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北の森の魔女 第3シーズン  作者: 鉄猫


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記憶の沼

 夜。

 いつものように昼間しごきにしごかれたシュウジであったが、ベッドの中で息をひそませ、ボルトとナットが寝静まるのを待っていた。

 体感では真夜中を過ぎた頃、シュウジは意を決して毛布から顔を出した。そしてベッドから這い出し、ベッドの下に隠しておいたバッグと、不揃いに脱ぎ捨てていたブーツを手にとった。毛布を脚にからませて、丸出しの腹を掻いているボルトを尻目に、部屋を出る。

 小屋の中は暗く静かだった。居間の灯りも消えている。いつも夜半まで居間にいる魔女も、今夜は部屋にいるようだった。

 足音を忍ばせ、玄関から外に出る。ブーツをはき、靴紐を締める。バッグの中にはくすねた果物やパンが入っていた。シュウジは元の生活に戻る、と心に決めていた。

 小屋は南を向いている、と教えられていた。ならば、小屋を背に歩いて行けば、北壁へとたどり着けるはずだった。北壁に到着すれば、後は家の名前を出せばなんとかなるとシュウジは思った。

 小屋を一瞥し、よしっとつぶやいた。もうあの犬っころの顔を見なくて済むんだと思うと、清々した気分になった。

 一歩を踏み出す。一歩を踏み出せば、その分、この嫌な生活から遠ざかるのだ。何だかウキウキしてきた。足も軽く感じる。

 小屋の前の広場の半分ほどまで来た。誰も気が付いていないようだった。いつも口うるさく言っているボルトやラチェットもこの程度か、と思った。

「ざまぁみろだ」

 シュウジは前に向き直り、歩を進めようとした。その目の前に何かがいた。

「う、ああぁ?」

 目の前には一体の黒い影が立っていた。目鼻の無いつるりとした顔の下に、ギザギザの歯が見えている。手足は細長く、手の先には鋭い爪があった。頭の後ろにはわずかに光る髪の毛のようなものが密生している。まるで映画「エイリアン」に登場する異星の怪物(ゼノモーフ)のようだと、シュウジは思った。

──殺される。

 シュウジは両腕を上げた。頭をかばい、後ずさる。

「や、やめろ!」

『散歩ですか?』

 異星の化け物は、シュウジの予想に反する事をしてきた。話しかけてきたのだ。その声は機械的で中性的だった。シュウジは驚き、声の方を見た。

『夜に小屋を出るのはお勧めしません』

 シュウジは怪物が歯を鳴らすと、人間で言う耳の所にあるスピーカーから声が聞こえてくることに気づいた。歯の音を翻訳しているのだろうかと思った。

「あんたは、何だ!?」

『お初にお目にかかります。我はリベットと申します。小さき者よ』

「リベット?」

『はい。北の森の魔女の配下の一人です』

 リベットはすっと背を伸ばし、戦闘態勢を解いた。2mを越える体躯がシュウジの前に立ちふさがる。

「お、オレは家に帰る! そうだ……追放だ! オレがあいつらを追放してやる! だ、だから、そこをどけっ!」

『いえ、それは先ほど言っての通りお勧めしません。夜は獣たちの時間です。このまま行けば、すぐに獣たちの夕食です』

「な、なら、あんたが一緒に来てくれ。あんたは強そうだ」

『それはできません。メムよりそのような指示は受けていませんから』

「役に立たないヤツだな!」

 シュウジはぶすっと息を吐いた。

『どうしても行きますか?』

「ああ。こんなところからおさらばして、前の生活に戻るんだ。やれ訓練、やれ家事の毎日だ。やってられるかっての」

『そうですか。せっかく、解りあえると思ったのですが』

「解りあえる? 怪物のあんたとオレが? 何言ってんだ」

『我とあなたは同じ立場にいるのです』

「同じ立場だぁ? 怪物がオレの何がわかる!? この、くそが!」

 シュウジの言葉に、リベットは「困った」かのように頭を掻く仕草をした。ボルトたちのそれを真似しているのだった。

『落ち着いてください。我とあなたは、この世界の外から来ましたが、帰ることができないのです』

「帰る、こと……だと?」

『はい。我はこの世界とは違う次元から来ました。もう戻ることはできません。寿命が尽きるまで、この世界で生きていくしかありません。あなたも、違う世界の記憶を持ちながら、この世界に生を受けた存在です。ここでは無い世界から来て、そして戻れない者同士ということになります』

