水路
この水路は人を喰らう。
そんな話が住民の間でまことしやかに囁かれ、昔から町で水路にまつわる怪談は絶えない。
今、僕は、老犬を連れて水路の脇を歩いている。犬はもう吠えなくなったが、子犬の頃には、水面を覗き込んでは牙をむいていたものだった。水路の底に何かが見えていたのだろうか。
この地域で水路の事故は絶えない。
何かあれば、一昔前は河童の仕業と言われていたが、今は、不幸な事故だったとして扱われる。
僕の弟のときもそうだった。弟は、あの日も僕の後を着いてきた。僕が通学路で必ず面倒を見ることになっていたのに、小学一年になったばかりの弟が邪魔で置いてきてしまった。
大人は、不幸な事故だと言うが、僕からすると、弟は、水路に喰われたのだ。
この土地は、県庁所在地の市内ではあるが、駅からは離れ、平たく言えば山と田んぼばかりが目立つ。水路と古民家がちょっとした観光資源となっており、観光客に向けては、「河童伝説」を飾り立てるが、僕には戯れにしか聞こえない。実際に、水路では人が亡くなるのだから。
水路は町の自慢で、いつも身近でありながらも、どこか不吉な影を持った存在としてそこにあるのだった。
大学が夏休みの間、僕は実家に戻って、夏の短期のバイトをしながら、自動車免許を取得する計画だった。
「散歩くらい行ってきなさいよ」
母が夕食の準備をしながら言うので、ちょうどよい機会だと思い、小さいころから一緒に過ごした柴犬の首輪にリードをつけて外に出た。日が長い夕方に、犬を連れて、付近をぶらぶらと歩く。
犬のリードを持つ右手側に水路があるが、昔ながらの水路は、今も変わった様子はない。
柵がなく、落ちれば子供や老人は一人では上がるのが難しい、子供の背丈ほどの深さの水路。これまで、何人の住民が、この水路で亡くなったのだろう。
昔から危険なことがわかっているのに、それが当たり前とばかりに、自治体は何も対応していない箇所がある、というよりも対応できないのかもしれない。
水路にはどうしても柵がつけられない、柵を設置しようとすると事故の起こる場所があるのだと聞く。
弟の落ちた場所もそうだった。
だから、きっと、僕だけのせいではないのだと、自分に言い聞かせている。
水路を不吉に感じるのは、水路の重ねてきた不気味な物語の存在とともに、弟への申し訳なさを僕が思い出してしまうためでもあるのだろう。
そして、追い討ちのように、あの事件も起こったのだった。
◆◆
思い出す、あの夏のこと。
僕が小学校五年生だったころの話だ。
水路沿いの道は、子供達が帰り道で遊ばないように、通学路からは外されて遠回りをさせられていた。
しかし、一度家にランドセルを置いてしまえば関係ない。親からも柵のない場所で遊ぶなとは言われていたが、子供達は暑ければ水路に降りて遊んでいたものだった。
水路は石積みの壁で固められ、少し低いところを探せば昇り降りはしやすかった。底には土や砂利が見えて、透明感のある水が流れる。魚が泳いでいることもあり、また、橋の下は洞窟のようで、潜るだけでも楽しかった。
親や教師には水路で遊ぶなとは言われていたが、小学生というのは大人のいうことを聞かない生き物だ。学校が終わってから僕らは水路に集まり探検気分で遊んでいた。
その頃の僕は、弟の死からだいぶ立ち直っていた。水路に対する不安な感情はあったが、友達に誘われて断るほどに水路を嫌悪していたわけではなかった。
その日、上流で局地的な大雨が降ったが、いつのまにか水量が増えていることに、僕らは誰も気づかなかった。
水量は急激に上昇し。膝下まで水が上がった状態で、やっと僕らは歩くことができない危険な状況になっていると気がつく。焦りを覚えたころには既に遅かった。
周囲には助けてくれる大人はおらず、まず小さな子から立っていられなくなり、尻餅をつき、顔が水に飲み込まれと、次々と、皆が水に飲み込まれていった。
