隣のカトレア・クンツァイト嬢
あの日、学園内で行われた越冬と新年を祝うパーティの最中。 事件は会場から一区画遠い、初等部の校庭で起きていた。
その一部を目撃した初等部の生徒が養護教諭へと説明した証言によると、振り翳されたクンツァイト嬢の短剣がアルメリアさんを害する寸前、飛び込んで来たレイモンド殿下の風魔法がそれを阻止。 その際、誤って斬り飛ばされたクンツァイト嬢の左手は、短剣に込められた強力な火炎魔法の暴発に巻き込まれた、と。
この証言は当事者3人も認め、公式に開示され今や誰もが知る事実となっている。 秘匿されなかったのは単に、治癒しようのない身体欠損・侯爵令嬢との婚約破棄から間もない新たな婚約・火炎魔法の暴発による被害が隠蔽しきれず、初等部の生徒達に余計な不安を与えかねない為、とされている。
その夜は急な豪雨だった、にも関わらず庭木が1本丸ごと炭化し、洞窟の口の様に溶け崩れた校舎の壁が花壇だった場所の窪みに溜まって、一面を灰色に染めていたらしい。
・ ・ ・
この国最高峰の医術を持つ養護教諭により即座に処置がなされたそうだが、既に焼失した左手を繋ぎ治せる筈もなく。 とはいえ、貴族王族が通う学園の養護教諭が、治癒魔法を使えないなど考えられない。 傷は完全に塞がっている筈なのだが……
彼女の左手首はまだ包帯で包まれたままだった。
よくよく見ると皺だらけ・適当に巻かれた様子で、侍女や養護教諭がやったにしては雑過ぎる。 無論、あの侍女や保健室の主がこんな手抜きをやらかすとは考え難い。
原因は何となく察しがついた。 片手で巻くのは慣れていないと難しいからな。
(……よし!)
1つ目のサンドイッチを食べ終えた流れで一息吐き、俺はこれまで幾度となく脳内で試行錯誤し定まった会話の道筋へと誘うべく、声が震えないよう『○○先生が呼んでましたよ感』を装いながら、クンツァイト嬢に話掛けた。
「良い天気ですね」
「…………………………」
平民が侯爵令嬢様と同じベンチで手作りサンド食ってたってのに、微動だにせず屋上からの景色を眺めていたようだったから合わせてみたのだが。 ここまで無反応だと、『それ人形ですよ』と後ろから笑われた方がまだ納得出来てしまいそうである。
無視されたのか、心ここにあらずで本当に聞こえていないだけなのか……
いやしかし、仮に聞こえていなかったとしても、話し掛けるという最初にして最大の壁は突破したと言っても過言ではない! なにより無反応だった場合すらも想定済みだ。 何の問題も無い。
そう、何の問題も無いんだ。 だから怯むな俺!
聞かれそうな激しい動悸と、考えてしまいそうになる不安材料を勢いで包み隠し、更に言葉を重ねた。
「……暖かくなってきて良かったですねぇ。 冬は苦手だけど、このキンと肌寒いのに日差しで暖まれる日があるこの時期が、四季で1番好きかもです」
「…………………………」
俺は何が言いたかったのだろう。
大丈夫分かってる、話題が欲しかったのだ。 今のクンツァイト嬢を逆撫でしない・当たり障りなく少しでも談笑出来る適当な話題が。
校庭側からの声が増えてきた、それに負けないよう俺も慌てて言葉を重ね続ける。
「クンツァイトさんは屋上、良く来るんですか? 俺は昼食の時くらいですけど毎日、雨天以外はほぼここですね。 あんまり人来ないんで、仮眠とまではいけなくてもボケ〜っとしてられるのが――」
――とここで気が付いた。 クンツァイトさんはお昼食べたのか?と。
この学園には大食堂が2つある。 1つは初等部と中等部の生徒が利用し、もう1つは中等部と高等部の生徒が利用している。 のだが、俺のような一般生徒は近づき難いのが現状だ。
まぁ、貴族子女が弁当を持参してくる筈がないからな。 金さえ払えば国が認めた料理人の温かく旨い食事に有りつける食堂に群がるのは自然の摂理でしかない。
勿論、生徒間平等を掲げるこの学園において一般生徒が利用出来ない理屈など無いのだが、暗黙のルールと言うか無言の圧力と言うか……やはり席の奪い合いとお貴族様事情では相性が悪いらしい。 よりにもよって、同世代には王族までいる始末だし。
で、つまり昼休憩になって間もない今、侯爵令嬢様が屋上で寛ぐなど、いくら俊足早食いを極めていようと有り得ない訳で。
(クンツァイトさん、まだ食べてない?)
