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【短編】暴力系幼馴染に愛想を尽かし“絶縁“を言い渡してから十余年──。『剣聖』で『騎士団長』にまで上り詰めた彼女はもう一度、農民の俺に許しを乞いに来た。……俺はお前を、絶対に許さない。

作者: おひるね


「ほら、早くしなさいよ?」


 そう言うと幼馴染のカレンは風魔法と重力操作魔法を同時に発動させた。


 そして軽々と俺を宙に浮かせるとベッドでうつ伏せに寝転がる自らの背中に跨らせた。


「今日は腰のあたりを重点的にお願いねー」


 ここは俺の部屋。にも関わらずカレンは傲慢ちきな態度でベッドを占領してマッサージをしろと言ってくる。


「ちょっとマーくん聞いてるの? 疲れてるんだから早く揉んでよ?」


「俺だってな、畑仕事で疲れてるんだよ」


 俺の住む村では十三歳になる年に独り立ちをする。そのため今年から畑を与えられて作物を一人で育てている。


 まだまだ一人前と呼ぶには乏しく、カレンの相手をしている余裕なんてない。


 それなのに学校が休みの週末になると決まって必ず俺の家へと遊びに来る。


「あ、そう。わたしだって学校の勉強で疲れてるんだけど? そういうこと言っちゃうんだ?」


 無垢な笑顔で炎と呼ぶには禍々しい黒い何かを手のひらにジュワっと出した。


「ばか! それは洒落にならない!」

「あはは! さーん、にー、いーち」

「わかった! わかったからその黒いのをどうにかしてくれ!」

「はいはい。最初からそう言ってればいいのに。素直じゃないんだから」


 ふざけろ!

 素直な気持ちが嫌なんだよ!


 何度も嫌だと言った。

 何度もやめてくれと言った。


 それでもお構いなしに暴力と魔法で脅してくる。


 情けなくも農民の俺はビビってしまう。


 昔はこんな子じゃなかった。

 魔術の適性を認められて学校に通い始めてから変わってしまった。


 会いに来てやってる。

 仲良くしてやってる。

 友達で居てやってる。


 そんな雰囲気が全面に押し出されているんだ。


 別にもう来なくていいのに。


 会いたくないのに。


「ねぇ、マーくん? マッサージ! は・や・く!」


「あぁ、わかってる。やるよ」


 それでも耐えているのはどこかできっと──。


 かつてのカレンに戻ってくれると信じているからなのかもしれない。





 しかしそれから一年と経たずに、俺は限界を迎えることになる。


 それはカレンが魔術学校の中等部の次学年に上がったときのことだった。


 聞いた話では成績はすこぶる悪く初等部卒業も中等部への進学も危うかったらしい。そして次学年への進級もギリギリだったとか。


 そんな背景のせいかこの日はいつにも増して横暴な態度だった。


「ほーらマーくんお空飛んじゃったねー」

「や、やめてくれ! お、降ろしてくれぇ……!」


「ねぇー、このまま一緒に何処か遠くに行っちゃわなーい?」

「お、降ろせぇぇええ」


 俺は家の外を魔法で飛ばされおもちゃにされていた。


「や、やめでぐれぇ……降ろじでぐれぇ……やめぇ……ぇ」


 声が枯れるまで必死にやめてくれと叫んだ。

 しかし枯れるのは声だけではなくカレンに対する気持ちも枯れていくようだった。


 こいつはもうだめだ。

 

 このままではいつか俺は死ぬ。


 そう思ったとき今まで向き合いもせずに、それなのに頑なに守ってきた心の糸がプツンと切れたような気がした。


 そうして、その夜。

 俺の部屋のベッドを当たり前に占領するカレンに言った。


「出てけ」


「どしたのマーくん? ははーん。これかな? これが欲しくなっちゃったのかな?」


 そう言うと無垢な笑顔で手のひらに黒い炎を出した。


 脅し。


 もはや見慣れた光景だった。


「やりたきゃやれ! 殺してみろ!」


 突然の殺せ発言にカレンは驚いたような表情を見せた。


「ちょっとどしたの? 落ち着いて!」


「どうもこうねえよ。やりたきゃやれって言ったんだよ」


 俺の覚悟を察したのかカレンにはその覚悟がなかったのか、あたふたと焦り始めた。


「ちがうの! あ、あれはもう一人の私なの。そういう魔法があるの」


「本当か?」


「う、うん」


 ふざけやがって、この女!


