学校(一)
その日はよく晴れて暑い日だった。生ぬるく、ゆっくりとした風が吹いている。
廊下を歩く教員の牧田は、大きな箱を抱え、担当するクラスに向かっている。
「おはよう!」
少し遅れて、朝のホームルームが八時六分から始まった。
大きな声でそう言って、足で扉を何とかこじ開けながら牧田は教室に入った。近くの者は振り返ったが、それで静かになる様な事はない。
牧田が大きな声を出して挨拶するには理由がある。
そう。教室の中は、騒がしい。
「おーはーよー」
教壇の上に昇りながら、牧田は『取り扱い注意』と赤く記載された箱を机の上に置いた。ガシャンと何やら音がする。
おおよそ取り扱いに、注意する様子はない。
「先生、それ何ですか?」「何それー?」
振り向いた生徒達が、席に着きながら聞いてきた。
「全員席に着いたら、説明するー」
牧田は我ながら少々うんざりしている。きっと自分の実力が足りないのであろう。
隣のクラスに比べ、ずいぶんと賑やかなのは、甘い性格から生徒に舐められているのだろう。
見た目も黒い眼鏡なんて掛けて、髪ももっさりとして、腕っぷしも強い訳でもなく、日に焼けてもいない。
「これ何ですか?」
一番前の生徒が手を伸ばして『取り扱い注意』の箱を手で叩いた。
「バカ! ヤメロ!」
小声で言って、思わず手を払い除けた。まったく。『取り扱い注意』と書いてあるのが、読めないのか! しかし、直ぐに反省した。
生徒に向かって『バカ』は良くない。
「今から大事な説明するから。すまんな」
小声で言った。いつも『バカ』なんて言わない先生が、直ぐにそんなことを言ったので、『バカ』と言われた生徒は小さく頷いて、何も言わなかった。
「ほら、結城! 席に着けー」
いい加減席に着かない生徒に対し、いつも通り『肩を掴んで席に着かせよう』と、教壇を降りかけて、牧田は降りなかった。
やはり牧田も『取り扱い注意』の箱が、気になったのだ。
「席に着け!」
バチンと拍手をして大きな声を上げた。
生徒はやっと席に着いた。何だかんだ言って、牧田はこのクラスの担任であると、認められているのだ。それに、今日は、いつもとは違う『何か』がそこにあり、いつもとは違う『何か』の説明がある様だ。
生徒は昨日のテレビの話より、そっちの方が気になり始めた。
「はい、みんな、良く聞いて下さい。今日は、とても大事な話をします」
特に返事は無いが、黙って生徒たちは牧田の方に目を向けている。
「この間、授業で『原爆』について、勉強しましたね」
生徒たちは黙って頷いた。
この国に落とされた原爆によって、どの様な被害が発生し、そして多くの罪のない人が亡くなったか、生き残った人たちの多くも後遺症に悩まされ、そして差別にも遭ったことを学んだ。
十歳にして教え込まれる内容にしては、重い内容であった。
自分達と同じ年齢の子供が、影だけ残して蒸発したり、全身火傷を負って『一滴の水を求めて彷徨い歩く』事など、できれば知りたくもない、過去の出来事である。
しかし、この国はそれに直視し、語り継ぐことを求めているのだ。
「世界の平和を守るのは、一人ひとりが平和について、きちんと考えて、行動することが重要です」
牧田が真剣な話をしている時、このクラスは割と静かに聞いている。いつもちゃちゃを入れてくる男子達も、三分間は大人しい。
そう。ちゃちゃを入れるには、まず真剣に話を聞き、どこで何を言ったら、効果的なちゃちゃになるか、検討する必要があるからだ。
「皆さんは今年十歳になりました。平和について、一人ひとりが責任を持つことが求められる年齢に、なったのです」
牧田の目は真剣だ。
「一部、心配な人達も、居ますけど」
よせば良いのに、牧田が冗談を言った。
しかし、この時を逃すことはしない。まだ若い十歳の視力は、五メートル離れた教員の眼鏡の奥まで、お見通しなのだ。
「俺じゃないですよね!」
生徒の結城が言った。
「お前だよぉ」
間髪入れず、牧田が返す。教室に笑い声が響く。
「そうだよ、お前だよ!」
