屋上にて
前回のあらすじ
シア先生「あれ? みんな帰った?」
俺の知る範囲において、アルメリアさんへの嫌がらせが始まったのは、転入3ヶ月後からだった。
最初は筆記用具からインクが無くなっていたり、ノートや教科書に落書きがされていたりといった稚拙なイタズラに加え『インクを貢がせる卑しい女』『下民に学園は暇すぎたのでしょう、外で働いていた方がよっぽど有意義でしょうに』と聞こえるように話していたりと。
まぁ露骨なものだったのが、段々と悪質になり。
地元男爵家の推薦で転入してきた事を理由に、派閥のパーティに招待して作法の無知を嗤ったり。 『男爵から推薦されただけで養子にしてもらえたとでも勘違いしているのかしら』と陰口を広めたり。
何処から調べたのか、孤児院出身と知れば『お父様、お仕事は何をしておられるの?』『お母様に捨てられたって噂を耳にしまして、お辛かったですわね〜』と話し掛けている姿だけでも3回は見た。
ある日、見兼ねたクンツァイト嬢が『風紀を正すため』と水面下で何かしたらしく。 学内における差別発言や悪質と判断された行為には相応の罰と、それらを取り締まる権限が生徒会に与えられた。 こうして、形骸化していた生徒間平等の理念が復活。
生徒会長である殿下の言もあり、騒動は一件落着。 アルメリアさん含む庶民への差別を繰り返していた派閥連中は、これ以降、距離を置く形で沈黙する。
そこからだ、何故か味方だったクンツァイト嬢の取り巻き令嬢達だけが、アルメリアさんとギスギスしはじめたのは。
切っ掛けはアヴィトですら知り得ていない。
・ ・ ・
昨日は最悪の1日だった。
2日続けて朝イチで登校した俺は、いつもの席で机に両肘を突き、両目を圧迫するように頭を抱えている。
昨日は丸々、失敗の連続だったなぁ。 主に寝不足が原因で。
せっかくクンツァイト嬢と昼を一緒できたというのに……その殆どが記憶に残っていない。 緊張と不安と高揚感だけで無理矢理起きてたようなものだったから。
なんなら1回寝たおかげか保健室でのやり取りだけは鮮明に憶えている。 いやそっちを忘れたいのに。
ちゃんと次の約束ってしてたっけ? 弁当は反応良かった気がするが、好き嫌いは聞いてたか? それ依然に庶民が買える程度の食材が本当に口に合ったのだろうか。
学園内ならばやはり、貴族向けの業者と交渉して……
「…………いや、そこは踏み込むべきじゃないよな」
金銭問題は無理したって続きやしない、考え過ぎても分かることなんて何もない。 行商人になりたければ安い食材でこそ旨く仕上げるべきだろう。
そう割り切り、俺は思考を切り替えた。
昨日の失態は今日の弁当で挽回だ。
「お前、無駄に律儀だよなぁ」
昼。
今日の弁当を受け取りながらアヴィトがそう呟く。
律儀も何も、見返り(感想)を求めてやっていることだ。 無償でやるほどアホじゃない。
「資金と人員さえあれば、炊き出しみたいにできたんだがな」
「それはもう料理人の願望なんだわ……」
あのアヴィに呆れられてしまった。 心外だ。
「お前こそ俺の弁当利用して、随分と手広く好感度稼ぎやってるだろうが」
「後輩の、それも女子ともなると警戒心の塊でな。 その反動なのか匂わせには敏感に反応するらしい」
含みのある笑顔に察する。
「釣りかよ……まぁ、令嬢からの評価は参考になってるが」
とはいえ、風評被害に発展しかねない評判はもう少し控えてほしい。
具体的には、俺達の関係を一部の令嬢達が語り遊びに使っていたのだ。 去年までは殿下や副会長のような美形で賑わっていたのに……白馬の王子様は見飽きたか?