「この期に及んで嘘までつくのかよ? お前わかりやすいんだよ。嘘つくときは目をそらす癖! ふざけんなよまじで? とっとと出てけ!」


「待って。今のは言葉の綾で、ついうっかり」


「うるせえ嘘つき暴力性悪女! 出てけ! 二度と面見せんな!」

「ごめん。マーくん……。お願いだから……そんなこと言わないで……これからは心を入れ替えるから……ねっ?」


 舐めていた。どこまでも俺のことを舐めていた。


 お前、俺を殺す覚悟もないのに今まで散々脅してきたってのか?


 塩、塩はどこだ。


 大急ぎで台所へと駆け、ありったけの塩を取り出す。


 そして思いっきり投げつけてやった。


「早く出てけよ! それともなんだ? お得意の魔法で家ごと吹き飛ばすか? やりたきゃやれ! 覚悟の上だ! 殺せ! 殺してみろーー!」


 数年に及ぶ思いが言葉になる。

 

 もう止まれなかった。


「そんなことしないよ……」


「だったら出てけよ? 早くいけ! お前は剣と魔法を覚えて変わっちまった。もう、お前の顔なんか二度と見たくねえんだよ!」


 再度、塩を投げつけてやった。


「だったらやめる。学校行かない。剣も振らないし魔法も使わない。だからそんなこと言わないで。側に居させてよ……」


 抗うこともせずに謝ってくるのか?


 ふざけんなよ?


「馬鹿言ってんじゃねえよ! それじゃまるで俺が辞めさせたみたいじゃねーかよ! 村八分にされちまうだろうが!」


「じゃあどうしたらいいの? どうしたら、許してくれる……?」


 ああ、どこまでも腹が立つ。

 どうにかすれば俺の気がおさまると思うこいつの態度に考えに、とてつもなく腹が立つ。


「知らねーよ。剣と魔法頑張ればいいんじゃねーの。そんで俺の前に二度と現れるな! わかったら返事しろ! これ以上、お前と話すことなんかなにもねぇんだよ!」


「……わかった」


 そう言うとカレンは俺の家から出ていった。


 あー、せいせいした。

 でもやけに最後は素直だったな。少し言い過ぎたか? いやいやあいつにされてきたことを思い出せ。


 どちらにせよ俺は農民であいつは将来有望な魔術学生様だ。


 これでいい。


 もう住む世界が違うのだから。




 じゃーな、カレン。











 +

 

 それから数ヶ月。

 俺は平穏な暮らしを取り戻し、どこか物足りなさを感じながらもこれで良かったんだと言い聞かせていた。


 そんなある朝、あいつは突如として現れた。



「マーくん! マァーくーん!」


 その声を聞いて悪夢にうなされたのかと思った。


 寝室の小窓を開けると、居た。


 なにやらトロフィーのようなものを手に持っている。


「じゃじゃーん! 中等部次学年の部の魔術大会で優勝しちゃいました! えへん!」


「へぇ~、すげーじゃん」


 不思議とこんな言葉が出てしまった。


 いや、これは違うなと思ったのだけど──。


「うん。それだけ、だから……」


 そう言うと玄関の前にトロフィーと賞状を置き、瞬く間に空の彼方へと消えてしまった。


「は?」


 なんだったんだ?


「いや、こんなもの置いていかれても、困るのだが」

 

 玄関に置かれたトロフィーと賞状を手にしてなんとも言い難い気持ちになった。



「いや本当に。これはいったい、なんなんだ?」


 






 +


 さらに数カ月後のある朝。


「…………──くーん!」


「はっ!」


 この感じ!


「マーくーん! マァーくーん!」


 また来やがった!