この時、僕には見えていたのだ。水の中から現れて、子供たちの手に、足に、首に、まとわりつく、無数の人の手を。細長い手が、僕の友人の足首を掴み、水の流れの中に引き込んでいくのを。
僕はここで死ぬのかもしれないと考えたとき、一本の手が僕の手を掴み強く引いた。やばい、引き込まれると思った次の瞬間、僕は水路の外から伸びた木の枝を掴んでおり、それを伝って、僕は石壁を這い上がって水路から出ることができた。その日、五人の子供が助からなかった。
僕を助けてくれた、あの手には見覚えのある気がした。小さい頃に水路に落ちた僕の弟だと思う。そう思うことにしている。
僕だけが生き残ったことは、運がよかったと喜ぶべきなのだろうが、皆を見捨ててしまったのだという罪悪感がずっと胸を侵蝕している。
◆◆
今、下を向き、過去のことを考えながら歩いていると、水路の岸辺で誰かが僕の目の前に立っていた。うちの老犬は全く反応する様子もないのだが、迷惑をかけないようにと思い僕はリードを軽く引く。
その誰かの足元には影がなかった。夕暮れが近く、影が長い時間帯だというのに。その足元には水滴が垂れている。
ずぶ濡れの少年だった。それは水路に飲み込まれたはずの同級生だ。
ああ、やはり現れたのか。
あの事件以降、水場の近くで、彼らは、姿を現すようになった。
彼らのせいで、僕の生活は散々なものになった。それまで、クラスでも人気者と言ってもよかった僕の立場は転落し、友達を見捨てたやつと言われるようになった。お前が死ねばよかったと、亡くなった友達の家族に言われたこともある。
学校のプールの時間、水路に流された友人らが並んで水面に立っていた。もちろん、他の人間には見えない存在だ。怯える僕は、みんなから不審に思われ、よりプールや水場を避けるようになった。
中学、高校に進学しても、僕に、水路の事故の噂は付き纏った。呪われてるとか、関わると水死するという人もいた。
やっと、大学で他の土地に移り、知らない人ばかりになって安堵したというのに、遠く離れた土地でも、あいつらは、水場があれば僕の前に姿を現した。
彼らは、近づいてきている。そして、現れるたびに少しずつ目が吊り上がり、怒りの感情が強くなっているように思えた。僕が皆を捨てたことを皆が怒っているのか、それとも、僕の罪悪感が強まっているのだろうか。いつも、彼らは黙って、上目遣いで睨みつけるようにして僕を見ていた。
梅雨の大雨の日、僕の住むアパートから窓の外をみていると、滝のように降った雨の中に、彼らの顔が現れた。それは、彼らに怯えているために見た錯覚だったのだと自分に言い聞かせたが、このままだと、今度は家の中にも現れるのではないかと不安は収まらなかった。
なんとかしなければと思った僕は、夏休みのうちに実家に帰ってみようと思い立ったのだった。水路を見て何が見えるかを確認しよう、彼らが何か言いたいことがあるのならば聞いてやろうと、開き直りというか、やけっぱちのような気持ちだ。もう、彼らに僕の生活を脅かされたくなかった。
気づけば、子供達が、一人、二人と増えて、同級生と合わせて、五人となっている。
水路の脇に並んで立っているだけの幽霊のようなものたちは、喜びとも、怒りともつかない笑みを浮かべている。
彼らは僕が水路に戻ってきたことが嬉しいのだろうか。僕が自ら身を投げ出すことを求めているのだろうか。僕は絶対にそんなことをするつもりはない。
彼らはじっと笑顔で僕をみる。何かを期待しているという、そんな雰囲気だった。
「どうしてほしいんだ。もう十分に謝っただろ。そもそもおれのせいじゃないし。言いたいことがあるならはっきり言え。恨み言なら聞くから、話して、消えてくれ」
声を荒げると反応があった。五人は右手で水路を指差す。水路の水の流れは穏やかだが、ささやかな水音に、子供達の遊び声が混ざっている。水面には彼らの姿が映っており、水の流れは、まるで、ひらひらと僕を手招きしているかのようだ。