今も廊下にいる、弁当渡す所を見るためだけに別クラスから来て、嬉しそうに帰っていく令嬢達。 まぁ、あれでも仲間内だけで楽しむという配慮はしてくれているらしいから、黙認しているけれど。
クンツァイト嬢にだけは知られたくない。
「そいじゃ!」と食堂へ急ぐアヴィと別れ、俺もリュックを肩に屋上へと向かう。
今日は水筒も持参している。 昨夜、記憶の混濁による幻かもしれないが、クンツァイト嬢が俺の水球をパクッした顔だけは鮮明に思い出せた。 よく『脳裏に焼き付く』なんて表現を聞くけど……こういうことかと実感している。
階段を登り、重い扉のノブを握る。
息を整え動悸を鎮め…………ノブを捻って扉を開けた。
「あっ……」
「こんにちは」
「……こ、んにちは」
俺が来たことに気が付いたクンツァイト嬢と軽い挨拶を交わし、そっと重い扉を閉めた。
蓋を開けた弁当を渡し、クンツァイト嬢が「わぁ……」と声を漏らす。
よし。 表情はあまり変わっていないけど、少しは好感触らしくて安堵する。
今日の弁当はアミューズブーシュという1口大の料理を参考にした、爪楊枝アミューズブーシュだ。
作り方は簡単で、とにかくスライスできる料理や薄い食材を数種類用意。 片手で、なおかつ1口で食べられるように、味や栄養バランスを考えながら刺していくだけだ。
例えば四角くカットした薄切りのパン2枚にマヨ・葉野菜や紫玉ねぎ・トマト・ベーコンを挟んだ1口サンド。
ハーブ・パプリカのピクルス・マリネ液に浸していた貝・最後にサワークリームを薄く塗ったクラッカーのカナッペ風。
醤油とバターと胡椒でソテーしたキノコ・ガーリックオイルとレッドチリペッパーで炒めたパスタを、茹でて出汁に浸したほうれん草で巻いた物。
エビ入り具大きめタルタルソースの薄焼き玉子包み。
クリームチーズにラムレーズンを混ぜ、ラスクで挟んで溶かしたチョコに浸けて染み込ませたデザート。
を2個ずつ。 計10口。
調理は簡単だったが、爪楊枝に刺していく✕4人分は地道に手間だった。 蓋を開けた時の見た目と食べやすさを考慮し、斜めに刺すのがコツだ。
4人分ってのはクンツァイト嬢と俺と、アヴィトに2人分。
アヴィトのは保健室に運んでくれた礼である。 20口もあれば使えるだろうよ。
クンツァイト嬢用の水筒は温かいお茶と説明し、俺も自分の弁当を取り出してベンチに腰掛けた。
あっ。
見ると、今日はクンツァイト嬢もベンチにタオルを敷いて座っている。 昨日の俺がちゃんと伝えていたらしい。
……こんな精神状態のクンツァイト嬢でも届いたのなら、あの件も思い切って触れてみようか……
「第2調理室……ですか?」
今日の弁当は口に合ったようで。 クンツァイト嬢が最後の染みチョコラスクを食べきった所で、俺は提案してみた。 「雨の日どうしようかと思ってまして」と。
「料理人志望の部長と仲良くて、昼だけなら借りられそうなんですよ。 あそこクラブ活動用の調理室だから放課後までは誰も来ないし、天候の悪い日には好都合かなと」
場所もここの真下、1階だし。
「もちろんクンツァイトさんさえ良ければなんですが、どうでしょ?」
「ぇっ……と…………あっ…の……」
目が激しく泳ぎだし、混乱気味に焦るクンツァイト嬢。 徐々に頭が下がり、秒毎に猫背になっていく。
……どうやらまだ自己選択は難しかったらしい。
今のクンツァイト嬢は自分の選択が正しいのか分からない・何が相手を傷付けるか分からない状態なのだろう。
また間違えるかも・嫌われるかも、と。 だから『意見や選択を求められても応えられない』し、かといって『応えないのも失礼』と板挟みに。 一言も発せず、それはそれで焦燥感に駆られてしまう。
とはいえ、こちらが一方的に決めてしまうのも……それこそ他者への依存に慣れてしまっては駄目だ。
となると。 少々強引だがここは思い切って……
「悩んだ時は最悪の失敗を想定すると良いらしいですよ」
クンツァイト嬢の隣に置いたままの空弁当箱を片付けつつ、俺は話しを少しズラした。