 眠気まなこで窓を開けると──。


「じゃじゃーん! 中等部次学年の前期考査で剣術、魔術ともに一位を獲得してしまいした! えへん!」


「へぇ~、すげーじゃん」


 またしても寝起きを襲われたからなのか率直な感想が第一声となってしまった。


「うん……。それだけ、だから」


 そう言うと前回同様に玄関前に賞状とバッチらしき物を置き、瞬く間に空の彼方へと消えてしまった。


「なんだよ。ただの報告かよ。なら別にいいか。いや、いいのか?」


 なんて疑問に思いながらも足は玄関へと向かっていてカレンが置いていった賞状とバッジを手にしていた。


「えーと、なになに? 剣術と魔術の中間考査でともに一位を獲得したものは学園始まって以来の快挙である。よって記念品のバッジを贈呈する、とな」


 こりゃ本当にすげぇわ。

 成績悪くて進級すらも危ういって聞いていたからか素直な気持ちとして驚いた。


「でもなんで、俺ん家の玄関に置いてくんだよ?」







 +


 そして二度あることは三度あるとはよく言ったもので、それからさらに数カ月後のある朝。


 あいつはまたしてもやって来た。


「マーくん! マァーくーん!」


 三回目ともなると次は何で一位を取ったのかな? なんて考えるようになっていた。


 そうして月日は流れ、季節は巡り。俺の家にはトロフィーや賞状、記念品の類でいっぱいになっていた。


 落第候補生だったはずが今では首席。

 いったいなにがどうなっているのか。


 聞きたいことはたくさんあるのになにひとつ聞けにずにいた。聞いてしまったらもう来なくなってしまうような、そんな気がしたからだ。


 そのせいか、そのためか。


 あの日から三年。

 中等部を卒業して高等部へ進学した今も変わらずに、カレンは俺の家へと報告にやってくる。



「マーくん! マァーくーん!」


 おっ、来た来た。

 悪夢と思っていたはずがいつの間にかカレンが来るのを楽しみにするようになっていた。


 寝室の小窓から顔を出すといつも通りに自慢気に報告をしてくる。


「じゃじゃーん! 職業体験で冒険者組合に行ったらなんと! Sランク冒険者の資格をゲットしちゃいました! えへん!」


「へぇ~、すげーじゃん!」


 そう言うとこれまたいつも通りに玄関の外に置いた。


 ん? いや待て。これはちょっとまずいのでは?


 そう思ったときには既にカレンは空の彼方へと飛び立っていた。


 玄関に置かれているのは遠目からでもわかる、Sランク冒険者の免許証の類だった。


「いやいや、これはまずいだろ。免許証置いてくって、まじかよ」


 まっ次来たときに返せばいっか。


 なんて思ったときに限ってなかなか来なかったりするのだから不思議なものだ。


 気づけば半年が経っていた。


 でも冒険者は危険な職業だと聞く。だったらこのままでも。いやいや。そういう問題じゃないだろ。



「カレンのやつ。なにやってんだよ。早く、来いよ──」







 +


 それからさらに半年経って、ようやくカレンは現れた。


「マーくん! マァーくーん!」


 来た! やっと来やがった!

