第九十七話 残り香を抱いて
不思議な夢を見た。
『目を開けて、エルド』
ふわふわとした感覚の海を揺蕩う僕に話しかけてくる声が一つ。
言われた通り目を開けると、そこは暗い荒野のど真ん中で、目の前には幼い少年がいた。
その少年は全身が黒い靄に覆われていて輪郭が不定形だ。それでも僕が少年と形容したのは、声の特徴と大まかには読み取れるその立ち姿の印象が少年というべきだったからだ。
「誰だ」
僕は目の前の少年に問いかけた。
『覚えてないの?』
目の前の存在は純粋に不思議そうな声で聞き返してくる。それを受けて僕は記憶を掘り起こし、該当するものがあるか調べてみるが、分からない。
「覚えてないも何も、初対面だと思うが?」
『ううん、違うよ。僕らは確かに出会っているよ』
目の前の存在は首を横に振った。
「誰かと勘違いしていないか? 僕はお前のことなんか知らない」
『……この姿じゃわからないか』
「?」
僕が尋ねると目の前の存在は何かを呟いたが、よく聞き取れなかった。
『とりあえず聞いてエルド。君に────』
「いや、ちょ、ちょっと待って……そもそもこの状況はなんだ? 話を聞く前にまずそこから教えてくれ」
僕は片手を前に出して目の前の存在を一旦止めた。
この状況は一体なんだ? 何が起こっている?
夢にしては感覚がリアルすぎる。それに目の前にいるこの黒い靄に覆われた少年は何者だ?
初めて出会ったはず。なのに、一体どうして既視感がある?
『言葉で説明すると難しいけど……ここはある種の避難所だよ。四千年前の戦争で肉体を亡くした僕の同胞たちが創りあげた集合夢さ』
集合夢、という表現はあまりよくわからなかったが、僕は四千年前の戦争という単語には心当たりがあった。
「四千年前の戦争って……まさか神代の黄昏のことを言ってるのか……?」
自分で言ってから気付いた。
今、自分はとんでもない状況に出くわしているのではないかと。
何か侵してはならない領域に足を踏み入れようとしているのではないかと。
『うん。それで間違いないよ』
何であれ、少年は僕を肯定した。
それはつまり、この少年が神代の黄昏を経験した存在であるということだ。
『怖がらないで、僕は味方だ』
途端に、僕は恐ろしい感覚を覚えた。
『君と陛下の味方だよ』
目の前にいる存在が急に得体のしれない化物のように見え始めた。
『……ごめんね。僕は、リルカを守れなかった』
少年の口から飛び出してきた、この場で出てくるはずがない彼女の名前を聞いて僕は心臓を握られたような感覚に襲われた。
「お前は、なんなんだ?」
この少年は何者だ?
「何でお前からリルの名前が出てくるんだ? お前は何者で、何しに僕に干渉してきた? 守れなかったって、なんだよ? …………お前はリルの何だ!! 何でお前が守るとかどうとか言ってるんだよ!!」
さっきからまるで状況が進展していない。
衝撃的な話を突きつけられただけで、この少年の正体に関しては何も判明していない。
僕にとって重要なことが何一つ分かっていない。
そのくせコイツは主導権を握ろうとしてくる。
不愉快だ。
「余計なノイズを喋るな! 僕に必要なことだけを搔い摘んで話せ! お前自身はどうでもいい!」
少年は沈黙した。
黒い靄に覆われて顔が見えないはずなのに、なんとなく悲しそうな雰囲気を感じとった。
「……すまない、少し言い過ぎた。だけど今の僕には考える余裕がないんだ。だから、もっと簡潔に説明してくれないか」
『……うん』
少年はぽつぽつと話し始めた。
『────スルト様は、陛下の……ユミル王の転生体だ』
少年の語りはその一言から始まった。
『スルト様は陛下の生まれ変わりなんだ。四年前、君たちにとってはニヴルヘイムで僕と遭遇したのは偶然かもしれないけど……僕からすれば必然だったよ』
「ニヴルヘイム……?」
記憶がフラッシュバックする。
四年前。
ニヴルヘイム。
そこから導き出せるのは特別訓練の記憶だ。
そして僕らが遭遇した存在。
全ての点が繋がった。
「お前、スレイプニルか……!!?」
『うん! やっと気付いてくれたね』
少年────スレイプニルの声色は歓喜の響きに満ちていた。
『スルト様の傍にいた君たちを見た時、僕はてっきりスルト様の僕なのかと思ったけど……友達なんだよね?』
