第百三話 獣人国ラオ
獣人国ラオ。
それは比較的小規模な国でありながら、デザイア連合国に匹敵する屈指の観光大国である。
ラオには病院や図書館といった公共施設以外の建造物が殆どなく、あるとすれば観光客向けの宿くらいのもの。代わりに立ち並ぶのは屋台で、あちこちからお腹が減るような飯の匂いが漂ってくる。
道は舗装されていないが、長年の人の行き交いのせいか土が平らに均されていて歩きやすい。耳を澄ませば、祭囃子とどんちゃん騒ぎが聞こえてくるだろう。
右を見ても、左を見ても、活気と音楽と熱気であふれている。
そして道行く人々の大半は、獣のような耳と尻尾が生えていた。
「もふもふがいっぱい……!」
ラオに到着したスルト一行。開口一番に目を輝かせながら声を弾ませたのはカナエであった。道行くライカードの揺れる耳と尻尾が何かしらの琴線に触れたようで、冷静沈着が似合ういつもの彼女からは想像も付かない妙なテンションになっている。
「相変わらず、この国は暑くてかなわんな……」
カナエとは対照的に気だるそうな声を発するのはヴィンセント。本来深い森に住まうアールヴの身体は、直射日光に対する耐性が低い。加えてギンヌ大火山から発せられる地熱によって常に蒸し暑いラオの気候は、森を出て長いヴィンセントにとっても厳しいものであった。
「お水いりますかお水? 買ってきたのありますけど」
「すまないな……」
ユーリが差し出した水を受け取ったヴィンセントは勢いよく飲み干した。その様子を見たスルトは小さく息を吐く。
「屋内なら多少は涼しくなるはずだ。さっさと行くぞ」
ライカードの耳尻尾に夢中で話を聞いていなかったカナエを除けば、スルトのその言葉に反対する者は一人もいなかった。
「もふもふ……もふもふ……」
「お前はいい加減戻ってこい」
「ハッ……!」
スルトに頭を小突かれたカナエは正気を取り戻した。
「迷子になっても知らねぇからな」
カナエに釘を刺しながら、スルトは道を右に曲がろうとした。
「あ! そっちの道じゃないですよ!」
ロタが慌てた声で指摘する。
右を進もうとしていたスルトの身体が石化したように硬直した。
「…………」
ギギギと、油が切れたブリキのような動きでスルトは振り返った。
「宿は右じゃなくて左です」
ロタが左の道を指差すと、スルトはまだブリキのような動きでロタが指差した方向へ顔を向ける。
(ユーリ少年。彼はひょっとして方向音痴なのかい?)
(いやぁ……まぁ、多分そう、かも……?)
ヴィンセントが囁き尋ねるが、ユーリは困ったような顔で言葉を濁した。
数秒の気まずい沈黙が流れる。
「初めて来る場所は土地勘ないから迷うよねー。うちもデザイアで百回くらい迷ったもん」
カラカラと笑いながらフォローを入れたのはヒルデであった。気まずい空気を物ともせずに言いのけたその強心臓に、ユーリが畏敬の眼差しを向ける。
「宿までうちらが案内するねー」
「…………頼んだ」
自分が情けなくなったスルトは、少しだけ肩を落とした。
♢
ロタ・ヒルデの案内の下、ようやく宿に到着したスルト達は先にラオで待機していたフリスト・カーラと宿のロビーで再会を果たした。
「カナエー!! 会いたかったぞー!!」
邂逅一番、ロビーで待ち構えていたカーラが満面の笑みでカナエの肩をバシバシ叩いた。
「ちゃんと飯食ってるかー!」
「朝ごはんに焼きそばパン二つ食べたよ」
「太るぞー!!」
「うるさい」
掛け合いの最中も二人は笑っており、久方ぶりの再会を喜んでいることがよくわかる。
「こ、これはッ!!」
ユーリはというと、温泉から上がってきたばかりらしい若い女のライカードに鼻の下を長くしていた。
「浴衣で色気が一層増して……こ、これがライカードなのか……!?」