 この頃になると毎朝、カレンが来そうな時間に目を覚ますのが習慣づいていた。


「じゃじゃーん! 魔術学園高等部、次学年にして学園No1の称号をいただいてしまいました! えへん!」


「へぇ~、すげーじゃん!」


「うん。……それだけ、だから」


「あっ──」


 と、俺が声を上げるとカレンはなにを誤解したのかビクッとした。


「ま、マーくんごめん。何度も来ちゃって……」


 それは今さら過ぎる言葉だった。

 そんなこと、ずっと気にしてたのかよ。


「いいよいいよ! そんなことよりちょっとそこで待ってろ!」

「うん……」


 俺は大急ぎで階段を駆け下りた。

 中段に差し掛かったところでズドンッと転がり落ちてしまった。


 それでも痛がってるわけにはいかない。


 冒険者免許を手に取り大急ぎで玄関を開けた。


「なんかすごい音したけど、大丈夫?」

「なんでもねえよ。この通りピンピンしてらあ!」

「そっか。なら良かった!」

「お、おう」

「うん……」


 あの日以来、初めて窓越しではなく顔を合わせたというのに会話が続かなかった。


 俺とカレンを隔てるものの大きさを痛感せずにはいられなかった。


 きっと、順番が違うんだ。他にもっと言うことがあるはずなんだ。でもそれらが言葉として出てこない。


「こ、これ! 免許証って書いてあるぞ?」

「え……うん」

「だったらお前が持ってないとだめなやつだろ?」


 話の意図が伝わらないのか、久々に触れられる距離で顔を合わせたせいか、カレンは少しおどけているようだった。


 だから俺は彼女の手を取り冒険者免許を握らせた。


「ほら」


 久々に触ったカレンの手は少し大きくなっていた。

 どれだけの時間が経ったのか指先で感じた。


 あの日、俺はカレンに絶縁を突き付けた。

 その俺がふたたびこうして触れてしまっていいのだろうか。


 やはり順番が違うのではないだろうか。


 そうは思うも先の言葉が出てこない。


「い、いいの。マーくんが持ってて」


 言いながら俺に冒険者免許を握らせてきた。


「でも、これ……」


 そこまで言いかけてやめた。

 冒険者は危険な職業だと聞く。俺が免許証を預かっている限りはカレンは冒険者にはならない。


 だったらそれでいいじゃないか。


「わかった。預かっとく」


「ありがとう。じゃあ、行くね」


 そしてカレンは普段と変わらず足早に去ろうとする。


 せっかく窓越しではなく手の届く距離で、ずっと近くで顔を合わせたというのになにも変わらない。


 だからなのか俺の口から出た言葉は──。


「ま、またな! カレン!」


 これが今の俺の精一杯。


 するとカレンは驚いた表情を見せるもすぐに──。


「うん! また……!」


 どこか懐かしさを感じる笑顔で返してくれた。

 その日は胸に仕えていたなにかが少しだけ取れたような気がした。


 またなって言ったらまたって返してくれた。

 