考えてもみれば、現在大食堂には中・高等部の貴族子女達に加え、必ず来ている筈なのだ、左手を斬り飛ばした元婚約者と殺し損ねたアルメリアさんが。
想像せずとも胃と空気が重苦しくなるのが予見できる……忌諱の視線だって避けられない。
となれば……俺はどうせ聞こえちゃいなかったであろう話の脈絡をぶった切り、自分の弁当から紙で包んだ未開封のサンドイッチを取り出した。
「クンツァイトさん、昼食まだなんじゃないです? 手作りですが良ければどうぞ」
薄い食パン2枚をカリカリにトーストしてマヨを塗り、玉子・ベーコン・葉野菜・ピクルス・チーズを挟んだありきたりで簡素な物だ。 半分に切った縦長だから、女子にも食べやすいだろう。
「…………………………」
と思っての気遣いだったのだが、やはり反応すら得られなかった。
さすがにこのまま膠着状態ってのは気不味い、昼寝は諦めるにしても昼食がサンドイッチ半分だけは避けなければ。 授業中に腹が鳴るのは周りにも迷惑だ。
それはクンツァイト嬢とて同じ筈で……
俺は食べ掛けの自分のサンドイッチを咥え、差し出していたサンドイッチの包紙を半分まで剥いて、放心状態であるクンツァイト嬢の鼻下に近付けた。
「…………………………」
トーストの芳ばしさとマヨの酸味で食欲を刺激しよう作戦なのだが……果たして。
クゥ~
「……っ!」
不意にクンツァイト嬢のお腹が小さく鳴り、慌てて鼻下から距離を取る。 と同時にクンツァイト嬢がハッ!とした様子で自らのお腹に左腕を添えたのを見て、俺はすかさず声を掛けた。
「どうぞ」
差し出したサンドイッチにクンツァイト嬢が初めて驚きの表情を向け、そのままいつの間にか隣に座りそれを持つ俺とも視線が合うと、彼女はその紅い瞳を激しく震わせた。
「ぇっ……あっ!? ぇっと…………あ、ぁりが……ござぃます……?」
見知らぬ男子生徒が隣に座っていて、お腹の音を聞かれ、既に食べ物まで差し出されている謎な状況……侯爵令嬢ともあろう者が、つい左手で取ろうしてしまったくらい混乱を隠しきれていないようで。
そんな彼女らしくないオドオドとした挙動に、俺は不謹慎ながら可愛いと感じてしまった。
宙に止まり、思い出したように引き戻されていく左腕を見て、「はい」と持ち易いよう親指と人差し指の2本に持ち替え、サンドイッチを彼女の上がった右手に手渡す。
「玉子とベーコンとチーズと、あとピクルスも入ってますので、苦手な物は残して大丈夫ですから。 何か食べておいた方が楽ですよ」
「ぁ、は……ぃ」
数年ぶりに声を出したかような拙い返事だけを残し、それから暫く、手の中にあるソレを不思議そうに眺めていたクンツァイト嬢は、俺が自分の食べ掛けをたいらげた頃になって漸く、サンドイッチに口を付けた。
耳までカリカリに焼いたおかげで、一噛り目から聴くだけでも美味しそうな音がこっちにまで届く。 玉子の替わりにと残っていたハムを全て挟んでいて助かった、クンツァイト嬢が食べている間にと食堂へ走っていた所だ。