ユーリの視線に気付いた女ライカードは、猫のような尻尾を揺らしながら悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「にゃん♪」
猫のポーズをとりながら、ユーリに向けてウィンクする。
「カハッ!!」
ユーリは吐血した。
「ユーリ少年!?」
吐血したユーリにヴィンセントが慌てて駆け寄った。女ライカードはクスクスと笑いながら優雅にロビーから去っていく。
「わ、我が生涯に一変の悔いなし……」
「ユーリ少年!! 死ぬな!!」
ユーリは真っ白に燃え尽きた。
「悔いる前に恥晒しだから」
「エロガッパー」
ロタとヒルデは、ユーリに冷たい視線を向けていた。
「ヴェルト……久しぶり」
そんな光景をよそにフリストはスルトの手を握って少し嬉しそうに笑っていた。
「貴方に会いたかった…………ずっと……」
「お、おう……」
まるで遠距離恋愛でもしているかのような距離感である。ここまで好意を向けられている理由に全く心当たりがないスルトは困惑するほかなかった。
「ムッ……」
その様子を見たカナエは途端に機嫌を悪くする。
「おぉカナエ? どうした急に?」
何も知らないカーラは首を傾げる。
「…………なんでもない」
「?」
ぶっきらぼうに返答したカナエはスルト達から目を反らすと、誤魔化すようにカーラの頬を手で摘まんで遊び始めた。やはり何も知らないカーラは、されるがままにされていた。
「と、とりあえず部屋に荷物を置いてくるから、話はまた後でさせてくれ」
「うん…………これ、貴方の部屋の鍵」
「あぁ……あ、ありがとう」
カナエの無言の圧を察知したスルトは会話を打ち切り、フリストから部屋の鍵を受け取るとそのまま逃げるようにして階段を上った。
「なんであんなに懐かれてるんだ…………?」
階段を昇りながらスルトは思考するが、やはり心当たりがない。強いて言うならフリストの眼の色が己と同じ琥珀色なことくらいだが、余りにも無理筋であることは彼自身分かり切っていたのですぐに切り捨てる。
(それになんていうか……)
逆に、スルトがフリストに対して思うことは一つあった。
(妙に懐かしい感じがしたな)
フリストと再会したとき、スルトは懐かしさを覚えた。約二ヶ月ぶりの再会であるので不自然なことではないが、スルトが覚えた懐かしさはそういったものとはまた別の何かであった。
(遠い昔に出会ったことがあるような────)
考え事をしていたせいだろうか。スルトは階段を登り切った矢先に、角から歩いてきた人物とぶつかってしまった。
「おわっ!?」
「お」
驚いたような反応を見せたのは相手の方だった。反応が遅れたスルトは一瞬何が起きたのか分からなかった。
「テメェどこ見て歩いてやがんだ!! アブねぇだろ!!」
「ッ、すまん。考え事をしていた」
理解が追い付いたスルトは過失を認めてすぐに謝罪する。
「────なっ」
しかし相手の姿を視認した瞬間、スルトは目を見張ることになる。
虎のような耳と尻尾に、2mは超えるであろう背丈に筋骨隆々な肉体。体格だけならアイアンパンツァーにも劣らない。サングラスを掛けているので顔の詳細は分からないが、放つ覇気や体格のせいで威圧感が凄まじい。
一見すると男のように見えるが、低い声の中に感じられる特有の響きや。肩口まで伸びるくせ毛は黄色と黒が虎柄のように入り混じっており、格闘技のコスチュームに酷似した衣装から露出した両腕には今にも動き出しそうな迫力を持った虎のタトゥーが彫られている。
「お前は────」
その虎のライカードを、スルトは知っている。
「ンだテメェ? 何見てんだコラ」
────四級ハンター、コンシャオロン。
大陸対魔組合の頂点[調王評議会]との司法取引によって釈放された元一級ハンターが、サングラスを外してスルトを睨みつけた。