 あの日以来、一度もなかった当たり前をひとつ取り返したような、そんな気がした。





 いつの間にか、カレンに対する怒りはなくなっていた。


 『もう、怒ってないぞ』


 たったそれだけのことを言えずにいた。


 あの日、俺はカレンに酷い事をした。塩を投げつけ暴言の数々を浴びせた。


 今さらどんな顔をして言えばいいのかわからないんだ。


 だから、それからも──。


 カレンが報告に来ては「へぇ~、すげーじゃん」と返すだけだった。


 それでもお互いに笑顔で「またな」「またね」と別れの挨拶をするようになった。


 伝えなければいけない言葉をおざなりにして、ただそれだけに満足していた。


 そうして何事もなく時間は過ぎていき、カレンは無事に魔術学園高等部を卒業した。



 そこから先はあっという間だった。


 研究や探求に重きを置くのではなく、実践向きだったカレンは更なる進学はせずに王都騎士団に入団した。


 すると、ひと月刻みで昇進。勲章の数々。そして三年が経つ頃には。


 騎士団のトップにまで上り詰めてしまった。


 騎士団創立以来の快挙だったらしい。


 それは王国を守る騎士団長への昇進だ。


 それから一年。

 カレンが姿を現すことは、ただの一度もなかった。








 + 


 『──……マーくん! マーくーん!!』



「はっ!!」


 聞き覚えのある、慣れ親しんだ声で目が覚める。


 大急ぎで窓を開けるも、カレンの姿はどこにもなく──。


 『じゃっじゃーん! ────……えへん! じゃっじゃーん! ────……えへん! じゃっじゃーん! ────……えへん!』


 聞こえるはずのない声が、脳内で木霊する。


 あいつはいつだって、俺を驚かせるような報告を携えて来ていた。


 そんな彼女は今や騎士団長にまで上り詰めてしまった。


 だからもう──。俺をあっと驚かして、すげーと言わせるだけの報告ができなくなくなってしまったんだ。


 そうなればもう、来る理由なんてなくなっちまうわけで…………。



 べつになんだってよかった。


 目玉焼きが綺麗に焼けただの、茶柱が立っただの、空に掛かった虹を辿ったらマーくん家に来ちゃったの! ……なんて、嘘を吐いてもよかったんだ。


 …………理由なんて、なんでもよかったんだ。


 便りがあるだけでよかった。


 お前が元気な姿を見せてくれるだけで、よかったんだよ。


「……バカ野郎」


 気づくのが遅すぎた。

 あの頃の俺はまだ、十三のガキだった。


 目に見えるものだけが、すべてだった。


「……カレン」


 ここからカレンの居る王都まではいくつもの山を超えなければならなくて、会いに行くのはおろか手紙を出すことさえも叶わない。


 そんな距離をあいつは空を飛んでやってくる。


 それがどれだけすごいことか、考えもしなかった。


 会えなくなって、会いたくなって、会いに行こうとして、初めて気づく──。



 気づけば俺は、空ばかり眺めるようになっていた。


 自分がまだ、ガキのままだと思い知りながら──。



「……………………カレン」



 来るはずもない、彼女の姿を空に重ねて──。










 +


 それからさらに、一年──。


 俺の元には縁談の話が頻繁に届くようになっていた。独り立ちをして一人前になれば所帯を持つ。それが村での習わしであり当たり前だった。


 一人前かどうかは収穫した作物の良し悪しで決まる。

 あの日から畑ばかりを耕してきたせいか、おかげか──。一人前になったのは早く、もう何年も前の話だった。


 これまではなにかにつけて断ってきたけど、俺も今年で二十四。


 たまに親父と顔を合わせれば孫の顔が見たいとボヤかれ、おふくろからは見合い話や縁談話を口を酸っぱくして勧められる。


 頑なに縁談を受け入れず独り身で居続ける俺を変に思ったのか、一部では有らぬ噂を立てられ『畑が恋人』などと馬鹿にもされている。このままでは村八分にされる日も、そう遠くはないのかもしれない。


 でも──。どうしても前向きにはなれなかった。


 いつだって頭の中にはあいつがいる。


 夜明け前に目覚めては、お前の声が木霊する。


 こんな状態で所帯を持つなど、到底無理な話だった。

 なによりそれ以上に──。心が動かないのだから、どうしようもなかった。




 そうしてさらに一年──。最後に顔を見せてから三年──。あれから十年──。


 かつてないほどに最高の名誉を携えて、あいつはやってきた。


「じゃっじゃーん! ななななんと! 王国最強の剣士である称号『剣聖』をいただいてしまいました! えへんっ!」


 どこか不慣れで、セリフじみた喋り方。

 どんなに時間が経っても、大人になっても、立場が変わっても、このときだけは変わらない。


 まるで時間が止まったような温かさがある。


「へぇ〜、すげーじゃん!」


 だから俺も変わらずに、普段どおりに返す。


 でも今日はすぐには帰さないと決めている。


 もう二度と会えないと思っていた。

 こうしてまた会えたのだから、俺のやるべきことはひとつしかない──。


 報告を済ませると、カレンはいつも見せていた笑顔ではなく、切なげにまぶたを曇らせながら「それじゃあ、いくね……」と言った。「またね」とは言わなかった。


 わかっている。


 もう次はない。


 はず、なのに──。


「っ──…………………………」


 また──。また、言葉に詰まる。


 もしまた会えたら。そんなことばかりを考えて毎日を過ごしてきた。それなのに──。


 言え。言えよ俺……。ここを逃したら、もう……。


 わかっているのに──。


「……風邪、引くなよ。ちゃんと飯、食えよ」


 精一杯に振り絞ってでた言葉はどうしようもないものだった。


「……うん。マーくんもね……」


 だめだ。このままじゃだめだ。


 早くしないと飛んでっちまう! 早く──!


