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結婚してください

作者: 夏月 海桜

 とある子爵位を持つ人を父に持ったキャロルは、現在五歳。初めて会った隣の家の男性に一目惚れしていた。

 彼はキャロルの父が持つ子爵領の隣にある侯爵領の長男で跡取りのベルナッタ。王都にあるタウンハウスは離れているが、互いの領地にあるマナーハウスは寧ろ地理的な関係で近いため、昔から爵位の差が有っても交流はしていた。無論、キャロルの家は子爵位だから、ベルナッタの侯爵家に対して節度を保ち一歩引いていた。

 とはいえ、ベルナッタの家である侯爵家の方はそんなキャロルの家である子爵家が礼儀正しく、それでいて必要以上に擦り寄って来ない事に好感を抱いていたので、交流が続いていたと言っても良い。


 特に、ベルナッタとキャロルの兄である長男は同い年ということも有り、身分差が判らない頃は良く遊んでいた。今はキャロルの兄・ナジェルが身分差を理解しているから時々の交流に控えているが。寧ろベルナッタの方がナジェルに気安い態度を取っていた。

 そんなわけで、キャロル五歳。気安い態度で遊びに来たベルナッタに初めて挨拶をしたわけだが、まるで絵本に出て来る王子様のようにキラキラした金色の髪と大好きなパンジーのような薄紫の目をした七歳年上の彼の優しい笑顔に一目惚れをしたのである。


「べるなったさま? キャロルとけっこんしてください!」


 ちょうど昨日寝る前に読んでもらった王子様とお姫様の絵本で、読んでくれたお母様から

「結婚は、好きな人とずっと一緒に居るって約束よ」

 と聞いたばかりだったのである。


 およそ二十年程前から、政略結婚から恋愛結婚が推奨されるようになっていたこの国だから、ベルナッタは侯爵家の長男で跡取りだが婚約者は居なかったが、まさか七歳年下の女の子に求婚されるとも思わず、目をパチパチと瞬かせた。彼がなんて返事をしようか迷う間に、キャロルの母が慌てて

「キャロルだけじゃなくて、ベルナッタ君もキャロルを好きにならないと結婚出来ないのよ」

 と諭したので、キャロルからの求婚は無くなった。


 ただ、この時のベルナッタの気持ちは「可愛いなぁ。妹ってこんな感じなのか」 というもので、特に嫌悪は抱かなかった。それ故に交流はその後も続いていた。ベルナッタは長男で弟が一人居る。姉も妹も当然居ないが既に子ども同士のお茶会で女の子達同士の熾烈な争いも度々目にしていたので、実は多少女性不信になりかけていた。だからこそ、キャロルの純粋な目と満面の笑みと率直な言葉は逆に新鮮に見えて嫌悪が無かったと言える。

 尚、ナジェルも子爵位とはいえ長男で跡取りだから、ベルナッタ程で無いにしても、女の子達から擦り寄られる事は有ったので、キャロルの純粋さに癒されていると言って良かった。


 特にナジェルとベルナッタの年齢は二つ上に第一王子が。二人と同年に第二王子が。一つ下に側妃の子の第三王子が居たので、余計に二人は女の子同士の争いを目にする機会が多かったと言える。まだ三人の王子に婚約者が居ないから、だった。

 さて。ナジェルとキャロルの間には、もう一人。キャロルの五歳年上の次男・ミックが居た。キャロルが五歳でベルナッタに一目惚れした時は十歳である。彼は逆に一人娘のご令嬢の所に婿に行くか、平民となって身を立てねばならないので、お茶会デビューをする頃には、冷静に女の子達を見極めるような目を養っていた。


