10 フィフティーン
「おつかれ。」
「おつかれさまっす!」
ダンススクールの玄関を出ると、もう歩く気力もないのでカクベエは浮遊係数を「1」にして、ふわふわと揺蕩うようにして「自宅」に向かった。
その後ろをやっぱりふわふわ浮いてついてくるのは、ナイアス。
「筋肉、悲鳴あげてるわぁ——。ねえ、ユ・・・カクベエ。どこかでちょっと休憩しない?」
「部屋に帰って・・・とにかくまずシャワー浴びたい・・・。」
「だよね〜。汗だくだもんね——。」
ナイアスもそう言って笑う。連動の表情だ。
「じゃあさ、シャワー浴びたら、ローザでお茶しよう。デート♡」
「ん。いいね。18:00くらい?」
「・・・かな? 遅れたらごめん。女子はいろいろやることあるから。」
ナイアスはそう言って、自分の「自宅」の方にふわふわと飛んでいった。
レンはログアウトはせず、一旦スーツを停止状態にして脱ぐとシャワー室へ向かった。
1週間後にはテストがある。そこへ向けて筋力や持久力をつけるために、この1ヶ月ほどスーツの負荷軽減を行わないで練習を行なっている。
それも今日までだ。これから先は調整に入る。
シャワーを浴び終わってエアタオルで水気を切ると、レンは脱衣スペースの鏡に映った自分の肉体を眺めた。
いい筋肉になってきた。
15歳。成長の真っ只中だ。
この2年の間にサイズ調整が追いつかなくなって、2着のスーツを下取りに出して新しいものに買い替えた。
まだ背も伸びそうだし、もう1回くらいは買い替えが必要かもしれない。
汗まみれのスーツ用の下着はランドリーBOXに放り込み、新しいやつを着る。さっぱりした気分でシャワー室から戻ると、レンはワードローブから一旦停止状態の端末スーツを取り出した。
こちらの内部も、レンがシャワーを浴びている間にワードローブの中で殺菌乾燥が終わっている。
レンは再びスーツを装着して、コモンの「自宅」に戻った。
約束した軽飲食店ローザに飛行エリアを飛んで行くと、宣言通りナイアスはまだ来ていなかった。もっとも、時間はまだ5分早い。
入り口のバーチャルアンドロイドに待ち合わせであることを告げて、カクベエは窓際の席を確保する。
通りの向こうに石畳の広場が見える。かつて、そこのダンスサークルでナイアスと出会ったあの広場だ。
あれから2年半。もちろん、ミドルスクールの授業も出てるし課題もこなしてるが、それとは別に、ナイアスの勧めで今のダンススクールに通い出してからも1年と少しになる。
けっこう毎日忙しい。
ダンススクールではナイアスの方が半年ほど先輩。ってことになるが、ナイアスはそういう変な先輩風を吹かすことは一度もなかった。
ひとつには、カクベエ=レンの才能をリスペクトしていることもあるんだろう。レンはレンで、ナイアスの努力を惜しまない姿勢をリスペクトして大いに真似ようとしていた。
2人はお互いに学び合いながら、同じ目標を目指す戦友のようないい仲間になっている。
今日もナイアスは「デート♡」なんてふざけて見せるが、いつも通りダンスに関する話題で盛り上がるのだ。
何しろ1週間後には、スクールを代表してメジャーなオーディションに参加するメンバーを選考するテストが控えている。
残り1週間で何ができるのか、何をすべきか。お互いに他者の目でアドヴァイスし合うことは、何ものにも代え難い栄養になるはずだ。
「ごめーん! やっぱ、待たせたぁ?」
明るく連動で笑いながら、ちろっと舌を出して見せるナイアスがかわいい。とレンはこっそり思っている。
ナイアスはダンスのステップみたいに弾むような足取りで、カクベエの座っている席にやってきた。
「大丈夫。僕がちょっと早く来ちゃっただけ。」
実際、時間はまだ2分過ぎでしかないのだ。
「何飲む?」
「ん〜〜、アボガドジュースにするかな。刺激物はやめておく。」
「1週間後だもんね。」
ここからは体調管理が大事になる。
「はあ・・・。緊張するね。」
「リラックスしよう。ナイアスなら大丈夫だよ。いつも通りやれば、十分レベル超えてると思うから——。」