尋ねられたその刹那、僕の動揺が全て消し飛んだ。
「違う、親友だ。ただの友達じゃない」
『うん、うん。勿論知ってるさ』
そういうと少年は嬉しそうな笑い声を洩らした。
『……でも、僕の楯は彼女を守れなかった』
「……」
『スルト様の親友を守れなかった』
その声はさっきとは打って変わって後悔の色が滲み出していた。
『陛下からスレイプニルの名前を賜った時、僕は約束したんだ。陛下の大切なものは全て僕が守るって! ……でも僕は、神代の黄昏で陛下を守れなかったし、結局リルカも守れなかった』
それが彼の懺悔であることは言うまでもない。
スレイプニルが抱えていた四千年の後悔、無念、悲壮。
その全てが言葉の中に押し込められていた。
「それは僕も同じだよ」
そんなスレイプニルに僕は共感を覚えていた。
「リルの目の前にいたのに……僕は何も出来なかった」
僕は死ぬまで、死んでも悔やみ続けると思う。
「あのとき、僕が咄嗟に動けていたら、彼女は死なずに済んだんじゃないかって……今でも夢に見るんだ」
目が覚めた時、いつも取り返しのつかないことをしたと後悔する。
おかげで最近は専ら睡眠不足だ。
『…………一つ、お願いがあるんだ』
おもむろにスレイプニルがそんなことをいいだした。
『これからは、君がスルト様を守ってくれないか』
「…………え?」
唐突な提案に僕は困惑を隠せなかった。
『僕は……スルト様のことを殆ど知らない。陛下の転生体としてしか見れていない気がするんだ。君たちのことだって、この間までスルト様の僕だと思い込んでたから』
「……」
『でも少し前に、王国の方からスルト様の激しい霊力を感じたんだ』
きっとスレイプニルが言っているのは、スルトがテミスの神像を破壊した時のことだろう。僕も同じものを感じ取っていた。
『怒りに満ちた霊力だった。陛下からは一度も感じたことのない激しい怒りだった。でも、スルト様は確かに怒っていた』
「そこから認識にズレが生じたと?」
『うん……スルト様と陛下は似ているだけで違う存在なんだって気が付いたんだ』
段々と、段々と理解が進んできた
スレイプニルと僕は同じなんだ。
スレイプニルもまた、もうどこにもいない存在の幻影を探し求めている。
リルの幻影を追ってしまう僕と同じように。
もう存在しないと分かっていても、その残り香を探さずにはいられないんだ。
『でも、僕の中には、まだスルト様を陛下と見なしている僕がいる。そんな色眼鏡をもった僕じゃ、真の意味でスルト様を守ることは出来ない。…………むしろ、僕がリルカを守れなかったのはその色眼鏡のせいじゃないかって』
スレイプニルの震えた声に僕は少し胸の奥が痛くなった。
『それにスルト様は、僕のことを覚えてない。…………だから僕よりも、親友のエルドに守られる方がスルト様も嬉しいんじゃないかって』
スレイプニルの声はとても苦しそうだった。何かをひたすら歯を食い縛って我慢しているような感じがした。
「お前は本当にそれでいいのか?」
『よくない!!』
伺ってみるとスレイプニルは食い気味に反応した。その一瞬だけ目の前の小さな少年からニヴルヘイムで邂逅したときのような強い圧力を感じたが、すぐに委縮してしまう。
『だけど、僕は……スルト様と陛下を切り離せないんだ』
スレイプニルは繰り返し同じ理由を口にする。
「理解出来ない」
『……え?』
「同じとか、同じじゃないとか、そんなのどうでもいいだろう?」
スレイプニルは押し黙った。
「お前はスルトを守りたいのか、それとも守りたくないのか、どっちだ?」
『守りたい!! 守りたいに決まってる!』
「じゃあ素直に守ればいいじゃないか。かつて果たせなかった約束を今度こそって、意気込むべき所だろ? …………それともあれか? お前はその悩みを言い訳にして僕に全ての責任を擦り付けようとしているのか? もしもスルトが死んだとして、それは僕が守れなかったからだって言い訳できるように」
『それは────』
「違うとでも?」
スレイプニルは図星を突かれたように押し黙った。
……また言い過ぎたかもしれない。
「…………ごめん、また言い過ぎた」