「次は僕の番、そういうことなのか」
雰囲気に呑まれかけていたが、幽霊とはいえ、相手の目的がわかれば、対策ができるのではないか。そもそも、そのためにわざわざ実家に帰って水路を見にきた。
彼らが僕を呼んでいるのならば、身を投げて死んだふりをするというのは危険すぎるか。世の中には水に人形を流すような儀式が存在するのだから、もしかすると、専門家に依頼すれば、僕の身代わりとなるような人形を水路に流してあいつらに連れて行かせることもできるかもしれない。
待て待て。僕は何を考えているのだろうか。幻覚かもしれないのに、幽霊であることが前提のような思考をしてしまった。だが、幻覚であったとしても、そういった儀式をすることで、僕の気持ちが、心が納得すれば、あいつらは消えるかもしれない。一考の余地ありだ。
そんなことを考えながら、僕は冷静さを取り戻す。
幻覚とも幽霊ともわからない彼らに答えを求めてどうするのだ、自分が馬鹿らしくなる。
引き返すためにリードを引く。しかし、柴犬は、もう老犬にもかからわず、聞き分けなかった子犬のころのように、強い力で抵抗する。
犬が水路を見て、ぐるる、と唸っている。
その顔の向いた先、水路の中には、見渡す限りどこまでも、水路の続く限りに無数の人影が立っていた。
異世界に迷い込んだかのような、現実感のない光景に、怖いと同時に、恍惚感を覚える。
これまで友人らの幽霊を見ていたときの一瞬の背筋がゾクッとする感覚とは全く違う、全身の毛が逆立ち、叫びだしたくなるような絶望的な感情に包まれる。
そのとき、小さな人影が水路からよじ登り、柴犬の前に座った。
犬も自分から、その子供らしき人影に近づき、くんくんと臭いを嗅ぐ。
弟、なのだろうか。
その小さい手は、あのとき、水路で僕を助けてくれた手なのではないだろうか。
弟が、また、僕を助けに来てくれた。
本当にそうか。いや、そんなはずがない。弟が僕を助けるわけがない。
そう、弟は僕のせいで亡くなったのだから。
あのとき、遊ぼうとせがむ弟が鬱陶しくて、こづいたら弟は、川に水路に落ちてしまった。弟は水路を上がれずに泣いていたが、水が少ないし、どこかから自分で上がるだろうと思って、僕は弟を放って帰った。
まさか、その後に、水量が増すなんて思っていなかったのだ。
でも、水路で僕が、小さな手に引かれて、助かったのは事実だ。それ自体が、弟に助けられたいと思う僕の妄想だったのだろうか。
眼の前で座って柴犬の背中をさする子供。その俯いた顔を、僕は、勇気を出して直視する。
本当に弟か。
弟のように見えるその顔、目がぎょろりとして、怒ってはおらず、笑っているようで、泣いているようでもある。
僕と目が合うと、弟、いや、弟のような何かは、小さな身体で、犬を水路に引っ張るそぶりを見せた。
僕に媚びるような、その表情を見て、ああ、そうか、と理解できた気がする。
その瞬間、景色は変わった。そこにもはや弟や友人らの姿はなかった。僕には、水路の水が、水の流れが全て、口を開ける大きな顔のようにも、獲物を探す蠢く触手の群れのようにも、感じられた。
「餌がほしいのか」
答えはないが、そうなのだろう。
最初は弟を、次は友達を、僕が捧げた。もちろん、僕にそんなつもりはなかったが、こいつらはそう思っているのではないか。
次は何をくれるのかとおねだりがしたくて、知り合いの姿を見せていたのか。
餌をくれる人間だからと、僕を助けたのか。
餌をあげたら、どうなるのだろう。餌をあげなければどうなるのだろう。
柴犬は水面を見て、小さく唸っている。
おぞましさに震えながら、僕は、柴犬を見て、水路に蠢く黒い影のような手のようなものを見る。
僕はリードを握り直すと、一瞬、老犬が僕の顔を見上げた。
僕は、指先が痺れるのを感じながら、そっと、リードを離した。
今は、これだけ。
次はもっと……
2025夏ホラーイベントのテーマが「水」でしたが、間に合いませんでした。