42 師匠
今日はジョーゴの日ではないが、キラントがシャスルコーチに会いたいと言うので、2人そろって治療を受けたセンターから直接ダンススクールに向かった。
ユウノシンはミドルスクールの課題は全て提出済みなので、もう卒業を待つだけで休んでも平気だし、キラントはミドルの課題提出は遅れに遅れているので「卒業」は遥か彼方だ。今更1日余分に休んだからといって、大勢に影響はない。
「やあ、今日はずいぶん早く来たんだね。いい報告なんだろうね?」
シャスルコーチが明るい声で出迎えた。
「あ、ご・・・合格はしました。そ・・・それで・・・、あの、こちらに何か迷惑なことは・・・?」
キラントがちょっと詰まりながらそんなふうに言うと、シャスルコーチは笑い出した。
「ああ、あれか。うん。電話がきたよ。審査評議会の委員から。」
キラントが、ゲッという顔をした。
「私がカポエイラを習ったメストレは誰か?——って。なんか迂闊に変なもの見せちゃったから、かえって迷惑かけちゃったみたいだね。」
自分が迷惑をかけたのではないかと心配して謝りに来たのに、逆に謝られてしまってキラントは困惑の表情をした。
「メストレって?」
ユウノシンが横から質問する。
「ああ、師匠のことだよ。カポエイラは流派の流れをすごく大事にするんだ。だから、誰に習ったかによってほとんど別の格闘技のようになってるものもあるらしい。もちろん、ほぼダンスになっちゃってるものも・・・。中には一時ギャング組織に利用されてたような殺伐とした殺しの技みたいな流れもあってね。
それもあって、まあ、ああいうエンタメ格闘界では敬遠されてるらしい。私のメストレの名前を聞いて、彼らは安心してたようだったよ。なんにしても、合格できてよかったよ。不安がらせて悪かったよ、キラント。」
「い・・・いえ、オレの方こそ、そんな難しい話になってる技を迂闊にプロテストなんかで使っちゃって・・・迷惑かけました。」
なんだかキラントは別人のように殊勝だ。彼はダンススクールにやってきてから、どんどん変わってきている。
「いやいや、迷惑どころか。これを機会に言ってやったよ。あんたたちも、もっと胸襟を開けって——。」
そう言ってシャスルコーチは笑った。
「カポエイラは、格闘技というだけじゃなく、ダンスでもあり文化でもあり、哲学でもあるんだ。私の師匠はそう教えてくれたよ。」
「シャスルコーチのメストレって、どんな人なんですか?」
ユウノシンが興味津々という感じで訊いた。
「会ってみるかい?」
「会ってみたいです!」
ユウノシンが間髪を容れず応じた。キラントも思わずそのあとに続く。
「オ・・・オレも・・・。」
さて。
時間は少し戻る。
ナイアスは他のオーディション合格者たちと一緒に、緊張して稽古場に立っていた。レギュラー組も三々五々集まってきている。
一箇所に固まっているオーディション組に、レギュラー陣の1人が声をかけてきた。
「今からそんなにビビってないで。これから、イヤってほどシゴかれるから。(笑)」
背の高いイケメン系のアバターで、肌の色はやや浅黒い。
「おい。あの人、リンドアさんだよね?」
「マジ・・・。ホンモノだ・・・。」
演劇系に疎いナイアスは知らない。リンドアさんって、誰?
「どうせ、あの人は遅れてくるから、それまでの間に自己紹介とかしない? あ、僕はリンドアって言います。俳優やってます。お見知りおきを。」
「だ・・・誰でも知ってるよ、そんなこと・・・。」
「冗談のつもりかな?」
誰かが隣で小さな声でささやき合う。
ナイアスは知らない。・・・そんな有名人なんだ・・・。
その有名人が、つとナイアスに目を止めた。
「ひょっとして、キミがナイアス?」
「え? は・・・はい。」
「やっぱりそうか。聞いてたとおりの外見だったから——。」
なんでそんな有名人が、わたしのことなんか知ってるの?
「師匠が一目惚れしたっていうのはキミかぁ。お手柔らかにね。」
は? ・・・・ひとめ・・・?
その時、稽古場の入り口の方で「おざぁーっす」というレギュラーさんたちの声が聞こえた。
「あれ? 珍しいな。お師匠さん、定刻どおりに来るなんて。」
ハルミオはトレードマークの顎髭に鋭い眼光で、ずかずかとオーディション組の塊の方に歩いてきた。
「おい、リンドア。オレの彼女に手ぇ出してんじゃねーぞ?」
「また、そーゆーことを。手なんか出してませんよ。自己紹介してただけでしょ? セクハラって言われますよ?」
リンドアさん、さっき「師匠」って言ってたのに、けっこうフランクにもの言うんだ・・・。ナイアスはそんなところにも驚いた。ハルミオさんて、見た目ほど怖くないのかな?
そのハルミオは、リンドアの言葉を軽く無視した。
「焦らなくても、舞台の中でイヤと言うほど付き合わせてやるからよ。」
「えっ?」
レギュラー組の面々が少しざわついた。リンドアがこの舞台の主役の猫、キマオウを演じることだけは決まっている。
そのキマオウと舞台の上でイヤと言うほど付き合う役・・・と言ったら・・・。月の精のように踊る、と台本に書かれたノラ猫シド?
準主役じゃないか!
演劇シロートの駆け出しダンサーの子に、そんな大役を?
ハルミオさんが「宝を掘り当てた!」と言っていたが、それがこのナイアスって子?
レギュラー組がざわついたのはそのことだが、当のナイアスはキョトンとしている。なにしろまだオーディション組は台本さえ受け取っていないのだ。
「大丈夫だ。セリフはほとんど無いし、歌を歌うシーンも多くない。踊りがメインなんだからハマり役さ。な? ナイアス。」
そう言ってハルミオはナイアスの肩を、ぽんと軽く叩いた。
「え? ・・・は?」
台本を読んでいないナイアスには、何の話か分からない。




