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RETICULE  作者: 有端 燃
2/26

Ghost

 内ポケットで震えるスマートフォンが、妻からの着信を告げていた。本山(もとやま)は受話器のマークをタップしながら、反射的に腕時計を確認する。八時四十五分、始業時間にはまだ余裕があった。

 エレベーターフロアからUターンして、喫煙所に向かう廊下で電話に出る。

「おはよう。どうかしたのか?」

 妻の裕子(ゆうこ)は、子供の冬休みを利用し、数日前から新潟の実家に帰っていたが、今日の午後には帰宅するはずだった。

「それがね、架線トラブルとかで、まだ電車が動いていないの。帰りが少し遅くなるかもしれない」

「別に構わないよ。それより里沙は大丈夫かい?」

 一人娘の里沙(りさ)はまだ保育園の年長で、飽きっぽいからぐずっているかもしれない。

「平気みたい。おじいちゃんから貰った絵本を大人しく見てるわ。里沙と替わる?」

「いや、大人しくしているならいいよ。迎えに行くから、東京駅に着く前にLINEして」

 電話を切ると、自販機で缶コーヒーを買い、マルボロに火を点けた。

 裕子達が乗る電車は、有名なデザイナーが内外装をデザインした、豪華な客室や食堂車を連結した特別列車『風雅』だった。来春からの正式運行を目指し、月に一往復、東京~新潟間を約六時間かけて試験運行している。

 食堂車には三つ星レストランのシェフやソムリエが交代で乗り込み、往復で違う料理や飲み物を提供するほか、メニューも毎月旬のものに変えている。また、客室乗務員全員も一流ホテルで半年以上研修を受けていた。

 試験運行当初は中々乗車券が買えずプラチナチケット化していたが、運行本数が増えるにつれて買いやすくなっている。

 それでも非売品の限定グッズが付くこともあり、裕子と里沙の二人分で往復約十三万円と高額だったが、本山は単身赴任が多く家族サービスを殆どしていないため、罪滅ぼしのつもりで支払った。

 裕子は、休みが取れるなら一緒に行こうよと誘ってくれたが、二名のボックス席しか取れなかったと言い訳をして断っていた。義父に会いたくないとは言いにくい。


 外務省の外郭団体に所属する本山は、小さな商社を隠れ蓑に海外でグレーゾーンの仕事をしている。アフリカや中南米、東南アジアの発展途上国に日本の企業が進出する際、現地の政府や住民の反発にあわないよう、事前工作を行ってきた。最も、事前工作という言い方は、仕事内容を考えるとかなり上品な表現だろう。

 本山がタバコを止めない理由も、この仕事にあった。国や地域によってはマルボロは通貨代わりに使えるし、賄賂としても有効だ。

 一年前にアフリカ南西部の小国ロウドから帰国した本山は、特殊法人に出向という形で、次の出張先である東南アジア某国のデータ収集をしている。

 エアコンがヤニ臭い空気を攪拌する喫煙所で、缶コーヒーを飲みながら二本目のマルボロに火を点けた時、再びスマートフォンが振動した。覚えの無い番号が表示される。

「はい」

 幾度となく危ない橋を渡ってきている本山は、用心して名乗らずに出た。

「モトヤマさーん、久しぶり」

 本山とは対照的に、明るくフレンドリーな声の主。

 赤茶けた風が舞う乾季と、乾いた大地が泥濘に一変する雨季。貧しくても逞しく生きる人々が、全身から出血して次々と倒れていく地獄絵図。血塗られたアフリカの記憶がよみがえる。

 心臓が凍りつき、本山の手からスマートフォンが滑り落ちた。

 生きているはずがない。呆然とする本山の足元に転がったスマートフォンからは、ロウドからの()()が呼びかけ続けていた。

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