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第九十四話 Ave Maria

「私はずっと信じてたのに……!!!」


 強い呪詛の籠った言葉と共に刃がより深くリルカの胸に押し込まれる。元々根本近くまで刺さっていた刃はこれによって完全に限界まで押し込まれ、ついにはその切っ先が背中から飛び出した。


 傷口は途端に刃と同じ黒色に変色し始める。インクが滲み出すようなじんわりとした変化のせいか、リルカは吐血した。


 その有様をすぐ目の前で目撃したエルドは頭が真っ白になって、強烈な立ち眩みを起こしたような感覚に陥った。明滅する視界が揺れて、全ての音が水中にいるかの如く遠のいていく。


 当のリルカは茫然した表情のままであった。視線だけはオリガを真っすぐ見ていて、何が起こったのか理解しているのか理解していないのか、よくわからない目である。


 ただ、オリガを抱きしめていた腕が緩んで、今にも地面に落下しそうになっていた。


「お前のせいだ!!!」


 それでも、オリガの慟哭だけはやけにはっきりと聞こえていた。ただ一つはっきりと聞こえるその声から、エルドは、さながら謎を推理する名探偵のようにして事態を紐解いていく。


「お前が誰も守らなかったから!! お前が嘘をついたから!!! お前のせいで皆死んだ!!!」


 次第にエルドの視界はリルカとオリガ以外の全てを遮断するようになり、そして聴覚は怨嗟に満ちた金切声だけを聞き取るようになる。


「お前が死ねばよかったんだ!!!」


 その一言が発せられた刹那、どす黒いものがエルドを支配した。


 考えるよりも先に身体が動く。


 気づけばオリガの背後に回っていた。


「この人殺し────」

「黙れ」


 エルドの意志に反して言葉が飛び出した。その絶対零度の声色を聞いたオリガの肩がビクッと跳ねる。


 意識が逸れたことでオリガの霊臓ソウルハートが途切れ、リルカを貫いていた黒い刃が霧散したその瞬間に大量出血が始まった。


「黙れ!!!」


 エルドの意志に反して作られた握り拳はオリガを貫きたがっている。


 振り返り、エルドの血走った翡翠色の瞳に睨まれたオリガは、たちどころに怯えに支配された。


「エルド!!!!」

「ッ!?」


 オリガの顔面をエルドの拳が貫こうとしたそのとき、突然リルカが怒声を発した。


 それだけでエルドは金縛りにでもあったかのように動けなくなり、どす黒いものは消し飛んだ。


「なんで止める!!!!」

「ひっ……」


 自分が怒声をぶつけられる意味が理解できず、エルドも同じように怒声を返した。オリガの眼はすっかり怯えに染まり切り、あまりの恐怖で荒くなった息はもう殆ど過呼吸状態に陥っている。


「コイツはお前を」


 次にリルカが取ろうとした行動を察したエルドは、ハッとなって言葉を失った。


「ごめんね……」


 それは、慈愛と後悔に満ちた抱擁だった。



 オリガのことを優しく抱きしめたリルカにエルドは動揺し、怒りに狂った翡翠色の瞳が驚愕によって見開いた。


「…………ぇ?」


 オリガの当惑が掠れた息となって吐き出される。故意か無意識か、オリガは自分を抱きしめるリルカの腕にそっと手を伸ばしていた。


「オリガちゃんと約束したのに…………私……守れなかった」


 息も絶え絶えに紡がれたのは謝罪の言葉。


 すぐ近くで聞こえた震え声は今にも消えそうな儚さを帯びていた。


「りるっ」


 その声を聞いたとき、エルドは理解した。


 リルカがもう助からないことを。


「なんで…………?」


 オリガは理解できなかった。


 なぜこの女は、私を抱きしめている?


「命に代えてでも守るって…………約束したのに……」

「違う、嫌だ……そんなの違う……!」

「私……最低だ…………」

「違う!!!」


 オリガは拒絶した。


「何であなたが謝るのよ!!!」


 予想と全く異なる言葉がリルカの口から飛び出していることが理解できなかった。


「何で私を恨まないの!!? どうして惨めに言い訳しないの!!? 善人の演技なんか止めてしまえ!! 「自分は悪くない」って、言えよッ!!!!」


 オリガは泣き叫んだ。抵抗するようにジタバタと暴れ、抱擁から抜け出そうとする。力いっぱい、背中の傷を何度も殴りつけるが、リルカは抱きしめる力を緩めなかった。


「ごめんなさい」


 ただ一言、もう殆ど掠れた声でリルカは言った。


「嫌だ嫌だ嫌だ!!!! ごめんなさいなんか聞きたくない!!! 聞きたくない!!!!」

「リルカから離れろ!!!」


 癇癪を起したオリガを無理やり引き剥がしたのはアレキサンダーだった。動けなくなったエルドに代わって、アレキサンダーが事態に収拾を付けようとした。


「いやぁぁぁぁぁぁ────!!!!」


 オリガは発狂した。


 アレキサンダーに取り押さえられたまま、嘆きと後悔に満ちた慟哭をあげた。


 今になって自分が犯した罪を自覚したのだろう。だが、血濡れた両手はもう二度と元には戻らない。


 罪とはそういうものだ。



 エルドは街を奔走した。


 ただひたすらに北へ、国立病院に向かって、動かなくなったリルカを抱きかかえながら。


 ────オリガちゃんを恨んじゃダメだよ、エルド


 エルドはがむしゃらに走り続けた。


 段々と冷たくなっていく感触に気付かないふりをした。


 街行く人々はその猟奇的な光景に好奇の目を向けるが、エルドは気にも留めなかった。


 ────人はただ、善くあるべきだから


 ついに国立病院へたどり着いたエルドは、治療を受けに来た患者たちを押し退け、看護師たちの制止を無視してフラムトの元へ急いだ。


 尋常じゃない様子のエルドにフラムトは驚愕したが、事態をすぐに理解し、急いでリルカの治療に取り掛かろうとした。


 しかしその手でリルカの身体に触れた瞬間、フラムトは何かを察したように目を見張った。


 それから数秒の沈黙が流れた後、フラムトは静かに首を横に振った。


 ────愛してる


 AC3998年 13月31日 リルカ・イエスマリア 死亡

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