 シュウジは気圧されて(けおされて)、思わずうなずき、言葉を飲み込んだ。

『あなたは異世界の記憶を持っていると同時に、ここでの記憶も持っているでしょう? それとも。どうですか?』

「あ、ああぁ?」

 シュウジは自分が交通事故を起こす前の記憶をザっと遡ってみた。その所々に、見慣れない記憶が混じっている。この世界で、伯爵家に生まれた自分の記憶だった。どちらの記憶もが絡まり(からまり)縺れ(もつれ)、ぐじゃぐじゃの流れになっていく。喉の奥から気持ち悪さが沸き上がり、シュウジは膝を落とした。

『大丈夫ですか?』

 シュウジは混乱する。どちらの思い出が正しいのか、それとも間違っているのか。それもわからなくなっていた。ぐるりと視野が回った。口から吐瀉物が吐き出される。

「くそっ……なにしやが……た……」

 シュウジは前のめりに倒れ、気を失った。


 シュウジは目覚め、跳ね起きた。ボルトの雷が落ちる。そう思い、周囲を見回した。

 シュウジが横になっていたのは居間のソファだった。テーブルの上にランタンが置かれ、魔女はその向こうにいる。

「気がついたようだね」

「なにが……いったい……?」

「さぁ? リベットによれば、急に倒れたそうだ。朝になったらラチェットに診てもらうことにしよう」

「記憶がごちゃ混ぜになったんだ」

「記憶?」

 シュウジは起き上がり、魔女に向きあった。ランタンの火の向こうに、柔和だが鋭い目を持つ、教師のような顔があった。シュウジは叱られた子供のようにとつとつと話しはじめた。

「こっちの世界での記憶と、元の世界での記憶が混じりあって、どっちが本物なのかわからないんだ。今まで城で育ってきた事と、東京での事が重なり合って……オレの本当の親はどっちなんだ? それもわからない」

「そうさねぇ……」

 魔女は煙草を指で回し、トンっとそれで机を叩いた。

「それが、おまえをここに置いている理由さ」

「理由?」

「ああ。ここに来ず、そのまま城に居たら、おまえは確実に壊れていたさ。周りはおまえが言っている事が理解できない。対応する方法が無かったさ。ただの気狂いとして、地下の牢獄に放り込まれるのがオチだったさ。でも、ここなら、わたしがいる。おまえの前の人生を理解できる人間は、わたししかいない」

「理解して、どうする?」

「人として安定させるのさ。こちらの世界に慣れ、死ぬまで暮らすために」

 不意にシュウジは、先ほどリベットが言っていた事を思い出した。

「戻ることができない……?」

「そうさ。おまえは戻ることができない。わたしは──正真正銘の地球産(ホームメイド)だ。<通路>が再びつながれば、帰ることができる。でも、おまえはこちらの世界産だ。戻るも何も、地球(あっち)には居場所がない」

 シュウジは茫然とした。絶望で歯ががたがたと鳴る。

「じ、じゃぁ……」

 魔女は煙草の先をシュウジに向けて言った。

「今の自分を受け入れろ。そして、あっちの記憶を活かす方法を考えるんだ」

「活かす……?」

「そうさ。あんたも学校で勉強してきたんだろ? こちらには無い技術や文化を知っているはず。記憶のそれ以外の部分は、いたずらに精神を痛めつけるモノにしかならない。過去を捨てるんだよ」

 火の向こうの女教師はニヤリと笑った。

「捨てる……」

 シュウジは拍子抜けした顔でつぶやいた。

「なんだい、その鳩が豆鉄砲を食ったような顔は。まぁ、二三日でできる話じゃない。それに、生きていく技法も学ばないとならない。ボルトにはわたしから言っておく。今夜は部屋に戻りな」

「わかった……」

 シュウジは立ち上がり、呆然としたままふらふらと部屋に向かっていった。魔女は煙草を口にくわえると、ランタンで火をつけ、紫煙を天井に向かってフッと吐いた。

「うまく行くかどうかは、自分次第さね」

 魔女はシュウジの背に向かって小さくつぶやいた。


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