44 メストレ・バーゴ
ユウノシンのもとにナイアスからメールが来たのは、キラントのプロテスト試合の3日前の夕方だった。
「ごめん。ユウノシンの仕事の話、切り出せる雰囲気なんて全くない。そっちの仕事、出られないかもしれない。」
あれ以来、ナイアスはダンススクールの方には全く顔を出していない。
「大丈夫だよ。こっちはなんとかするから。ハルミオの舞台と別の仕事を掛け持ちするなんて、無茶だと思う。気にしないで、全力でついて行きなよ。」
ユウノシンはメールの返事を送って、そのあと少しだけ寂しい気分になった。
ダンススクールには今、キラントもナイアスも出てきていない。
そのせいかな?
とも思ったが、どうもそうではないっぽい。
ナイアスは今、ビッグチャンスの中にいる。キラントもプロ格闘家を目指して走り始めた。
もちろんユウノシンも、一応はプロとして小さいといえどオファーがくるようにはなっている。
しかし、もう一段上を目指すなら、やはりもう1つ2つ目立つほどの実績を作らなくてはいけない。
ショッピングモールのイベントくらいで満足していてはいけないのだ。
それから5日後。キラントがプロテストに合格した翌々日、ユウノシンはキラントと一緒に非番のシャスルコーチの後ろについて飛行エリアを飛んでいた。
シャスルコーチの師匠に会うためである。
「たぶん、この辺にいるはずなんだけどなぁ・・・。」
例のビルばかりのプレートの、怪しい店がいっぱい並んでいる路地から路地へとシャスルコーチはユウノシンたちを引っ張り回した。
「この辺・・・って、待ち合わせしてるんじゃないんですか?」
「そういうこと、できない人なんだ。」
「今日行くって連絡は?」
「メール機能切っちゃってるんで、できない。探し出すしかないんだよ。」
え? ちゃんと会えるの?
「一応、探してます、っていうサインは出してるから、師匠の方からすぐ見つけてくれるとは思うんだけどね。」
そう言ってシャスルコーチは上を見上げる。ユウノシンたちも見上げてみると、コーチの頭上の高い位置に、何やら変なマークのアイコンが浮かんでいた。
「よほっほっほっほ!」
突然妙な声が聞こえて3人がふり向くと、そこに縄みたいに髪の毛を編んだ浅黒い顔の大きな男が立っていた。
年齢のよくわからない顔つきで、目が面白そうに笑っている。そういう作りなのか、何かが面白くて笑っているのか、これもよくわからない。
しかしその捉えどころのない表情は、間違いなく「固定」ではなく「連動」であることだけはわかる。
「弟子シャスルではないかい。今日はまた、どうした? それは弟子希望者かな?」
「ご機嫌麗しいようで。メストレ・バーゴ。」
「うほっほ。束脩は高いぞ?」
「いや、彼らは弟子希望ではなく、私のダンススクールの生徒なんです。私の師匠に会ってみたいと言うので・・・。」
「なんじゃい。でも、会うだけでも高いぞ?」
「そうおっしゃらず。美味しいハンバーガーでもご馳走しますから。」
「うほほ! そうかい。そうかい。そこに、美味いハンバーガーの店があるんだがな?」
シャスルコーチは、にこっと笑った。
「ではそこへ行きましょう。もちろん、お代は私が払います。」
ユウノシンとキラントはポカンとしながらその会話を聞いていた。
これは・・・、交渉なのかな? ・・・何の?
ハンバーガーを3つも頬張って、満足そうな顔で爪楊枝をシーシーしながらメストレ・バーゴは店の外へ出てきた。
(ユウノシンとキラントも1つずつご相伴した)
爪楊枝などというレトロなアイテムを、こんなふうにコモンで実際に使う人がいるなんて——。どういう表現なんだろう、これ?
「うほっほっほっほ。・・・で、ジョーゴをやればいいんかの?」
メストレはひどくご機嫌だ。
相変わらず笑ったような目で、ひょいと小腰を屈めると、路地の石畳の上を田植えでもするような手つきでトントンと叩き始めた。
すかさずシャスルコーチも同じような動作で呼応し始める。
「ほら。ダンス坊やたちも、せっかくだから踊らんかね? うほっ!」
え? 束脩、高いんじゃ?
「気にしないで、真似してごらん? 今、メストレはご機嫌なんだから。」
2人とも見よう見まねで「田植え」を始めた。
ユウノシンはすぐになんとなくサマになったが、キラントはまるで格好になっていない。
そんなキラントにメストレが笑い顔のまま、低い姿勢ですうっと近づいてきた。
次の瞬間。
思いもよらない場所から、キラントの顔めがけてメストレの蹴りが飛んできた。
キラントは即座に反応してかわした・・・つもりだったが、かわし切れていない。キラントの顔面に蹴りが当たる寸前、メストレの足がぴたりと止まる。
「うほほっほっほ。なかなか良いな。坊や、格闘技をやっとるな?」
メストレは相変わらずにこやかに笑っている。そのまま流れるように田植えに戻っていった。メストレの位置は、距離感とともに捉え難い。
「そうなんです。昨日プロテストに合格したばかりですが。」
シャスルコーチがやはりにこやかに答える。
「うほっほ。そうかい。そうかい。だが、あの世界では、あまりカポエイラは使わん方がええぞ? 嫌われとるからな。」
ユウノシンはちょっと笑いそうになった。もう、ひと波乱起こしちゃったけどね。
突然、ユウノシンの見えないところから、メストレの蹴りがユウノシンの側頭部を襲った。今度は寸止めしてくれていない。
ユウノシンはひっくり返った。
痛ってぇ———! なに?