 そんなミックは二年後。

 ナジェルとベルナッタが十四歳。キャロルが七歳の時に出会った伯爵家の一人娘・ジャクリーヌと意気投合し、交流を深めて半年後に正式に婚約を結んでいた。

 当初は婿入りせず、成人と同時に平民になって文官を目指している、と言っていただけにキャロル一家は驚いたものである。まぁ縁というものは、こんなものなのかもしれない。


 更に二年後、ナジェルとベルナッタが十六歳。キャロルが九歳になった年、学園で好成績を収めていたベルナッタが学園の推薦を受けて、隣国への交換留学を果たした。この頃にはキャロルも既に淑女教育の一環でベルナッタとの身分差も理解していたので、一目惚れした淡い初恋は胸に仕舞い込んで諦めていたが、交流は続けていたので、幼馴染として留学を兄達と共に祝った。

 ナジェルが学園に入った頃には、子爵一家は全員で王都に移り住んでいた。社交シーズンが終わると領地へ帰っていたが。


「キャロル、ベルナッタに気持ちを告げなくて良かったのか?」


 ナジェルとミックと三人きりの兄弟団欒にてナジェルがそのように切り出した。ベルナッタが旅立った翌日の事である。


「お兄様が懸念されているように、ベルナッタ様とは身分差が有りますわ。ですから幼馴染とはいえ、お兄様は一歩引いて節度有る態度を貫かれておられるのでしょう?」


 九歳の発言では無いが、キャロルは末っ子として甘やかされて育ったが要領の良い空気の読める子だった。特に上二人が男なので、只管に甘やかされて来たが、淑女教育を受けるに連れて立場を弁えるようになれば、女の子は元々精神的に早熟なので、ベルナッタへの淡い初恋は胸の内に仕舞ったのである。


「キャロルは賢いな」


 ミックが苦笑しつつ妹の頭を撫でる。婚約者であるジャクリーヌも同い年なのに、とても大人っぽくて時々ミックは自分が子どもっぽくないか焦る程だったから、キャロルの精神が早熟でも驚かなかった。


「ふふ。わたくしは、自分に合った方を探しますわ。ベルナッタ様は身分差に関わらず気安くて優しくて最初に見た時と同じように王子様みたいなままですけど。わたくしは妹のように思われているようですから。年齢も七歳差では仕方ないですものね。昔の政略結婚ならば年の差も解りますが、今は寧ろそんなに年の離れた婚約者ではベルナッタ様が可哀想ですわ。それに、恋愛結婚が良いと言われていますのに、ベルナッタ様に恋愛をさせませんの?」


 ……全くもって九歳の発言では無かったが、精一杯、気持ちを抑えて大人ぶる妹に兄二人はそれ以上何も言えなかった。

 その後、時折ベルナッタとナジェルは手紙をやり取りしているようだったが、ナジェルも子爵の跡取りとして女性と交流を持って結婚相手を探すべく学園内で積極的に声をかけているようだった。ミックとジャクリーヌは言うまでもない。二人は学園でも有名な仲良し婚約者らしく、ナジェルがその噂を耳にする度に苦笑していた。


 それから三年。ベルナッタとナジェルが十九歳。ミックが十七歳。キャロルが十二歳の年に、ある病が流行った。大流行という程では無いが、従来より少々早いので薬の数が少なく、平民だけでなく貴族でも亡くなる者が現れた。キャロルの両親も領地で流行している事を聞いて薬を持って駆けつけたのだが、二人共に感染してしまった。薬さえ飲めば治る流行り病なのだが、子爵夫妻は感染している領民達に薬を全て配ってしまった後だったために、薬が飲めない。そして王都の薬屋には在庫が無い所が多く。ナジェルが駆けずり回り、ミックが婚約者の家を頼ってようやく手に入れられた。

 それをナジェル自ら届けに行くというので、キャロルはナジェルと、共に行く使用人の分も薬を手配してからの方が良い、と説得したのだが。


 ナジェルはそんな悠長な事はしていられない、と強行で領地へ向かった。確かに感染している両親のことを思うと、ミックもキャロルも強くは言えない。感染して必ず死ぬわけでは無いが、死ぬ事も有る病だ。それを考えると早めに届けたい気持ちも分かる。更に領地は馬車で七日かかる。ミックとキャロルは王都のタウンハウスで両親の無事を祈るしか無かった。