「ああっ!! っと、ちょっとそこで待ってろ!!」


 焦る気持ちから脈絡もなく強引に引き止めてしまった。


 すぐにハッとして大急ぎで階段を駆け下りる。

 中段に差し掛かったところでズドンッと転がり落ちてしまった。


 まるであの日の再現だった。


 それでも痛がっているわけにいかない。


 リビングをあたふたとしてとりあえず台所から収穫したばかりのトウモロコシを手に取る。実りが良さそうなやつをカゴいっぱいに入れた。


 そうして玄関のドアを勢い良く開けた。


「なんかすごい音したけど、大丈夫?」

「なんでもねえよ。この通りピンピンしてらあ!」

「そっか。なら良かった!」

「お、おう」

「うん……」


 会話が続かなかった。


 冒険者免許を返そうとしたときとまったく同じだった。

 なにもかもがあのときと同じで、俺たちを隔てるものがなにひとつ変わっていないことを現しているようだった。


 別れの挨拶をするようになったのに、むしろ──。時間の分だけ溝は深くなっているようにも思えた。


 そんなことで頭がいっぱいになっていると、カレンの視線がトウモロコシへと移った。

 俺はギュッと力を入れてトウモロコシが入っているカゴを渡した。


「こ、これ! 持ってけ! 好きだったろ?」


 いや、カレンは今や騎士団長で剣聖様だ。トウモロコシなんか渡してどうするんだよ。なにがしたいんだよ、俺は……。


 渡してすぐに小っ恥ずかしくなり、後悔していると──。


 そんな俺の様子を見てカレンはどう思ったのか、トウモロコシを受け取ると優しく微笑んだ。


「うん。好き……大好き。ずっと、好きだった。昔から、……今も変わらず、ずっと」


 妙に艶っぽく聞こえた。

 儚げにどこか切なさを帯びる表情に視線を奪われる。


 惹かれるように、言葉が走る。


「俺も……大好きだ。忘れたときなんて一度もなかった……トウモロコシ」


 ……トウモロコシ。


 甘くて美味しい。


 俺の畑の、自慢のひとつ……。


「……うん。トウモロコシ美味しいもんね」


 トウモロコシ……。


 トウモロコシ…………。


 急に頭の中が真っ白になった。

 何か言わないといけないのに言葉が出てこない。そして、暫しの沈黙を経てカレンが口を開いた。


「じゃあ。行くね。……またね」


「お、おう、またな」


 あるのか?

 次なんて、あるのか?


 騎士団長になって、ついには剣聖にまでなってしまった。


 もう、ないだろ。


 これが、最後だろ!!



 でも。



 それ以上のことは何も言えなかった。


 あれから十年が経っていた。

 

 思い返してみれば今日までもの間、俺たちはまともに会話をしてこなかった。


 だからいまさら、なにをどう話したらいいのかわからないんだ。


 言いたいこと、話したいこと、伝えたいことはたくさんあるはずなのに、頭の中は真っ白だった。



 そうして。いつものように、瞬く間に──。


 カレンは空の彼方へと消えてしまった。







 +


 それから。幾度、季節は巡れどカレンが来ることはなかった。


 あの日こうなることはわかっていたはずなのに伝えることができなかった。


 『もう、怒ってないぞ』


 言えなかった言葉を毎日毎日毎日、明くる日も毎日。後悔し続けた。


 でもふいに、あいつはなんの前触れもなく現れた。


「マーくん! マァーくーん!」


 その声に俺は一瞬でベッドから起き上がる。

 そして大急ぎで小窓を開けると、……居た。


 実に五年振りにカレンの姿があった。


 少し貫禄が出てきたかな?

