45 稽古
「ところで束脩じゃが・・・」
とベンチに座っていたメストレがにこにこ顔のまま言い出した時、それまで楽しさの余韻に浸っていたユウノシンとキラントは、一気に現実に引き戻された。
た・・・高いんだったよね?
思わず2人してシャスルコーチの方を見る。
「2人とも才能ありそうじゃで、成功報酬ということにしておこう。」
メストレは相変わらず笑ったような目で2人を覗き込む。
「先行投資ってやつじゃな。うほっほ。2人とも、うんと儲けさせてくれよぉ?」
これって・・・。どこかで聞いたような・・・?
帰り道、飛行エリアを並んで飛びながら、ユウノシンとキラントは今しがたの途方もない楽しい時間のあれこれを思い出していた。
まだ言葉にはなっていないけど、学んだものも多いように思う。文化であり、哲学でもあり・・・かあ——。
「借金、増えちゃったな・・・。」
「お・・・おう。」
「ビッグになんないとな・・・・。」
「お・・・おうよ!」
ナイアスが心配したほど、稽古はナイアスにとって大変ではなさそうに見えた。台本を読んでみると、たしかにハルミオの言ったとおりダンスが大半で、セリフも歌も少ない。
つまりダンスでシドの存在を表現せよ、ということだ。ダンスだったら、なんとかなる。
ダンスに存在感がある——とコーチたちにもお墨付きをもらっているナイアスは、演劇の舞台という未知の領域でもなんとかついてゆけそうな気がした。
いやむしろ、このミュージカルにおいては、シドのダンスの存在感は必須のものじゃないか。
なるほど。コルンコーチがこのオーディションを勧めたわけだ。
ミュージカル『猫たちの夜』は、夜の野良猫たちの世界を描いた物語だ。
街の2つの地域のボスであるキマオウとシカグラの争いと、それを煽るサモーニャというメス猫、そこに毎夜屋根の上に現れ、月の光の中で踊るシド。
キマオウグループとシカグラグループのエサ場をめぐる引けない争いの中で、時に人間たちに追われながらグループの猫たちのボスとして振る舞わなければならないキマオウにとって、心の慰めであり、憧れでもあるメス猫が、屋根の上で月光を浴びて踊るシドだ。
主役キマオウの心の動きを描いてゆくこのミュージカル作品において、シドの存在は極めて大きなものになる。
セリフが少ないとはいえ、ダンスによるシドの表現はこのミュージカルの要になると言ってもいい。
大変な役を仰せつかった・・・。と思う一方で、ナイアスの中にそれまでなかったような野心の炎がちろちろと燃え始めてもいた。
これやり切れば、わたしダンサーとしてものすごい実績を得ることができる。
しかし・・・。
ハルミオの舞台はそれほど甘くはなかった。
ダンスの振り付けは振り付け師がする。
その点はミラクル・ヴォイドの時と変わりなかったが、そのタイミングはコンサートの時ほど簡単ではない。
コンサートではギランの歌に合わせればよかったのだが、ミュージカルとなると複数の役者さんたちの歌や踊りやセリフの間合いに、出だしやリズムや、途中のロッキングなどのタイミングを合わせてゆかなければならない。
特にシドは、全員で一斉に踊る時でも1人だけ屋根の上で別の踊りをしていなければならないから、その合わせ方が難しい。
振り付け師のシロノアンさんは、3人の助手と共に15人の振り付けを行なっていく。それぞれの動きとタイミングとイメージを、場面ごとに伝えてゆく作業は想像以上に根気のいる仕事だ。
大変だなあ・・・。
ナイアスは初めて見る舞台の裏側に、感心することしきりだ。
みんな本当に真剣だ。時々笑い合ったりふざけたりしながらも、それぞれが舞台を成功させるために何が必要か、どうすれば良いか、を議論しながら身体を動かして試してゆく。
本番と同じようにバーチャルな背景やミュージックを重ね合わせてみては、またその修正が始まる。
ハルミオは読み合わせの時以来、顔を見せていない。
「あの人はひと通りの叩き台ができてから来るよ。彼が来たら、こんな和気藹々では済まないからねぇ?」
シロノアンさんが、にかっと笑ってナイアスに言う。
みんなしてビビらせるようなこと言うなぁ——。
そんな稽古にハルミオが顔を出したのは、実際に身体を動かす稽古が始まって3日目のことだった。
今日はキラントのプロテストの日だよね? 受かるといいなあ。
ナイアスは、応援に行けないキラントのことがちょっと気になっている。
「おい、ナイアス! 他ごと考えてるたぁ、余裕だな? 集中しろ!」
いきなりハルミオの怒声が飛んできた。
は!? バレた? なんで、考えてることまで分かるの? 何も言ってないよ?
ハルミオは一言怒鳴っただけで、あとは何も言わず、腕組みをしたまま椅子に座ってじっと考えている。
ナイアスの素朴で正直な表情はシド役にはうってつけだが、逆に言えば、そのままじゃ芝居にならねーってことだ。
こいつを拾ったのは間違いじゃねーと思うが、舞台の上でシドに仕上げるにはシドの内面を全部理解させねーと。上っ面の表現じゃ、こいつを拾った意味がねぇ。
ちっと骨が折れそうだが・・・、やりがいはありそうだぜぇ——?
ハルミオの口に、また少し悪魔じみた笑いが浮かんだ。




