第11話 禁じられた場所
王宮西棟――禁図書館。
石造りのアーチの下、ララはティーカップを両手で包み込んでいた。
「……こんなに安心していられるなんて」
思わず漏れた言葉に、向かいのメイリーンが柔らかく微笑む。
しかしその頬は――
もぐもぐもぐ。
いっぱいにクッキーで膨れていた。
ララの目線に気づくと、口を上品に拭きながら答える。
「んぐっ、大丈夫」
ようやく飲み込み終わると、司書長は静かに言った。
「ここにいる限り、あなたを誰にも傷つけさせないわ」
言い切った頬には、クッキーの欠片がついていた。
その言葉が、ララの胸の奥をじんわり満たす。
(……ちょっと不思議な人だけど、優しいなぁ)
気づけば、山のように盛られていたクッキーの皿は、もう空になっていた。
「さ、居住区画の案内するわね。行きましょうか」
「は、はい!」
「ふふ、きっと、吃驚するわよ」
悪戯っ子のような笑みを浮かべるメイリーン。
ララは小さく頷いて、立ち上がる。
月明かりの下、二人は並んでいた。
◇◇◇
同じ頃――
北宮、聖女エリカの居室――その一角。
「……禁図書館、だと?」
ミサラサ王太子の声が、明確に裏返った。
机を叩く音が響く。
「そんな馬鹿な! あそこは――!」
言いかけて、言葉が止まる。
侍女長イザベルは、深く頭を下げたまま動かない。
「……申し訳ございません。
ですが、確かに……メイリーン様が、直接お連れになりました」
空気が、張りつめる。
まずい。
あの女は――国王直属の監察使だ。
(……引きこもっていたはずなのに、なぜ、今更?)
「……連れ戻せ」
絞り出すように言う。
「今すぐだ。
母上の侍女が許可なく連れ出されるなど、許されるはずがない」
イザベルは、ほんの一瞬だけ迷った。
だが、首を垂れたまま答える。
「……それは、難しいかと」
「なに?」
「禁図書館は、正式には……
メイリーン様の管理下にあります。
力づくで踏み込めば――」
「分かっている!」
怒鳴り声が室内に響く。
「だからだ!
だから、まずいんだろうが!」
王太子は立ち上がり、部屋を歩き回る。
母である王妃の言葉が、脳裏をよぎる。
『あなたは、廃太子寸前です』
だからこそ、隠し続けてきたはずだ。
それが、まさか――。
「放っておけるはずがない……
あの女の手の内に、侍女が一人入ったままなど……!」
“起きてはいけないこと”が起きたのだけは、確かだった。
寝台の上。
黒髪の女が、ゆっくりと身を起こす。
「……なぁに? うるさいわね」
眠たげな声。
だが、その瞳は冴えていた。
「聖女……」
王太子が振り向く。
「禁図書館に、侍女が一人逃げ込んだ」
「あら」
エリカは、くすりと笑った。
「その侍女って、ララよね? 今夜、来るはずだったでしょ?」
「……そうだ。メイリーンが連れて行った」
その名を聞いた瞬間、
エリカの笑みが、ほんのわずかに歪む。
「……あぁ、あの地味っていう女」
指先で髪を弄びながら、つまらなそうに言う。
「ララさ。女神サマのご指名なんだよね。
私が味見しようと思ってたのに……」
視線が、王太子へ向いた。
「勝手な真似、してくれたわね」
「エリカ」
王太子は、低く言った。
視線が、空白の羊皮紙へ向く。
「命令書を出す。形式さえ整えれば、連れ戻せる」
エリカは、少し考えるふりをしてから、笑う。
「……じゃあ、その命令書。
私がサインしよっか?」
「なに?」
「禁図書館でも、監察使でも。
“聖女の名前”が出たら、無視できないでしょ?」
王太子は、黙った。
選択肢は、もうなかった。
◇◇◇
同じ頃、禁図書館、宿泊室。
「どう、眠れそうかしら?」
寝間着姿のメイリーンが、ふわりと声をかける。
「メイリーン様も、お泊まりになるんですか……? もしかして、私のために……」
「いいえ。調べ物で遅くなると、ここで寝泊まりするのは昔からよ」
「あっ、あの、シャワー。驚きました。
お湯が、あんなに簡単に出てくるなんて……!」
「ねっ! すごいでしょ!」
案内された禁図書館は、驚きの連続だった。
火の気はないのに、部屋は不思議と温かい。
息を吸うたび、胸の奥まで澄んでいく。
そして、なにより、司書長の人物。
王族以外で、この国でもっとも地位の高い女性のはずなのに。
ひとつも偉ぶることなく、当たり前のように接してくれる。
「そんなにかしこまらなくていいのに」
ボヤきながら小さく肩をすくめる仕草さえ、どこか品があった。
(……やっぱり噂は嘘だよね。地味じゃないし、無愛想でもない)
「好きなだけ、ここにいるといいわ。
もし、ここで働く気になってくれたら、個室を用意するわね」
さらりと言われたその一言に、ララはまた小さく息を呑む。
(……ここで働く選択肢も、あるの?)
メイリーンがベッドへ入る音がする。
すぐに静かな寝息が部屋を満たした。
その穏やかな呼吸に、ララのまぶたもゆるやかに閉じていく。




