表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十五歳、まだ名前を呼べなかった頃 〜メイリーン戦記・ララ編〜  作者: 水戸直樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/26

第10話 禁図書館の灯り

挿絵(By みてみん)


 扉が、静かに閉まった。


 外の足音も、声も、すべてが遠ざかる。


 ――本当に、来てしまった。


 導かれるまま連れられて、

 気づけば、知らない場所に立っている。


 天井まで伸びる書架。

 壁には、淡い光が静かに灯っていた。


「……ふふ。ここで座って待っていてね。着替えてから、お菓子を持ってくるわ」


 ラウンジへ案内すると、司書長メイリーンは奥へ下がっていった。


 一人、残されたララ。


 恐る恐るソファへ腰を下ろし、背もたれに小さな身体を預ける。

 ふわりと、包み込まれるような感触。


(……柔らかい)


 視線が、自然と上へ向く。


 ラウンジの天井は高く、

 石の縁に縁取られた大きな開口部の向こうに、夜空がそのまま広がっていた。


 月明かり。

 遠く、静かに瞬く星々。


 ――夜空を見るなんて、いつ以来だろう。


 ここが王宮の中だということを、

 少しずつ、忘れていく。


 ふいに、やわらかな声がした。


「ここね、私もお気に入りの席なのよ」


 顔を上げる。


 トレイにお茶とお菓子を乗せたメイリーンが、微笑んでいた。


 ココアベージュの髪が、月明かりを受けてゆるやかに揺れている。

 さきほどの外套ではなく、淡い色の部屋着だった。


 ――あれ。


 思わず、見入ってしまう。


(……綺麗な人だったんだ)


 気づかれたのか、メイリーンが首を傾げる。


「どうしたの?」


「あ、いえ……すみません」


 慌てて視線を逸らすと、くすっと小さく笑われた。


「ふふ。そう」


 テーブルにお茶とお菓子を並べていく。


 湯気の立つティーカップ。

 山のように盛られたクッキー。


(……あ)


 思わず、喉が鳴った。


 場違いなほど、穏やかな光景だった。


「あ、あの……」


 遅れて我に返り、ララは慌てて姿勢を正す。


「ララ・シルヴェリスと申します……。さっきは、その……ありがとうございました……」


 声が、わずかに震えた。


 本当は、もっと言いたいことがある。

 けれど、言葉が追いつかない。


 王太子の声。

 侍女長の手。

 誰も助けてくれなかった、あの回廊。


 そこから辿り着いた、この場所。


 頼れる場所なんて、他に思いつかなかった。


「そんなに、かしこまらなくていいわ」


 向かいのソファに腰を下ろし、メイリーンは言った。


「一緒に、お茶でも飲みましょう」


 促されるまま、ララはカップに口をつける。


 温かさが、喉を通っていく。

 背中から、ゆっくり力が抜けた。


 書架に並ぶ無数の本。

 石柱に刻まれた、見たことのない文字。

 壁の奥で、淡く脈打つ光。


 そして、頭上に広がる夜空。


(まるで……本の中の世界……)


 静かで、あたたかい。


「安心していいわ」


 ぽつりと、メイリーンが言った。


「ここに、勝手に踏み込める人はいないの」


 紅茶を注ぎながら、続ける。


「王太子でも、侍女長でも」


 その一言で。


 張りつめていた何かが、ぷつりと切れた。


「……っ」


 気づいたときには、視界が滲んでいた。


「ご、ごめんなさい……」


 声が、うまく出ない。


「泣くつもりじゃ……」


「いいのよ」


 慌てる様子もなく、レースのハンカチが差し出される。


「今日まで、たくさん我慢したのでしょう?」


 それだけで、涙があふれた。


「王都に来て……」


 言葉が、途切れる。


「守ってもらってるって、思えたの……初めてで……」


 ハンカチを握りしめ、俯く。

 肩が、小さく震えた。


 メイリーンは何も言わず、そっとクッキーの皿を寄せる。


「……甘いもの、好き?」


「……はい」


 鼻声のまま、答える。


「よかった」


 少しだけ、嬉しそうに微笑んだ。


「それね、ドゥルセのクッキーなの」


「あ……!」


 思わず顔を上げる。


「王都に来るとき、行列になってた……?」


「そう」


 どこか得意げに、うなずく。


 ララは、恐る恐る一枚取った。


 かじった瞬間、ふわりと香りが広がる。


(……おいしい……)


 胸の奥が、ゆっくりほどけていく。


「ここでは、心を休めていいの」


 その言葉が、胸に落ちる。


 ――休んでいい。


 そんな言葉を、初めて聞いた気がした。


「ララ」


 名前を呼ばれ、顔を上げる。


「もし……あなたが望むなら」


 少しだけ、間を置いて。


「ここで、本を読みながら過ごしてもいいのよ」


 提案。


「禁図書館にはね……

尽きることない物語が眠っているわ」


 その言葉に、胸がわずかに揺れた。


(……どこか、懐かしい気がする)


 理由は、分からない。


 けれど、心の奥で、何かが触れた。


 ララは、カップを両手で包み込む。


 湯気が、指先をあたためる。


「……ここにいて……いいのですか」


 小さな声で、尋ねる。


 メイリーンは、ゆっくりとうなずいた。


「ええ。好きなだけ」


 その答えに、ララは息を吐く。


 頭上には夜空があり、

 周囲には本があり、

 手元には、温かな灯りがあった。


 この場所には、確かに――光があった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