19 恋
コモン・メタはつながってはいるけれど、いくつもの言語圏エリアに分かれていて、それぞれに少しずつ適用される法律も違っている。人々の感覚も当然、違ってくる。
そういう複数のエリアで通用するアーティストが、グローバルアーティストだ。
ミラクル・ヴォイドのフクオウホールでの公演は、ファンの熱狂を炎でできた竜巻のように巻き上げて、その余韻の中で幕を閉じた。
このホールの公演がジャパニーズ圏での最後で、このあと彼らはチャイニーズ圏に向かう。グローバルツアーだ。
ギランは最後に、エキストラダンサーの名前を1人ひとり紹介していった。
そこにユウノシンの名前はない。
「だあ———。終わったぁ。」
ナイアスは通用口から出てくると、その外で待っていたユウノシンを見つけて小走りで駆け寄り、体を全部預けるようにしてもたれかかった。
「ヘトヘトだぁ——。」
スクールのコーチ陣も全員で4人を迎えていた。
「おつかれ。」
「おつかれさま。よかったよ。」
他の3人も皆、出し切ったという表情をしている。
「2〜3日、起き上がれそうにないわ・・・。」
「おつかれさまっす。」
ユウノシンもナイアスにもたれかかられたまま、先輩たちに挨拶する。
「なんで、おまえがそっちにいるんだよ?」
「ほんと、ほんと。ナイアスに譲ったわけ?」
「違うよ。ユウノシンはエントリーしてもらえたのに、自分で辞退しちゃったんだもん。」
ナイアスが首だけ起こして抗弁する。ユウノシンは、曖昧な笑顔に固定した。
「ちょっと・・・スランプ・・・。今出てもたぶん合格しなかったから・・・。」
クラスの先輩たちは、よく意味がわからない、という顔をした。表情をやや調整している人もいる。
ユウノシンも少し調整していた。今、自分がどんな顔をすればいいか、分からないからだ。
「飛ぶ力残ってなぁ〜い。」
「はいはい。送ってくよ。」
浮遊係数を1にするだけなんだが、ナイアスが甘えてみせているのはコーチも分かっている。たぶん、ユウノシンをケアしようとしている。
「ナイアスをよろしくな。」
シャスルコーチがそう言って、ユウノシンの背中を押す。他の皆も気をつかった。
「んじゃ、また明日。」
「オレは3日後な・・・。エネルギー残ってねー。」
三々五々帰ってゆく。
ユウノシンは表情を連動に戻し、ナイアスを抱えて浮き上がった。体重を感じない。ナイアスも浮遊係数を1にしているんだ。
出られなかった僕に、こういう形で気をつかっているんだろう。とユウノシンにも分かる。
「ちょっと休憩、しよ?」
少し飛んだあとナイアスが言って、ユウノシンの腕に体重がかかる。下にローザが見えた。道路を挟んで向かいにあの広場も見える。
ユウノシンも浮遊係数を落として、2人はローザの前に降り立った。そこに入ろうとするユウノシンの手を、ナイアスが引っ張った。
ナイアスはそのままユウノシンを広場の方に引っ張ってゆく。
既に夜になった広場には人影はまばらだった。端の方のベンチに肩を寄り添わせて座っているのは恋人同士だろうか。
広場の真ん中でナイアスはユウノシンの手を放し、トン、と足を鳴らしてステップを踏み出した。
簡単なステップだ。
でもそれは、とても雄弁にユウノシンに語りかけてきた。
連動の表情はちょっと泣き出しそうな笑顔をしている。
ユウノシンもステップを踏み始める。
軽やかに。
響き合うように。
速いダンスではない。
難しいダンスでもない。
ただ、2人の間でステップだけの会話が繰り返され、そこに優しく包むような空間が生まれ出た。
石畳が夜の光に控えめに輝いて、それが2人を中心に小波の波紋のように広がってゆく。
ユウノシンの連動の表情に、自然な笑顔が現れ出た。それがナイアスにも伝播してゆく。
ああ、これが。ナイアスのダンスの力?
あのコンサートで1人だけ輝いていたナイアスの力?
・・・それとも
僕がただ、ナイアスに恋をしているから、そう思えるだけ?
ふっと・・・。ナイアスがステップを止めた。
「おでこ。」
そう言いながら、ナイアスはおでこではなく、あごを突き出すような角度でユウノシンに顔を向けている。
ユウノシンもステップを止めた。
「おでこじゃなくてもいい?」
ナイアスの頬に赤みがさして、こくっと小さくうなずく。
ナイアスの唇は、とても柔らかく感じられた。
その夜、ユウノシンは「自宅」には帰らなかった。