 なんて思ってすぐに、異変に気付いた。


 笑っていなかったんだ。

 それだけじゃない。トロフィーや賞状の類も持っていない。


 手には一枚の紙切れ。


 嫌な予感がした。



「じゃじゃーん! 地下迷宮探索隊のリーダーに任命されてしまいました! えへん!」


「へぇ、すげーじゃ……ん」


 地下迷宮という言葉に嫌な予感は更に増した。

 子供の頃、悪さをすると大人たちは口節にこう言った。「地下迷宮に連れて行っちゃうぞ」子供ながらに恐怖したのを覚えている。


 そして嫌な予感は的中してしまう。


「それでね、今日は話があるんだ。……最後に」


 カレンの口から出た最後という言葉に居ても立ってもいられなくなった。


「今、扉開けるからそこで待ってろ!」


 俺は大急ぎで階段を駆け下りた。

 一段目から踏み外しそのまま転がり落ちるだけだった。でも痛がってるわけにはいかない。


 そうして勢いよく玄関を開けると、カレンが話すよりも先に言葉をぶつけた。


「今年は良いハーブが取れたんだ! 一杯飲んでけよ! うめぇから!」

「……うん!」


 カレンは驚きながらも、ひと言明るく返事をしてくれた。


 もう迷わない。ずっと言えなかった言葉を、今日──。



 そして十七年ぶりにカレンは俺の家へと上がった。


 ハーブティーを淹れて、飲み終わるまで会話らしい会話はひとつも無かった。


 覚悟を決めて家へと上げたはずなのに、十七年という時間の重さを肌で感じた。


 そんな沈黙の中、口を開いたのはカレンだった。少し気まずそうにしながらもなにか意を決したように。


「えっとね。今日はマーくんにお別れを言いに来ました。それでね」


 最も聞きたくない言葉が出てしまった。


 だから俺はカレンの言葉を遮るように再度、言葉をぶつけた。


「なんだよそれ。何かあったらまた報告しに来いよ。今まで通りに来ればいいだろ」


 こんなことしか言えない自分に、情けなくなった。


「あのね。もう、ここには来れないの。地下迷宮の探索でね、人類未到達エリアに挑戦するんだ。行けるところまで行くんだって。探索メンバーのみんなも張り切っててね。とっても名誉あることだからって」


「そうなのか?」


 聞き返してはみたけど農民の俺には何がすごいのかわからなかった。


「うん。だからどうしてもね、あの日のことを許してもらいたくて。わたし、このままじゃ死んでも死にきれなくて。嘘でもいいの。だから最後に、お願い……。自分勝手なことを言ってるのは百も承知。それでも……マーくん……ごめんなさい……」


 今にも泣き出しそうな儚過ぎる笑顔に怒りを覚えた。


 トロフィーも賞状も記念品も勲章も称号もたくさんもらったのに俺の家にはこんなにもたくさんあるのに、最後は名誉のために死ぬのか?


 俺は農民だしそっちの世界のことはわからない。わからないからこそ、腹が立つ。


 だから思ってしまったんだ。


 嫌だって。こんな別れ方、したくないって。


 あの日、俺はカレンに絶縁を突きつけた。

 怒鳴り散らして、酷いこともたくさん言った。


 そんな俺に今さら、いったい何を言う資格があるのだろうか。


 “もう怒ってないから大丈夫だよ。地下迷宮の探索、頑張って来いよ!”って、笑顔で送り出してやるのが今の俺に許される、唯一の償いではないのだろうか。


 ……だったら言えよ。早く言えって……。


 ここまでわかっているのに、煮えたぎる怒りがすべてを蔑ろにする。


 気付いたときには──。どうしようもない自分勝手なことを言っていた。


「……嫌だ。俺はお前を絶対に許さない」


 その言葉を聞いてカレンは酷く肩を落とした。


「だよね。そう、だよね……ごめんね……」


「謝ったって絶対に許さないからな」

「ごめん……ごめんねマーくん……」


「だから!! 謝ったって許さないって言ってるだろ!!」


「……うん。でも……ごめん。ごめんね…………これで最後だから……もう一度ちゃんと謝りたいの……。ずっと謝りたかった。でも、許してもらえないってわかってたから……今日までずっと言えなくて……」


「だったら行くな!! そんなに許して欲しいなら行くな!! ずっとここに居ればいいだろ!!」


 もうめちゃくちゃだった。


 あれから十七年の歳月が流れていた。


 ずっと言いたかった言葉はどうしようもなく間違ったタイミングで、間違った言葉で、救いようもなく自分勝手に飛び出していった。


「ごめん……ごめんね……まーく……ん?」


 カレンは言葉の意味がわからなかったのか「…………え?」と、俺の顔を見てきた。


 もう、どうにでもなれと思った。

 一度走り出した気持ちは、たとえ間違いだとわかっていても止めることなんてできない。


 俺はお前と、さよならなんてしたくない。


 お前を、失いたくなんてない。


「行くな!! 地下迷宮だかなんだか知らないが、そんなところに行ったら俺はお前を一生許さない!! 許してほしいならずっと俺の側に居ろ!! 俺から二度と離れるんじゃねえ!!  そしたら百年後か二百年後に許してやる!!」


