攫われた
三題噺もどき―にひゃくきゅうじゅうご。
「―――!!!」
私を呼ぶ声が、鼓膜を叩く。
悲鳴のようなその叫びは、何度も繰り返される。
目の前にはたくさんの人の顔が並ぶ。
その中から、私に向かって伸ばされる1人の手。
しかしそれは、次第に遠ざかっていく。
叫びの声も徐々に小さくなり、最後には聞こえなくなる。
その瞬間、真黒な獣が記憶を切り裂き、私を暗闇へと引きずり込む。
――――!!!」
声にならない悲鳴が、喉から洩れた。
のどを閉められるような息苦しさが襲う。
小さく震える手のひらを重ね、何とか抑えようとしてみる。
「――――」
叫んではいけない。
恐怖してはいけない。
これ以上、アレの気に障ることをしてはいけない。
大丈夫。
私1人が耐えて居れば、他の皆は安全なんだ。
「―――」
未だ震える手のひらを、力いっぱいに握り締める。
血の気が引いて、真っ白になっていくのが見える。
「―――」
ここに来てから、連れてこられてから。
毎日のように夢を見る。
「―――」
母の悲鳴。
父の苦しげな顔。
兄弟の不安そうな顔。
村人たちの。安堵と申し訳なさの混じった顔。
母の伸ばした手。
それを掴むことを許されず。
気づけばアレがそこにいて。
「―――」
遠ざかる視界の中で、ただ伸ばされた母の手。
それに縋るように手を伸ばしても、ただかすめていくだけ。
最後には、暗闇が広がるだけ。
「―――」
震えが止まりそうにない。
こんなに握り締めているのに、なんでいつもうまくいかないんだろう。
あれから毎日。
アレ怯えてしまって、機嫌を損ねてしまって。
「―――」
毎日こぼれそうになる悲鳴を飲んで。
震える手を抑えて。
それでもアレが来ると、叫びたくなるし、手は震えてしまう。
その度に、苦虫を嚙み潰したような顔をして、そのあたりにあるガラス棚を叩く。
だから、部屋の中はガラス片が散らばっている。
「―――」
ようやく、少しずつ、落ち着いてきた。
ゆっくりと、深呼吸をする余裕が出てきた。
それでもまだ、手は震えているけれど、いくらかはマシになったはずだ。
これで。
すこしは
―――――キ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛
「―――!!」
部屋の扉がゆっくりと開く。
調律のあっていないヴァイオリンのような、不安定な音。悲鳴のようにも聞こえるそれ。
そんな耳障りな音と共に、アレは部屋に入ってくる。
「―――」
やっと。
落ち着いたのに。
今日もだめだ。
息が苦しくなってきた。
手の震えがさらに酷くなってきた。
嫌な汗が全身から噴き出す。
ぱちぱちと、小さなガラス片を扉がつぶしていく。
その音さえも、恐ろしく響いた。
「――――」
「―――」
「――」
「―――」
「―――――あれ?」
思っていたよりも、きょとんとした声がのどから洩れた。
んん。
声の調節をまちがえたな、これは。
変な声出た、我ながらなかなかに阿保っぽいなと思ってしまうような声が。
バカにしたような、声が。
―まぁ、実際馬鹿にはしているんだど。
「……」
「今日は何にも言わないの?」
軽く咳ばらいをしながら、アレに問いかける。
扉の前で、うつむいたままに立ち尽くしている。
そこに立ったままでいられても迷惑なんだけどなぁ……。
「んー???」
いつもなら、入ってくるなり叫びだすんだけど。
足枷をはずせだの、家に返せだの、家族を返せだの。
悲鳴を、叫びを、聞かせてくれるんだけれど。
「……っるさい」
「ん??なんて?」
「うるさい!!!!!!!!!!」
「それはあんたよ」
呟いた瞬間、アレの首が飛ぶ。
どうやら、部屋の中―私に向かって駆けだしてきていたようで。
その勢いのまま、胴体は倒れる。
ガラス片の上に。
「ぁ」
カッとなると、無意識にやってしまうのはよくない癖だから、直そうとしてたのに。
今回もだめだったかぁ。
パキリとガラス片を踏みながら、倒れたアレに近づく。
倒れた掌には、どこで見つけたのか、ナイフが握られていた。
その程度で、どうにかできればよかったけれどねえ。
「……はぁ」
あまり、おいしくもなさそうだけど。
ここに放置していてもいいことはないし。
腹が満たされるなら、いいか。
お題:足枷・ヴァイオリン・ガラス