間、
どれほど失望されるか、分からない。
王宮を切り盛りするオデット伯も同じだ。
禁図書館に繋げられる存在ではあるが――
あの女の、味方だ。
(……こうなれば)
「……俺の兵を使う。口の固いものを選別し、人目のつかない夜に」
絞り出すように言った。
◇◇◇
夕刻。
ララは作業を続ける。
頭より、手を動かす。
棚の奥へ進んだとき、ふと影が揺れた、気がする。
「……?」
息を潜め、耳を澄ます。
……静寂。
(気のせい、だよね)
自分に言い聞かせ、ララは仕事を続けた。
休憩エリアの掃除を終え、ランプを灯した、その瞬間だった。
「ふがあっ」
「きゃあっ!?」
ソファから跳ね起きた影。
立派な白髭の老人だった。
「だ、誰ですか!?」
「わしは……まだ……読んで……おったのだ……むにゃ……」
言い残して、再び沈む。
規則正しい寝息。
固まるララの横で、ため息が落ちた。
「このお爺ちゃん、常連さんなの」
メイリーンだった。
「いつも、こうして寝て帰られるのよ」
「あ……そうなんですね……」
司書長は、困ったように老人の肩をぽすぽす叩く。
「お爺ちゃん、もう夜ですよー。お部屋に戻りましょうねー」
無反応。
二人は顔を見合わせ、小さく吹き出した。
笑顔のままメイリーンが告げる。
「こうなったら起きないから。もう、わたくしたちの夕食の支度しましょう」
「は、はいっ!」
「あのね……ドゥルセのケーキ、差し入れにもらったの。あとで一緒に食べましょう」
「……えっ、いいんですか、私まで」
「もちろんよ。行きましょう」
二人は厨房へ向かうのだった。




