根こそぎの畑
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふう、やれやれ。草むしりもこれで終わり……と。
自分で好きにやる分はいいが、ペナルティとして課されるものは、どうも嫌気ばかり差してしかたないな。
俺も将来、仕事をする身になったら長続きするか分からねえ。好き勝手やれることが、俺の人生の大事な柱だと自覚しているからな。
好きを仕事にできればいいとは思うが、仕事になったとたん好きではなくなる、なんて声も聞くと、どうにも二の足踏んじまう。
仮に草むしりが好きな御仁がいたとして、仕事になった後もその興味を持ち続けられるかね。
この手の小さく見える仕事は、たいていの人は面倒がるものだ。
誰でもできる単純作業。ひたすら目の前のことをこなせばいいというのは、糧を得るのみだったら気は楽かもしれんな。
そこに隠されている事情。その断片すらも見ないうちならば。
よければ俺の聞いた話、聞いてみないか?
現代でも、ちょっと探せば除草作業員募集の仕事が、そこかしこに転がっているのを目にするはずだ。
夏場の農業従事者の話だと、夏場の草の育ち具合は半端じゃなく、仕事の8〜9割は草取りと形容されるほどらしい。
今でさえこれなんだから、昔の苦労は並大抵のものじゃないだろう。人手が減ることに難色を示した事例が、多く伝えられていることもうなずける。
その除草を生業にしていたという、男の体験の話だ。
男は幼いころに両親を戦で失って以来、日銭を稼ぎながらあちらこちらを転々としていたという話だ。
崩れかけのあばら家で雨風をしのぎ、草取りその他の肉体労働で得た食べ物などで飢えをしのぎと、何かひとつ掛け間違えばたちまち飢えへの一途をたどるだろう生活。
その不安定な境遇を、彼は何年も送ることができていた。気に入っているわけではなかったが、ひとつところに長くいることを彼は嫌ったという。
長く根ざせばしがらみが生まれる。気分の変わりやすい彼にとって、人と接したくなるとき、遠ざけたく思うときは隣りあわせだ。
特に後者の心持ちのときに、話しかけられたりすると内心とても不機嫌になる。
それこそ、除草される連中みたいにぱっぱと腰をあげて、どこかへ吹かれていったほうがいい。
元あった性分と長年の暮らしが合わさって、彼は仕事が終わればすぐさまどこかへ移りたい気持ちに駆られたのだとか。
しかし、そのような彼にも、数日がかりの大仕事が舞い込むこともある。
夏場の草取りは彼にとって稼ぎ時ではあったけれど、それがとある村へ訪れたときに何枚もの畑をひとりで任せられる案件なんて、にわかには信じがたがった。
この一帯の地主なのだろうか。その割には依頼主の家は、彼が幼いころに親たちと過ごした生家と変わらない、小さくてつつましいもの。
それが多少なりとも起伏がついている土地ながら、一方を見渡す限り個人の畑である景色などとは初めて出会った。
手入れの行き届いていないさまは、自分の背さえも隠れるほどの草たちが、そこかしこに生えていることからもうかがえる。
それをどうして自分が訪れるまで放っておいたのか。はたまた成長が著しすぎて、実は頻繁に行っていることなのか。
いずれにせよ、任された以上はやるだけだった。
自分ひとりだけでは、どれだけ手際よくやろうとしても、一日で一枚の畑がせいいっぱいだったとか。
除草を任されている間は、依頼主の指定した範囲の外へ出てはならず、それでいて畑からは、小さな双葉一本でも残してはならず、根から引っこ抜けという指示。
それらを徹底すると、えらく時間を要した。背の高い草たちはその抵抗の頑強ぶりも伊達じゃなく、汗だくになる格闘の末で、文字通り根負けしてくれる有様だったとか。
寝床に指定された馬小屋には、彼の休む時機に合わせて水差しや握り飯が用意される。馬糞くさい中での飲食は、すでに彼には慣れたもの。息を詰まらせる要因には足りえなかった。
はじめ、彼は草の成長が異常に早いために、こうもひどい状態になっていたかと思ったが、どうも違う。
勤め始めてから5日が経ったころ、最初に除草をした畑を見やっても、そこにはこそりとも草が生える気配がないからだ。
もちろん、自分の見えないところで依頼主か、その手のものが世話しているためかもしれない。そうだとしても、まっさらな土の表面にはかすかな緑の兆しさえものぞくことはない。
いぶかしく思いながらも、気づけば今日もまた陽が暮れかけようかというところ。今回も畑一枚分で区切りがつこうとしていたのだが。