窓際から振り返りながら、追い打ちをかけたのは富田だ。
「お前もだよぉ」
牧田はうんざりした様に、言い放った。いつもならトコトコと歩いて行って、『パチン』と突っ込みを入れる所であるが、牧田は教壇から動かなかった。
富田は振り向いて「俺もですか」と言った。牧田がいつもと違う位置にいることには気が付いていたが、然程疑問にも思わなかった。
何しろまだ十歳。今日は『つっこみが弱いな』と思うくらいで、牧田が何を気にしているかは、判らないものだ。
「今日は、みんなに、地球破壊爆弾を配ります」
そう言って牧田は『取り扱い注意』と書かれた箱の蓋を開け、がさごそと何かを探した。確か一番上にあるはずだ。
「えー、これが地球破壊爆弾です。まぁ、爆弾と言ってもこれが爆弾という訳ではなくて、爆弾は違う所にあるんですけど、これは起爆スイッチですね」
牧田はそう説明しながら取り出したものが『説明用』であることを入念に確認していた。
赤く書かれた『説明用』の文字を確認すると、ビニール袋を破いて印籠よろしく前に突き出した。
土下座をする者はいない。
「地球を破壊する時は、この紐をぐっと引っ張ると、電波が発信されて、地球破壊爆弾が起動します」
牧田は、紐を引っ張る真似をした。
「先生、それ、本物ですか?」
直ぐに女子から、疑い深い声があった。
「これは説明用です」
そう言いながら牧田は紐を引っ張った。「パチン」と音がして、卵型のケースから紐が引っこ抜けた。ただそれだけだ。
しかし、何人かの生徒は、亀の様に首を引っ込めた。
「じゃぁ、前から配りますからね。一人ひとつづつ取って下さい」
牧田はそう言うと、『取り扱い注意』と書かれた箱を持ち上げて、廊下側へ移動した。端から全員に配るためだ。
「せんせー、練習しても良いですか?」
結城が間の抜けた声で、質問した。
「ダメに決まっているだろう!」
半分笑いながら、牧田の目は真剣だった。
「はい、じゃ後ろに配って」
牧田は『取り扱い注意』の箱から、両手で六個、卵型のスイッチを取り出すと、一番前の席に置いた。
どうやら同じ形でも、色違いがある様だ。やがて自分にも一つ配られるのであるが、椅子から立ち上がって、めずらしそうに見つめている。後ろの席で、椅子の上に立って、眺めている者もいる。
「ちゃんと座れ!」
牧田が注意をしながら次の列へ『取り扱い注意』の箱を移動する。少し軽くなったからか、あまり注意していない様にも見えた。
「何色あるんですか?」
誰かが聞いた。牧田にはそれが誰だか判ってはいたが、顔を挙げたりはしなかった。卵型のスイッチを、今五まで数えた所だからだ。
「はい六個。後ろに回して」
一番前の生徒が、好きな色を取る権利がある。そして残った色の卵型スイッチを後ろに渡す。そして前を向くと、自分の物になった卵型のスイッチを見つめた。平和について考えるのと同義である。
「赤、青、白、黒の四色です」
牧田は三列目に『取り扱い注意』と書かれた箱を移動した。だいぶ取り扱いに、慣れてきた様だ。
「何で四色なんですか?」
誰かが聞いた。それが誰か牧田には判っている。今三列目に配る数は三だ。
「昔から『色は四色しかない』って決まっているんだよ」
六個になった卵型のスイッチを、三列目の一番前の生徒に渡す。しかし、牧田の手から気に入った色の卵型スイッチを一つ取っただけだったので、牧田はもう一度生徒に押し付けた。生徒は残った五個を両手で適当に摘まんで、後ろに渡した。
「何で四色しかないんですかー?」
牧田は四列目に『取り扱い注意』の箱を移動しようとしたが、教壇の机が邪魔だったので、一度教壇に戻った。
何で四色なのかは正直知らない。何て答えたら良いものかと思案した。唇が少しへの字に曲がった。
一番最初に配った列は、それぞれ一人ひとつを手にし、二列目も五番目と六番目の生徒が、残った色をめぐって言い争いをしている。
三列目は、今三人目だ。
「えーっとぉ」
牧田がそう言った所で、地球は消滅した。