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第六十四話 闇夜

 メシアが去ってから数時間が経ち、深夜。イーストウィングの奥にある小高い丘の公園の中で、オレは一人ベンチに腰掛けて佇んでいた。


 公園の中央。オレの正面にはログハウスがあり、その中にはユーリ達やテレジアさんがいる。まだ眠っていないのか窓からは部屋の灯りが飛び出しており、その光が公園を淡く照らしている。


  ────天に祈るな!! 神を捨てろ!! 救いなんざありはしねぇ!!!


 頭の中であの男の声がずっと響いている。


「共感しているのか……」


 それは非常に簡単な理由だった。なかなかどうして、オレは奴らの言葉が間違っていると思えない。


 むしろ共感している。


「…………」


 ふとしたとき、オレの中である一つの疑問が突然浮かび上がってきた。


 ────オレが求める神って、何だ?



 気晴らしに夜風に当たろうと外に出てみると、僕は思いがけずベンチで一人物思いに耽っているスルト君を見つけた。


「────こんなところで何をしている?」


 声を掛けるとスルト君は力なく顔を上げる。ログハウスの灯りが照らしたその顔は酷く憔悴していて、誰が見ても危うい状態だと言えるものだった。


「シュプリさん……」

 

 不安と怯えを孕んだその声を聞き、自分の役割を理解した僕は彼の隣に腰掛けた。


「傷はもう、大丈夫なんですか」

「問題ない。頭の包帯も三日後には取れる。それで、君はここで考え事でもしていたのか?」


 まず問いかけるとスルト君は静かに頷いた。


「差し支えがなければ教えてくれないか?」

「…………神について少し」


 それは人によっては馬鹿馬鹿しいと感じるようなものだ。特に僕がいた世界であれば小馬鹿にする人間が一定数いるだろう。


 しかしここはジャスティティア。神という存在は当たり前であり、地球よりもずっと身近で偉大である。故に神という存在が持ち合わせる意味は比べようもなく重たいのだ。


 そんなジャスティティアにおいて、スルト君は神に対する疑問を抱いている。それはきっと、僕では想像すら出来ないような複雑で重大な問題だ。言葉選びを間違えれば地雷を踏むだろうということは容易に想像がつく。


「それはアークやテミスといった特定の存在ではなく、概念としての神という解釈で間違いはないな?」


 彼はこくりと頷いた。


「神は果たして、何を以て神と呼ばれるのか?」

「……」

「人智の及ばぬ力を持つ上位存在だってのは分かります。じゃなきゃ誰も崇めたりなんてしませんから」

 

 スルト君が考え込むように口を閉じる。僕は黙って、彼の口が開くのを待ち続けた。


「アークにテラー………………そしてテミスも、それぞれ異なる概念を司る神として知られています。その力の加護を受けるために、或いは救いを求めて人は神に祈りを捧げている。────それで本当に救われた人間をオレは見たことが無い」


 その言葉は鉄パイプで殴打したような衝撃を僕の脳にもたらした。


「…………」


 その衝撃で浮かんできたのは亡き親友の顔。誰よりもアークを崇め、祈り、そして救われなかった僕の親友。


  ────私はどうすれば良かったんだ…………!!


 ジョセフの慟哭を思い出して、僕はスルト君の言葉に共感した。


「オレ自身もそうだった。正義の女神(テミス)を敬愛し、深く祈りを捧げていた。その結果オレは十万人を虐殺した悪魔になって、親友も恩師も失った」

「……」

「そこでようやくテミスが正義を語るに値しない存在だと気づきました。だからオレは国を飛び出して旅に出た。真に正義を司る神を探すために」


 点と点が繋がって線になった感覚があった。鉛よりも重たい吐露に解はあった。


「テミスは神ではないと?」

「断じて」


 素早く強い返答に僕は確信を得る。


「最近はもう、神が実在するのかすら疑ってしまう。仮に実在するならば、さっさとオレに裁きを下すべきだ」

「……決して、君を責め立てるわけではないが…………親友と恩師を失ったことこそが君に下された裁きではないのか?」

「だとしたらオレはテミスを殺しますよ」


 そのとき、初めてスルト君と目が合った。


「己の役割を放棄した上に罪なき人々を見殺しにするだけでは飽き足らず、関係のない人間まで巻き込むなど、最早邪神の所業でしょう」


 放たれる殺気にも近い重圧に僕は思わず震えそうになった。


 彼の琥珀の瞳に灯る黒い炎があまりにも恐ろしくて、ある種の狂気すら感じてしまった。


「まぁ、存在しないなら殺すことなんてできませんけどね」


 フッと、彼は自嘲するように笑った。黒い炎が錯覚であったかのように、圧力は消え失せている。


「なるほど……」


 僕は覚悟を決めて彼と向き合った。


「これはあくまで僕の主観だが──────神の本質とは納得だ」

「……納得?」

 