 カレンは自らの口を両手で押さえると、信じられないと言った表情でぽろぽろと涙を流し始めた。


 その瞬間、やってしまったと思った。

 それは初めてみるカレンの涙だった。


 どうして俺はこうも間違えてしまうのだろうか。


 十七年──。十七年だ。時間はたっぷりあったというのに最悪な形でカレンを傷付けてしまった。


 もう怒っていないと伝えれば良かっただけなのに彼女の人生を真っ向から否定してしまった。


 どうして俺は笑顔で送り出すだけの簡単なことができないのか。



 …………いいや。できないに決まっている。



 今までだって、ずっと言えなかった。


 頭ではわかっているのに、心が許さなかった。


 凄いことを成していくお前を見る度に、遠くに感じていた。


 空の彼方よりも、ずっと遠くに感じるようになっていた。


 距離以上に、俺とお前の世界が離れていくようでたまらなかった。


 だから“許す”ってのは俺らにとってそれは、別れの──。さよならの言葉に他ならない。


 次もまたその次も、お前が来る理由をなくさないために、ただそれだけのために──。今日まで俺は、お前を許すことができなかった。



 それなのに今は…………なんだよ?


 許したら満足して地下迷宮に行っちまうってんだろ?


 そんなの会えないよりも辛えじゃねえかよ。


 今まで感じていた遠くよりも、ずっと遠くじゃねえかよ?!


 そんなの…………。送り出せるわけが、ねえだろうがよ?!


「……嫌だ。地下迷宮になんか行かせない。このままずっとここにいろ!! どこにも行くなー!!」


 みっともなくたっていい。


 格好悪くてもいい。


 ここでお前を引き止めなかったらきっと、死んでも後悔し続ける。


 だから俺はお前を、許さない。

 なにがあっても、絶対に──。



 すると────。カレンから思いも寄らない言葉が飛び出した。


「わかった」


「だから!! どこにも行くなっ…………て?」


 ドクンと鼓動が激しく揺れた。


 どちらとも取れる、その一言に願ってしまった。


 願った先にあるのが、たとえ間違いだとしても──。願わずにはいられなかった。


 と、次の瞬間──。


「────っッ?!」


 カレンが俺の膝の上に乗っかっていた。


 まるでお姫様抱っこのような体勢だった。


 いったいなにがどうなっているのかわからない。


 でも──。確かに感じる、この温かさがカレンの答えだってことだけは話さずともすぐにわかった。


「……カレン」


 あの日以来、実に十七年振りに名前を呼ぶことができた。


「ぎゅってして。どこにも行かないから、今だけぎゅってして? そうしたらわたし、全部捨てられるから」


 “全部捨てる”その言葉の重みがどれほどのものなのかは農民の俺にはわからない。


 だから抱きしめる。


 強く、強く抱きしめる。 


「どこにも行くな。全部捨てちまえ。そんで俺の側から離れるな!!」 


 明日も明後日も、お前が笑顔で生きていけるように、両手いっぱいに強く、強く抱きしめる。


「うん。行かない。ここに居る。……ずっとマーくんの側にいる」


 カレンも俺のことをぎゅっと抱きしめてきた。



 ずっと────。自分が農民であることを引け目に感じていた。


 でも俺にとって彼女は魔術学生様でもなければ騎士団長様でもない。ましてや剣聖様でもなければ地下迷宮探索隊のリーダー様でもない。ただの幼馴染なんだ。大切で大好きな幼馴染なんだよ。


 そのことに今、十七年のときを経て気づいた。


 だから抱きしめる。


 もっともっと強く、強く抱きしめる。


 長い時間を埋めるように、強く、強く、強く──。






 そうして──。


「お前の罪は消えない。でも俺の側に居れば、いつか許してやる日が来るかもしれない。百年先か二百年先かはわからない。……だから……二度と俺の側から離れるな!! ずっと俺の側に居ろ!! わかったか!!」


「はい。マーくんの側にずっと居ます!」


 告白と呼ぶにはあまりに粗末なもので、それを成しているのかさえわからない。


 それでも、今──。

 俺とカレンは十七年の時を経て結ばれたような、そんな気がした。


 たとえ間違いだとしても、

 農民の俺の手には余ることだとしても、


 このさき、どんな苦難が待ち構えていようとも──。



 もう二度と、お前を離さない──。



 好きだよ、カレン。


 大好きだ──。

最後までお読みくださりありがとうございました。

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