沈んでいたクンツァイト嬢の頭が上がり、きょとんとした目と合う。
「っはぇ? …………えっ……と……?」
「例えば俺でいうと。 ここで話しておかないとクンツァイトさん、俺に気を使って雨の中でも屋上で待ち惚けないか……とか心配してました。 まぁ普通に考えてそんなわけないんですけどね」
もちろん待つにしても屋上にまで出てる必要は無い。 扉の前の階段にでも座ってれば良いだけだ。
伝えたかったのはそこではなく。
視線を落とし、水筒は残して空き箱をリュックにしまう。
「初対面で、緊張からかけっこう一方的に誘ってしまいましたので。 正直なところ内心では迷惑がっていたり、『雨の日まで付いて来る気? 気持ち悪い……』なんて我慢させてるんじゃないか、と不安でして……」
恥ずかしい思いまでさせてしまったし……
実際、アレだけ慕っていた取り巻き達が蜘蛛の子を散らすように離れて行ったのが、今でも信じられないくらいだ。 裏でこっそり繋がっていて、いきなり現れた部外者が邪魔になっている、という可能性だって充分に考えられる。
雨の日くらいは俺から離れて、御抱えシェフのコース料理を取り巻きが用意してくれた個室で味わえたのかも知れない。
だが、
リュックを足元に置いて姿勢を戻し、弱々しく紅い瞳を真っ直ぐ見つめる。
「でも面と向かって嫌な顔されるよりも、万が一、話さずに待たせて風邪をひかれてしまう方が最悪ですからね。 そう考えると、案外あっさり口に出せたんですよ」
特に今のクンツァイト嬢のような、失敗を恐れて自己判断すら信用できなくなった・後ろ向きな思考に陥っている人には効果的な手法だろう。 なんせ想像しうる最悪の中から、なるべくマシな選択だけを選べば良いだけなのだから。 口にはできないが、リスク回避としては少し羨ましいくらいだ。
失敗は星の数ほどあれど、どうせコレ!と万人が指し示す正解なんてものは存在しない。 人生の正解ってのは結果論でしかないからな。
「なのでクンツァイトさんも、悩んだ時にはそうしてみては? そもそも心配事なんてのは、大抵杞憂に終わるんですから」
「…………はぃ……」
思うところでもあったのか、言葉に詰まりながら顔が俯いていくクンツァイト嬢。
このままでは同じ事の繰り返しだ。 そう察した俺は、思い切ってもう1歩踏み込んでみる事にした。
「ぁ~……もし練習相手が必要なら俺がなりますよ、言い出しっぺですからね。 そうだ、試しに何か質問してみてくださいよ。 何でも良いですから」
「…………でっ、でしたらっ」
俯いたままのクンツァイト嬢が、震える声で応える。
「なん……で、そんなに優しく……してくれるんですかっ。 私は……もう……」
左手首を右手で握り、静かに、溜め込んでいた言葉が堰を切る。
「私に侯爵令嬢としての価値は無くなったんですっ。 そればかりか侯爵家だからと……卒業後には家も出ます、行く当てなんてありません。 だから……優しくしてくれたって、もう何の意味も……」
振り絞っていた声が止まる。
寂しいのだろう、皆が離れて行ったことが。
辛いのだろう、優しくしてくれる人の下心が。
だから俺みたいな突然弁当を食わせた他人にまで配慮してしまう。 何も言えなくなるくらいに。
しかしやはり、その心配事は杞憂に終わる。
「いや、あなたのことが好きだからですよ。 それ以外に理由なんて無いです」
「…………ぇ?」
俯いていたクンツァイト嬢が顔を上げ、思考停止したような表情に俺は本心をぶつけた。
「変に誤解させたくないですし、不安に思われていたようなのでもう正直にぶっちゃけますが。
初等部の頃に一目惚れして、それからも噂を聞く度に憧れ続けて、でもその人は侯爵家なうえに殿下の婚約者。 何が出来るってんですか、指咥えて見てることすら不敬になりかねないんですよっ」
本当は今のクンツァイト嬢に聞かせたくない単語だらけだが……この誤解を解くには正面突破しかない。 既に大物貴族とお茶会などをしている人に、下手な嘘は通用しない。
ならば勢いで誤魔化す!