リルが死んでからどうも、他人に対する配慮というものを考えることが面倒になってしまっている節がある。他人に当たっても現実は変わらないというのに。
『…………謝らないで。多分、全部本当のことだから……』
スレイプニルはか細い声で僕を肯定した。
言いぶりからしてやはり本人も自覚していない逃避行動だったようだ。
『────ありがとう、エルド。目が覚めたよ』
沈黙の後に発せられたスレイプニルの声は決意と信念に満ちていた。
『僕はもう逃げない。スルトもエルドも守って見せるよ』
「…………どういたしまして」
『だからエルド、君にこれを託すよ』
おもむろにスレイプニルがその小さな両手を僕に差し出した。
どこからともなくやって来た蒼白の光がスレイプニルの手の中に吸い込まれていく。風と共に収束する光の束は見る見るうちに数を増していき、やがて見覚えのある形を取り始めた。
『リルカの意志を継いであげて。これはエルドにしか出来ないことだから』
差し出されたのは、リルの霊装。彼女が生前愛用していた大楯だった。
氷と雪に酷似した物質で構成されたその大楯は触れたものを全て凍り付かせる力を持ち、そしてリルの背丈と丁度同じくらいの大きさを持っている。
手に持ってみると、大楯は淡い燐光を放った。
重さは不思議と感じない。これなら片手でも持てるだろう。
「僕は必ずやり遂げる」
『うん。僕もそう信じてる』
スレイプニルは、きっと微笑んでいるはず。僅かだけ弾んでいるその声から黒い靄に隠されたその表情が読み取れた。
『…………そろそろ時間だ、エルド』
スレイプニルが改まったような声で告げた。
『だから最後に一つだけ』
そんなスレイプニルの声につられて、僕も少し姿勢を正して耳を傾ける。
『テラーのことを信じちゃダメ。アレは全ての元凶だ』
その言葉を聞いた瞬間。
僕は気づけば、ベッドの上にいた。
♢
見慣れた天井が視界に広がっている。
言わずもがな、これは僕の部屋の天井だ。
ここはもう荒野の世界の中じゃない。
つまり夢から目が覚めたんだ。
僕はすぐに理解した。
それには何の前兆も存在しなかった。眠りに落ちる瞬間が知覚できないのと同じように、目覚めもまた知覚不可能な一瞬の出来事だった。
「…………」
上体を起こして部屋を見渡せばいつもの光景がそこにある。
聞えてくるのも聞き慣れた鳥のさえずり。窓から差し込んでくるのは朝日の温もりと光の眩しさ。僕の五感を通じて伝わってくるのはいつも通りの朝だった。
そんないつも通りな朝の中で、ある一点だけがいつもと違っている。
「…………ハハ」
僕はこの間壊してそのまま地面に放置していた時計の傍に、リルの大楯があった。
それは部屋の壁を支えにしながらしっかりと立っている。
「変な夢じゃなかったんだな」
そんな感想を口にした後、僕はぼーっとリルの大楯を見つめていたのだが、やがて思い立ち、ベッドから起き上がると壊れた時計を拾い上げた。
「……」
時計の針は動かない。
手で針を巻き戻そうとするが、針はビクともしない。
逆に針を進めようとしてみると、不思議なことにすんなりと針は動かせた。
僕は時計を少し撫でた後、それを机の上にそっと置いた。
「そろそろ立ち直らないとな」
言い聞かせるように呟いた後、僕はスマホである人物にコールを掛けた。
ツー、ツーと音が鳴る。やがてプツッと音が途切れる。
すぐに声が聞こえてきた。
『おはようエルド。こんな朝早くからどうしたんだ?』
「おはようございます、団長。急で申し訳ないのですがお願いしたいことがありまして」
本題に入る前に、僕は自分に問いかけた。
今の僕に、その覚悟があるのか?
「オリガ・ノーゴットと面会させて頂きたい」
大丈夫。今の僕にはそれが出来る。
「…………構わないが、大丈夫か?」
「ご心配には及びません────」
今の僕なら、ちゃんと耳を傾けられる。
お久しぶりです。
インフルでダウンしており、少し休ませてもらっていました。
申し訳ありません……
そしてここからは、これまた久しぶりの補足。
もう分かっている方がほとんどだと思いますが、ユミル王=ギガント族の王です。
ただしこれは『ビフォー・T・ジャスティティア』には記されていないため、エルドはユミル王がギガント族の王であることに気付いていません。




