52 マスク
ナイアスが空から視線を戻すと、そこにユウノシンはいなかった。
いたのは、マスクの表示を消したレンだ。
「え?」
レンはそのまま、マスクをすぽんと脱いでしまった。
にこにこ笑ってナイアスを見ている。ナイアスはちょっと目のやり場に困った。
ユウノシンの中身=レンは黒い短髪で瓜実顔の、ユウノシンとは違うけど、爽やかな感じのイケメン(?)だ。——とナイアスは思った。
「ミキもマスク脱いでごらんよ。それじゃ、空気の匂いが分からないだろ? ここには僕ら以外、誰もいないよ?」
話し方はユウノシンのままだ。
ナイアスは真っ赤になった。
さすがにこの状況で表情を固定したりするのは憚られた。だって、ユウノシンはレンのままの肉顔を見せているんだよ?
「で・・・でも・・・、わたし・・・。ナ・・・ナイアスみたいじゃないし! ユ・・・レンを失望させちゃうかも・・・」
「そんなことないって。言ったろ? 僕はナイアスの形が好きなんじゃなくて、その中身のミキが好きなんだって。」
そう言ってレンはナイアスから視線をそらし、木々の梢の方に顔を向けた。
「空気、美味しいよ?」
ミキは、少し躊躇ってから、そっとナイアスを消した。
顎のベルトを緩めて、そうっとマスクを持ち上げる。
その瞬間。
ミキのまわりに森の空気が戯れにきた。
頬を撫でてゆくそよ風。 草や花や木々の生命の無数の微かな匂い!
マスクをかぶっていては聞こえなかった遠くの鳥の声!
これが! 外の世界!?
レンはそれを目の端で捉えていて、やがてゆっくりとミキに向き合った。
ミキはアバターのナイアスよりも少し四角っぽい顔で、肩までありそうな長めの黒髪は後ろで1つに束ねていた。おでこが丸くて大きい。
目はナイアスのようなぱっちり二重ではないけど、そのよく動く瞳はナイアスそのまま、いや、それよりもずっと魅力的だった。
うぶ毛を光らせた頬。柔らかそうな耳たぶ。ナイアスよりぽっちゃりして、小さめの唇。それらの全てが、みずみずしい生命力にあふれている。
ミキはまだ頬を赤く染めている。
「あ・・・あんまり見ないで。 は・・・恥ずかしいよ・・・。」
その気持ちは分かる。とレンは思った。
初めてミズホさんの前でマスクを脱いだ時のレンがそうだったから。
「踊ろうか。」
レンが言って、ステップを踏み始める。
とん。 とん。
レンが踏んだ草の青い匂いが、ミキの顔の前にやってきた。
とん。とん。 ふわん。
あ、そのステップ——。
「月の精だ。」
ミキが笑顔になって、ステップを合わせ始めた。
とん。 とん。 くるん。 ふわあん。
2人が、響き合うように、語り合うように踊る。
それは『月の精』の振り付けであるのに、まるで別の踊りのようでもある。
森の精が2人、気まぐれに顕れてそこで踊っているようにも見えた。
そのダンスの振り付けはしだいに崩れて、自由になってゆく。
森の匂いを身に纏い、小鳥の囀りや風になびく梢の葉ずれの音をBGMに、生命のあるがままを表現し始める。
ミキが笑っている。
頬はまだ少し紅いけれど、それはもはや羞恥のせいではない。
レンよりももっと深く、森の息吹きを、草木の香りを、その胸の内に吸い込んで笑っている。
そのうちミキが、まるでメストレ・バーゴのジョーゴでもやるみたいに、地面をぺたぺたと触る不思議なステップ(?)を見せ始めた。
そうして、レンを見上げて満面の笑顔になる。
その表情はナイアスのそれと変わらない。
レンも同じようにして、呼応しながら踊る。
これが!
大地の手触り!
億千万の生命の匂い!
生命の謳!
2人は並んで草の上に寝転んだ。
汗ばんだ背中が少しひんやりして気持ちいい。
「これが・・・」
とミキが空を見上げたままで言う。
「草の匂い・・・。土の匂い・・・。初めてだよ、こんなの——。」
コモンの石畳にこんな匂いはない。
風が、2人の頬をそっとなでていった。
「わたしも、会ってみたいかな・・・。そのミズホさんって人に・・・。」
「うん。きっとミキも気にいるよ。」
そう言ってレンは上半身だけ起き上がる。
ミキも同じように起き上がった。
お互いの肉眼で、肉顔を見つめ合う。
「ユウノシンとは違うけど、レンもなかなかイケメンだね。」
そう言ってミキは照れ隠しみたいに笑った。
「ミキだって、ナイアスよりかわいい。」
「いまさら、おべっか使ったってぇ。(笑)」
どこかで鳥の声が聞こえた。
名前はわからない。ミズホさんなら、たちどころに言い当てるんだろうけどね。
「おでこ。」
とレンが言った。
「え?」
「おでこに、キスしていい?」
ミキが耳まで真っ赤になった。
アバターのナイアスの——ではないのだ。
レンも頬を紅潮させている。
「う・・・うん。」
ちょっとうつむき加減になったミキの瞳が、見たこともない光を帯びてキラキラとしている。
レンはそんなミキの頬を両手でそっと挟み込んだ。
熱い。
初めて直に触れるミキの肉体。
ミキの丸くて大きいおでこが、ちょうどレンの顔の前にある。
レンは、そのおでこにそっと唇を押し当てた。
ミキのおでこは、汗ばんで熱でもあるみたいに火照っていた。
柔らかくて薄い皮膚の下に、頭蓋骨があった。
了
最後までお付き合い、ありがとうございました。m(_ _)m
引き続き「オレンジ色」もお楽しみください。