食べ始めは恐る恐るだったクンツァイト嬢も、ゆっくりと咀嚼を繰り返し2口……3口……と喉を通していくと、思っていたよりもあっさり食べ終えてしまった。 侯爵令嬢様に庶民の手作りサンドが受け入れられるのかという心配は、どうやら杞憂だったらしい。
「ぁ…………ぅぅ……」
空になった包紙の中を若干寂しそうに見下ろす横顔に、俺は準備済の、クンツァイト嬢にあげたサンドイッチのもう片割れをもう1度差し出した。
「どうぞ、同じ具ですが」
「えっ!? ……ぁっ、ご……ごめ…なさぃ」
恥ずかしそうな申し訳無さそうな、複雑な顔で包紙を弁当箱に返し受け取ったクンツァイト嬢が、気を紛らわすように齧り付く。
黙々と咀嚼していく横顔がなんとも可愛らしい。
……以前までのクンツァイト嬢は次期王妃と目されていただけあって、凛々しくも常に優雅であり、廊下で擦れ違うだけでも誰もが緊張してしまう高貴さが身から溢れていた。
しかし今ここにいる彼女は、まるで身を縮こまらせた小動物のようで。
(……おっと!)
慌てて、視線を外すため姿勢ごと変え白い雲を見上げる。
うっかり見入ってしてしまう所だった。 『食事中の相好を見届けるのは給仕の仕事です』と温厚なマナー講師もオーガの形相で詰め寄っていたくらいだし。 そもそも友人ですらない男子に隣から見られていては不快だろう。
かと言って本来、平民から貴族へ話し掛けるのもマナー的にアレなので、耳を澄ませつつ人差し指の先端に魔法で水球を作り、口へ放り込む。 そのまま瞼を下ろし、仮眠してるフリをしながらクンツァイト嬢が食べ終わるのを待つことにした。
クシャ……
少しして、包紙を握り丸める音に目を覚ます。
「ぁっ……ぁあの、すみませんでした……頂いてしまって」
食べ終わったのなら包紙を回収しようと思っていたのだが、その前にクンツァイト嬢と目が合った途端、頭を下げられてしまった。
慌てて笑って誤魔化す。
「こっちが勝手にあげたんですから、受け取って頂けて嬉しかったですよ」
本心だ。 じゃなきゃ今日のメインをあげたりなんてしない。
というか自分で言うのもなんだが、見知らぬ男子から突然食べ物を渡されて、口にしてくれただけでも感涙ものだろう?
「てか、味どうでした? 材料は学園内で揃えたので悪くないと思いますが、安物ですし口に合ったかどうか……」
「全然っ! っ……そんなこと。 美味しかった……です」
力強い眼差しを向けられたのもほんの僅か。 ハッとすぐ視線を下に外すと、弱々しくもそう答えてくれた。
急に顔が熱くなる。
「……なら、良かったです」
声の震えを笑って誤魔化しつつ、俺はクンツァイト嬢に弁当箱を差し出し、包紙を入れてもらった。
弁当箱を袋に仕舞う数秒も思考は止めない。
まずい、照れてどうする! 話題を途切れさせる訳にはいかないのに!