ふと、自分以外の足音が思いもよらない近さから聞こえた。
いま、彼は背の高い草たちの合間へ、身体を隠す格好になっている。そのいくらかの厚さしかない緑の壁の向こう側の、はたけみちから足音は聞こえた。
男は長年さすらった経験からか、耳がいい。依頼主たちにしては、いやに音を殺そうとしているのがどうにも不審。
盗人のたぐいか? とも思うが、このような場合の対処も依頼主から聞かされている。
「もし獣や他の者の気配を側に感じたとて、その場を離れたり、手を休めたりするのは許されざることだ。
しかと見ているから、そのまま仕事を続けていてもらいたい。どうしても気になるというなら、すぐに抜けそうな草を抜きにかかるように」
なんとも奇妙な言葉だった。
しょせん雇われの身なのだから、いかなることも自己責任となるのが常。
それを見張って守ってくれるような口ぶりだが、仕事は続けろとはなんたる鬼。
ハッタリと断ずるのはあやうい。これだけの土地持ちだ。多少行き過ぎた無理も実行しうるかもしれない。
男は耳をそばだてながらも、極力こちらの気配を悟らせないよう、そっと身をかがめた。
ひと息に踏みつぶせそうな、小さい若葉が目の前にある。どこで見ているかもしれない見張りに言い訳がたつよう、その胚軸をむずっとつかみかかる。
ものが倒れる音が、緑の壁の向こう側から聞こえた。先の足音を忍ばせていた奴に思える。
早くも見張りが手を下したのか、と舌を巻きながらも彼はなお、手に力をこめた。
ずるりと、根が土から抜けるもまだすべてじゃない。しかし、この時点で地表にのぞいていた分の、ざっと倍の長さが陽の目をみることになる。
音の立ったあたりから、今度は苦しげなうめき声が漏れ聞こえてきた。
先に感じた不審者のもののようだが、見張りが手を下したにしては妙だ。
誰かが新たに寄ってきた気配はなく、矢などの飛び道具を放ったような風切りの音もない。吹き矢とかなら音が殺せるだろうか? なにぶんその経験はないから分からない。
ほどなくうめき声に草を押しつぶし、なぎ倒す音が加わってくる。出どころは緩やかに右へ巻いていくようで、どうも這いずっているように思えた。
――なぜ、早急にけりをつけてやらないのだ。いたずらに苦しめるだけじゃないか。
不満を覚えつつある彼も、腹の底へそれらを飲み込み、仕事に専心する。
すなわち、目の前の草との格闘だ。
その図体からは、想像できない根深さだった。
かがんだままの男が、腕をめいっぱい持ち上げても、まだ根は抜けない。
指示は根こそぎだ。妥協して、途中で根をちぎる真似はできず、どこで目を光らせられているか分からない。彼はいったん、より根元に近い部分へ持ちかえて、なお力をこめたところで。
目の前の草をかき分け、ごろりと転がってきたものがあった。
歳のころ、40あまりだろうか。髪を振り乱し、葉と泥を半端にこすりつけたその表情は、焦りと恐れにゆがんでいる。
二人の顔の間、一尺もない。
唐突な鉢合わせに「おっ!」とおどろきのあまり、彼は尻もちをついてしまう。
手は根を握ったまま。それが尻もちの勢いにのって、ずるりと残りの部分が抜けていった。
その根の先があらわになるのと、目の前の男の顔が「崩れていく」のは、同時のことだった。
根が引き出されるのに合わせ、男の頭頂から髪をくっつけたまま、皮がくるりとむける。
野菜の川を刃物で削いでいくかのように、長い帯が渦巻くようなはがれよう。
しかし、そこに残る中身がない。皮の奥にある血肉も骨も脳髄さえもなく、ひたすら皮がはがれて伸びていく。
これまで聞いていたうめきと、同じ声質の悲鳴が響き渡る。が、長くは続かなかった。
皮のはがれはたちまち進み、男の額を、目を、耳を、鼻を、もろともに帯としてばらしてしまった。それが口元まで及んだがために、声は途切れざるを得なかったんだ。
帯となって削がれた口に、もはや声を漏らすすべはない。
引き抜ききった根を手にする彼の前で、男の身はただただ長い一本の帯と化して、転がるばかりとなったんだ。
依頼主にこの一件を話すも、おざなりな返答のみ。
それだけで彼は、深く触れてほしくないことなのだと悟り、残りの仕事に注力した。
しばらく暮らしに不自由しないほどの金子を渡された彼は、再び放浪の旅に出るも、行く先々で奇怪な病のうわさを聞いた。
長く病苦に苦しむ者、のちに悪事を隠し抱えていたと分かった者。
彼らの身体が、突然に端っこからひとりでに、野菜の皮をむくようにむかれていき、誰かが止めようとする間もなく、長い長い一本の帯となり果ててしまった、とのことをな。