 スルト君はやはり食いついてくる。その目には好奇と、一抹の不信が見て取れる。


「人は何事にも納得を求める生き物。到底受け入れ難い事実も納得すればあっさり受け入れるし、その逆もまた然りだ。自分が納得できたものだけを受け入れ、納得できないものは徹底的に排除しようとする。────今の君もそうだ。自分が納得出来ないものを否定するために、君は神を求めているのだろう?」

「……」

「テレジアが言うにはアークもテミスも実在する神らしいが……実在するか否かはさほど重要なファクターではない。嘘でも誠でも、人は納得できればそれでいいのだから」


 真っ赤な嘘でも納得してしまえば人はそれを事実と認識する。どんな嘘でもそれっぽく説明できれば事実になるし、どんな事実も嘘になる。知性を持ち、物事について理由を考える人間だからこそ起こる現象だ。


「納得……」


 スルト君は黙りこくっている。俯いているのは考え込んでいるからなのか、それとも期待外れな解答に失望しているのか。僕には分からないが、彼の脳内で思考が加速していることは理解できる。


 僕はただ彼の口が開くそのときを待った。


「確かに、オレはテミスを否定するために神を探し求めています。アンタが言った通り、自分が納得するためで間違いない。…………だけど、多分それだけじゃないんです」


 間もなく、スルト君が顔を上げる。


「自分でもよく分からないけど…………もっと別の、何か大きな理由がある気がする」

 

 言い切ると、スルト君は大きく息を吐いた。


「考えれば考えるほど分からなくなる……一朝一夕では無理そうです」

「…………すまない。君の求める答えを提示できなかったようだ」

「いえいえ。むしろありがとうございました。お陰で胸がすきました」

  

 スルト君は薄くだが、憑き物が落ちたような爽やかな笑みを浮かべていた。


「…………焦る必要はないんだ」


 星の無い夜空に手を伸ばした彼の横顔を見て、僕は自分が上手くやれたことを理解した。


 もう心配はいらないだろう。僕は途中から密かに起動していたボイスレコーダーを取り出し、録音を終了させた。


「え」


 僕の手に握られたボイスレコーダーを見たスルト君が目を丸くしていた。


「騙すような形になってしまってすまない。……だが君、あの二人に正体を偽っているんだろう?」

「それは────…………」


 カナエ君たちはスルト君のことをヴェルトと呼んでいた。その理由は、言うまでもない。


「気持ちは分かるが、君の正体は最早隠し通せるものではない。実際、二人とも勘づき始めているぞ?」

「……」

「あの二人と出会ってどれくらいなんだ?」

「……二カ月です」

「ならば猶更だ。早く本当のことを打ち明けなさい。無理に隠そうとすれば、信頼は呆気なく不信に転じるぞ」


 スルト君は額に手を当てて俯いた。軽く歯噛みし、うんうんと唸っている。


「大丈夫だ。あの二人は色眼鏡をするタイプじゃない。むしろ真実を話してくれて嬉しいと喜ぶんじゃないか?」

「そう、ですかね」

「そうだとも。というか、あの二人がどんな人間なのかは君の方が知っているだろ?」

「…………」


 スルト君はまだ躊躇いがある様子だった。無理もないだろう。彼にとって自分の正体を明かすということは、罪を告白するということなのだから。


「どうしても決心がつかないと言うなら、僕がこのボイスレコーダーを二人に渡してもいいが」

「────分かった。分かりましたよ。自分の口でちゃんと言います」


 スルト君は困ったように笑いながら僕の言葉を制止した。


「では今すぐ行って来い。二人ともまだ起きているから」

「ハハ。アンタも大分強引な人だな」


 話し合いもそろそろにしてスルト君は立ちあがった。ふわりと肌を撫でる風の冷たさに急かされるように、彼はログハウスへと歩を進める。


 しかし、突然立ち止まった。不思議に思って見ていると、何故かスルト君は踵を返して戻って来た。


「すみません。先に一つだけ言わせてください」

「?」

 

 すると彼はいきなり僕の右手を両手で掴んだ。


「オレはアンタを尊敬している」


 それが握手だと理解したのはスルト君の力強い声が聞こえたからだ。心の底から尊敬してくれていることがよく分かる声だった。


「アンタは誰かの大切な人を助けることが出来る人間だ。…………これからも色んな人を助けて、色んな人から感謝されてくれ」

「……言われるまでもないさ」


 スルト君は破顔した。満足したのか手を離し、深く頭を下げてからログハウスへと入っていった。


「…………悪いがその約束は守れそうにない。────僕はもう、誰かを助けたいとは思えない」


 テレジアたちに気付かれないよう注意を払いながら、僕はイーストウィングを出た。

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