袋の紐をグッと結ぶと同時、まだまだ肌寒い風が2人きりの屋上を流れていった。
こうなったら、
「あぁ〜……クンツァイトさんも、普段からよく屋上に来られてたんですか?」
「いぇ……ぁの、今日はなんとなく……でっ」
「でしたか。 いやね、晴れてる昼は大体屋上で食べてるので、来た時ビックリしましたよ」
「ご……めんなさぃ」
「ぁぁいや、良いんですよ?! 俺のベンチじゃないんですから」
努めて軽く振る舞ってはいるものの、どうやらこれでも萎縮させてしまうらしい。 禁句ばかりか話し方にまで気を張らないといけないとは……初めてあの養護教諭を尊敬した気がする。
とはいえ話題としては間違っていない筈だ。 このままもう少し広げるか。
「じき春ですし、ここ穴場なんで寛ぐにはオススメですよ。 昼食時なら滅多に人来ないので、誰にも気を使わなくて済みますからね。 まぁ寝たら遅刻しますけど」
「そぅ……ですか……」
「なので、是非またお昼ご一緒させていただけると嬉しいです。 喋ってれば眠気覚ましにもなりますしね」
「は……ぃ……」
ムグムグと、右手の指先が居心地悪そうに太腿を揉む。
空腹が紛れ少しは正気を取り戻せたのか、声に警戒色が滲み始めてきた。 視線も前方足下で固定されたままだし、背筋も首も心なしか丸い。
そろそろ限界か。
仕方ない、最後に約束だけでも取り付けてしまおう。
「そうだ、明日も弁当作って来ますので、せっかくだからクンツァイトさんの分も作って来ましょうか」
「えっ!? そっ……んな! わざわざ申し訳ない……ですっ!」
「ですが、持参出来ます?」
「っ! ……………」
口を噤み、目が泳ぎだす。
ここまで動揺するとは……少し言い過ぎたかもしれない。
今のクンツァイト嬢に昼食を持参出来る当てなんてない。 買い出しで頻繁に見掛けたあの侍女は、もう2ヶ月以上前から姿が見えないし、大食堂でも軽食は買って来られるが、心情的に近付く事すら地獄だろう。
となると自作しか無いのだけど、侯爵家であるクンツァイト嬢に料理経験があるかは不明だし、何より片手だ。 世の中には片腕でも料理出来る人はいるが、それが可ならこんな屋上でお腹を鳴らし、初見男子サンドを口にできる道理がない。
腫れ物を突いたようで心苦しいけど、ここは強引にでも押し付ける事にした。
「1人分も2人分も、手間としては大差無いんですよ。 むしろ自分1人のために洗い物増やすのが嫌で、前日の夕飯の残りを詰め込んだりしてたくらいですから」
「……そう……ですか」
「なるべく食べやすいよう考えてきます。 なので、また感想聞かせてください」
「…………は……ぃ……」
困惑・警戒・不安・焦り。 貴族らしからぬ素直な仕草が、クンツァイト嬢の一挙一動から如実に見て取れて……
「あっ! ぅわっやばっ、俺のクラス次、馬術だっけ?! すみませんお先に失礼します! また明日!」
「えっ! あっ……」
返事を待つ余裕も無く軽くなった弁当片手に慌てて急ぐように、俺は一方的に捲し立ながら屋上から逃げ出した。 ベンチに独り残されたクンツァイト嬢へ振り返りもせず、扉を乱暴に閉め薄暗い階段をダンダンと駆け下りて行く。
「……………………ぁっ、名前……」
1階。 人目から隠れた階段裏の狭い空間に腰を下ろし、ひんやりした壁に背を凭れ掛ける。 そのまま暫くして荒い呼吸が治まっても尚、心臓はバクバクうるさいままだった。
「あ〜〜……」
クンツァイトさんと喋ってしまった……しかも2人きりで。
庶民の自分では話すことは疎か、視線を向けただけでも取り巻きの令嬢達から睨み返されてきたというのに。
『美味しかった……です』
〜〜〜っ!
熱くなってきた顔を体育座りの膝で挟み、両腕をまわして顔を隠す。
お世辞だとしてもヤバい。 今はそんな状況じゃないってのに、身勝手な気持ちが抑えきれない。
入学式の日から、一目惚れを引き摺り続け約7年間。 『庶民のガキ』と『第一王子の婚約者』に繋がりなんて毛ほども望める筈が無く。
しかし今日、一方的でも、場違いでも、憧れていたクンツァイト嬢と話せたばかりか美味しかったとまで言ってもらえたのが……
「…………泣くだろ……こんなの……」
歩けるようになった頃には、マナーの講義を遅刻していた。
※4/26日現在
30日更新にしました。
批評感想いただけると助かります。