「あげく殿下は平民とばかり居るし、クンツァイトさんとアルメリアさんの仲もギスギスしてくるし、終いには事後報告からの箝口令ですよっ。
そんで屋上に来てみたら憧れの人が独りでベンチにいてお腹鳴ってたら、そりゃあ無視なんて出来ませんて!」
「ぉぉお腹の件はどうぞ忘れてくださいっ!」
両腕でお腹を押さえ、真っ赤な顔で動揺するクンツァイトさん。
そんなに恥ずかしかったのか……慌てるクンツァイト嬢を見て昂る気を落ち着ける。
「つまりですね、今あなたの目の前にいるこの男は、好きな人に何をしてあげられるのかも定まらないまま、とりあえず一緒にいたくて弁当を渡してる程度の同級生なんです。 あぁ、クンツァイトさん呼びが気に障るのであれば、カトレアさんとお呼びしますが?」
「ぃ……ぃぇ、今のままで結構です……」
まるでこれまでの気弱さが治ったかのような即答かつ拒否。
ドン引きされたかもしれない。
本音を出しすぎたか? よし、誤魔化すか。
「そうだ、本音ついでに。 クンツァイトさんも何か1つ本音を教えてくれませんか?」
「ぇ……本音、ですか」
「そうですよ。 俺だけ実質、泣き落としで告白させられたようなものですし、クンツァイトさんもここは1つ如何ですか? 」
とんでもない言い掛かりでしかないが、ここは押し切らせてもらおう。
クンツァイト嬢が焦る。 瞳はなんとか泳いではいないが、小刻みに震えていた。
「それはっ……確かにそうだったかもしれませんが…………」
「自分からは言い辛いのであれば、1つハッキリしていただきたい発言があったので、俺から質問しても?」
「え? ……は、はい」
(よし!)
困惑を隠せないクンツァイト嬢から言質を絞り出す事に成功し、内心で拳を握り締める。
俺からの質問はたった1つ。 庶民では本来聞ける筈の無い、先ほどクンツァイト嬢が漏らした爆弾発言の詳細。
「卒業したら家を出るって、本当ですか」
「ぁ……はい……」
何を聞かれるのかと怯えていたところ拍子抜けした……みたいな表情であっさり認めたけど、これは普通に大問題だろう。
本当に、自分には何の価値ももう無いと認識しているんだな。
「失礼ですが、俺の知るクンツァイトさんの性格的に、就職の際に学歴は使えますか?」
ハッとし、表情が曇る。
「……これだけの醜態を晒しておいて卒業しただなんて。 学園の名誉にも関わりますので……」
(やっぱり……)
俺はベンチの背凭れに支えきれなくなった体重を預け、思考を巡らせた。
令嬢で殺人未遂のうえ片手欠損はどうしようも出来ない。 しかし貴族社会では居場所が無くとも、庶民からすれば欠損なんてのは珍しくもない。 それは女性であってもだ。
ギルドに行けば、片足欠損で引退し受付嬢になった元冒険者や、片腕失ってもなお現役の魔法職だっている。 ギルドだけではない、一般に転職する者も。
とはいえ生まれつきの欠損やツテの多い庶民ならばまだしも、侯爵ほどの名家育ちな令嬢が学歴も使わずに、独りで『いざ庶民へ(片手欠損)』は不安だ。
侯爵家が愛娘に住む場所と職と資金を用意してくれているのならば別だが。 そこは触れるべきでは無い……かな。
「あの、庶民の暮らしって想像できます?」
「……いえ、それどころでは……無かったので」
1言づつに小さくなっていく声。
だろうな。
まだ感情の整理も、現実を受け入れる心すらも追いついていない筈。
となると、この情報で俺に出来ることは。
姿勢を戻し、クンツァイト嬢と向き合う。
「差し出がましいと承知の上で提案しますが、俺が庶民の生活をお教えしましょうか?」
「ぇ……」
曇が晴れるくらい呆気にとられたクンツァイト嬢に、畳み掛けた。
「だって貴族社会のマナーを教える教師はいても、庶民の生活を教える教師はいないでしょ? 何より実際に見て回って体験してみた方が、今後の予定だって組み易くなります。 俺なら授業料だって請求しませんよ?」
良い提案だと思ったが、クンツァイト嬢の表情は晴れない。
「そんな。 そこまで、迷惑になる訳には……」
「いや好きな相手がこれからも苦労するとなったら、手は貸すでしょ普通。 王侯貴族はどうかなんて知りませんが。 むしろ知らない所で餓死してないか心配で心配で、そっちの方が苦しいですよ」
返せる言葉を見失ったクンツァイト嬢に手を差し出す。
どこぞの王子さまがよくやるお手ではない、商談が決まった時の握手だ。
だって俺は行商がしたい庶民なんだから。
「改めて、いかがですか? 天気の悪い日は調理室。 もちろん他に予定が無ければで構いませんので。
俺は『損はさせない』だなんて言いませんよ」
そのまま暫く待って。 漸くクンツァイト嬢が躊躇いがちな手で応えてくれた。
まだまだ序盤ではありますが、
批評感想・評価してくれると嬉しいです。
特に「ここ、こうした方が良いのでは?」「ここ分かり辛い」などありましたら、遠慮なく。
細かい所はこれからですが、大筋は既に決まってるので、頑張ります。