「人が必死になっとることを笑うんじゃないよ。坊や。」
相変わらずメストレの目は笑っている。
なに? この人・・・。僕、顔になんか出してないのに・・・。
「ジョーゴはね。身体による対話なんだ。メストレに内心を観られてないと思ってるんなら、それは舐めてるぞ。ユウノシン。」
シャスルコーチの厳しい言葉が飛ぶ。
ユウノシンは突然、この2人が怖くなった。ユウノシンの動きがぎこちなくなる。
「うほっほっほっほい。」
メストレの動きが急に変わった。両手をひらひらさせて、ひどくコミカルな動きをする。シャスルコーチもそれに合わせて動きを変える。
ユウノシンとキラントは、その変化についてゆけない。
「ほら、どうした? ダンス坊や。楽しく踊らんかい。ダンスは他人を楽しませるもんじゃぞ? 自分が楽しまんで、どうやって他人を楽しませる? ほれ、楽しめ、楽しめ。ほっほっほい。」
「ユウノシン、1発蹴られたぐらいでヘコんでちゃだめだ。私なんか何回でも蹴られてるよ?」
それを聞いて、ユウノシンもようやく体がほぐれてきた。気持ちを切り替えて、コミカルな動きに合わせてみる。
そうすると身体の動きに引っ張られて、気持ちも明るくなるようだった。心がまるでジェットコースターに乗せられているみたいだ。
「ほっほっほ。そうじゃ、そうじゃ。いいぞ、坊や。」
キラントの動きだけが、相変わらずぎこちない。
そんなキラントに、またメストレの蹴りが襲いかかった。コミカルな動きの中から突然、脇腹に足が飛んできたのだ。
うわっ! とキラントがかわそうとするが、間に合わない。
しかしヒットする寸前でメストレは膝をカクンと折り曲げ、へっぴりごしになったキラントの腹の前をメストレの膝がすり抜けていった。
メストレの表情は楽しそうな笑顔のままだ。
そのまま切れ目なく、流れるようにコミカルな動きにつなげてゆく。
ダンスとしても一流だな。とユウノシンは感心した。
なるほど。シャスルコーチが師事しようとするわけだ。
キラントが「田植え」に戻るようなそぶりで、いきなりメストレに向かってハボジアハイアを放った。
メストレはそれを、ふわりとかわす。
かわす、というより羽毛が風圧に煽られるまま舞うように、自然に蹴りの軌道の外に出ていく。メストレの表情は楽しそうだ。
キラントはすかさず起き上がり、一瞬で間合いを詰めて空手の前蹴りをメストレの顎に向かって繰り出した。
これはさすがに避けられない。この体勢では・・・。
とユウノシンが思った次の瞬間、メストレの体がゴムみたいに後ろにのけぞり、キラントの蹴りは空を切る。
それだけではない。
のけぞった体制のままで、メストレの左足の踵がキラントの顎を襲った。
思いっきり前に出ていたキラントはそれを避けることができず、モロに喰らってのけぞった。
こんな体勢から蹴りを出すなんて!
浮遊係数を使っている感じではない。体幹がめちゃくちゃ強いのだ。
キラントは? とユウノシンが見ると、それほどダメージがあるわけではなさそうで、すぐに体勢を立て直して「構え」をとった。
目をキラキラさせて、すごく楽しそうだ。こんなキラントの表情を、ユウノシンは初めて見た。
メストレは流れるようにコミカルなダンスを踊っている。
「ほらほら、踊らんかい。ほうれ、そっちのダンス坊やも混ざれ、混ざれ。うっほっほい。」
格闘技の技なんかも取り込んだダンスって、面白いかもしれない。
ユウノシンも見よう見まねで、蹴りのような技をメストレに仕掛けてみる。もちろん、当たるはずもない。
メストレもそんなユウノシンに、バレエの白鳥の湖みたいな格好の蹴りを繰り出してくる。ユウノシンが十分にかわせる間合いとスピードだ。
かわしながら踊る。
流れを止めるな。4人で、筋書きのないダンスを踊るんだ。誰も見たことのない、その瞬間だけのダンスを——。
楽しい!!
みんなが笑顔になって、1つの空間が出来上がった頃、メストレはふらりとその輪を抜け、道の端にあるベンチにペタンと尻を下ろした。
「うひゃあ———、疲れた。いやあ、年には勝てんわい。」
この人、いったいいくつなんだ?