「ユ・・・カクベエは余裕だから、それ言えるんだよぉ。」
「そんなことないよ。」
「だって、スクールNo.1とも言われる上手さじゃない。カクベエが落ちるんだったら、受かる人いないよ。」
そう言われても、カクベエだって少しは不安がある。生徒たちの評判は良くても、一部の先生たちの評価がイマイチなのだ。それは、期末ごとに出される成績表の中に、じわっと得体の知れない形で現れていた。
レンだけがそれを知っている。
カクベエは不安をふり払うように、注文ボタンをクリックした。
「ねえ、ユ・・・カクベエ。おでこにキスしてくれる?」
ナイアスがそんなことを言って、レンは少しどきりとした。が、それは表情に出さないように注意する。急に連動からどこかに固定したら、その方が不自然だ。
「なんで・・・?」
「リラックスしたい。デートだって言ったでしょ?」
キスしてもらってリラックスできる男って・・・。カクベエはちょっと情けないような気がしながらも、立ち上がってナイアスのおでこに軽くキスをした。
「ありがと、ユ・・・・。ねえ、なんでコモンネーム変えたの? わたし、前の方が好きだったのに・・・。」
レンはコモンネームを3ヶ月前から「ユウノシン」から「カクベエ」に変えていた。
少し沈黙してからカクベエが答える。
「オーディションテストに集中したかったから・・・。」
ナイアスが連動のまま、キョトンとした顔をした。
「名前変えると集中できるの?」
「ん・・・・。えっと・・・、実は鬱陶しいのがいてさ。そいつのアクセスを拒否りたかったんだ。」
輝人のことだ。コモンに入ってから2年半にもなるのに、まだしつこく連絡をよこしてくる。
他のジュニア友達に聞いてみると、やっぱり同じようにしつこくメールなんか送ってくるらしかった。
コモンの「自宅」に遊びに行くとかいうメールまで受けたので、レンは「自宅」の座標も移動して外装も少しリフォームした。
コモンに入って皆それなりにオトナになってきているから、ジュニアの時代と違って暴力も悪戯も役に立たない。冷ややかにかわされる。皆に相手にされなくなって寂しいのかもしれない——。とも思ったりするが、こっちはそれどころじゃない。
集中したいのだ。
「何? ストーカー?」
「ジュニアで一緒の学校だったヤツ。ジュニアの時みたいに実害があるってわけじゃないんだけど・・・、ミドルスクールも僕が行ってる学校になんか入れない頭のヤツだし——。ただ、メールがしつこくってさ。」
「あ——、いたいた。いじめヤローな。女子も男子も関係ないんだよね、そういうヤツ。標的にされてたんだ。ユ・・・カクベエは勉強もダンスもできるから——。コモンに入っても追ってくるって、ちょっとすごいね。」
「うん。だから、ダンスに集中したくて——。名前変えて、『ユウノシン』の方は活動停止しちゃったんだ。限られた人や学校にしか通知してないから、そいつにしてみれば『ユウノシン』はこのコモンから忽然と消えてしまったことになるわけだな。」
「アカウント、消しちゃったの?」
ナイアスがちょっと眉をひそめて言う。
「いや、停止してるだけ。」
ナイアスは少しほっとしたような表情を見せた。2人でいる時は、2人ともめったに固定したりはしない。
「いつか・・・、戻せるといいね。わたしは『ユウノシン』の方が好きだから・・・。」
「あ・・・、もし、呼びにくいんなら・・・、2人だけの時は『ユウノシン』でもいいよ。なんならジュニアネームでも・・・。」
ナイアスは、ぱっと目を輝かせ、それから少し頬を染めた。
「ジュニアネーム教えてくれるの?」
「あ・・・その・・・。いやじゃなければ・・・。」
「なんでわたしが嫌がるわけ? 幼なじみみたいでいいじゃん♡ わたしのジュニアネームも教えるよ。ただし——!」
「2人だけの時に限り!」
「2人だけの時に限り!」
2人同時に言って、ハモった。2人とも表情だけで笑ったところで、ジュースが届いた。
ナイアスのジュニアネームは「ミキ」といった。
仲間から、幼馴染み・・・に?