 だが、運命の悪戯とでも言うべきか。


 ナジェルが領地に着く二日前に、子爵夫妻は病状が悪化し、帰らぬ人となってしまったのである。知らせを聞いたミックとキャロルは即座に領地に向かうと共に、王都のタウンハウスを守る執事を通してミックは婚約者のジャクリーヌに事態を知らせた。

 学園を卒業して直ぐのナジェル。学園に在籍中のミック。翌年から学園に入学する予定のキャロルの三人兄弟だけになってしまった。突然の事に呆然としている三人だったが、領地を管理している執事がナジェルに葬儀の手配等の話を切り出して、最初に我に返ったのはキャロルだった。


 泣いていてもどうしようもない。


 そんなキャロルの姿に、兄二人も我に返り、領地管理している執事と王都で留守を守る執事と連絡を取りつつ手を借りて葬儀を終えた。夫妻の死を新聞で知ったという知人や友人の対応も三兄弟が力を合わせた。この時、影ながらミックの婚約者であるジャクリーヌとその父である伯爵が支えてくれた恩を三兄弟は忘れなかった。特にジャクリーヌの父である伯爵は、爵位こそ伯爵であるものの、かなり古い家門で王家もこの伯爵の意見を大切にしていると言われているくらいには力も有る。


 そのお陰で、子爵とはいえそれなりに領地経営も順調で少し裕福な家だったため、ナジェルに擦り寄る顔も見た事が無い親戚がすごすごと帰って行く事も有った。キャロル達の父は一人息子でキャロル達の母は兄が居るがあまり仲が良くなかった。後からキャロルは知るのだが、母の兄……つまり伯父は、父から借金をしていてそれを返済しない事で距離を置かれていたようだ。子爵夫妻が亡くなったと同時に擦り寄ってナジェルを取り込んで金を借りる気だったらしかった。


 そういった親戚をジャクリーヌの父である伯爵が裏から手を回していた、とキャロル達三兄弟が知るのも、両親の死から一年経った頃だった。

 ナジェルは引き継ぎが終わる間もなく子爵家の当主になってしまったが、まだ婚約者も居らず領地管理はそのまま頼んで王都にてミックとキャロルと共に奮闘していた。ミックは婿入りをするため、長期休暇はジャクリーヌの家に滞在して女伯爵となるジャクリーヌのために勉強をしていたが、今回の件で婚約をどうするべきか悩んでいた。


「ミック。あまりこのような事を言いたくないが、寧ろ向こうが婚約解消を切り出さないのであれば、予定通り婿入りして欲しい」


 ナジェルは真剣にミックに話す。男同士の話、とはしないで三兄弟でこの状況に立ち向かうために、キャロルもこの場に居た。


「ええ。ジャクリーヌお義姉様と仲睦まじいミックお兄様ですし、お兄様が婿入りする事が我が家の利にもなります」


 キャロルも頷く。キャロルは学習を始めると其方でも賢さを発揮し、元々の空気を読む上手さと共に、聡明になっていた。ナジェルとキャロルの言葉にミックは「でも」 と迷う。


「キャロルの言葉でも解るだろうが、下世話な事を言えば、伯爵の力は侮れない。寧ろ婿入りをして外から私とキャロルを支えてほしい」


 ナジェルの言葉にミックは、ハッとする。

 言わば伯爵の後ろ盾を欲しているのだ、と理解した。


「分かった。兄上とキャロルのためにも、俺は伯爵家に予定通り婿入りする」


 ミックは力強く頷く。


「わたくしは、未だ婚約者の居ないナジェルお兄様を支えるべく、学業と共に子爵家を支えます」


 寧ろこうなったからには、ナジェルは一刻も早く婚約者を作り妻を迎えねばならない。跡継ぎの問題も有るからだし、ナジェル一人では貴族の社交を追いきれないからだ。だからナジェルが社交に出ている間、キャロルが出来る限り家の事や領地の事に目を向ける必要が有る。当主権限の書類に関われないが代理として出来る事はやるつもりだった。


 ナジェルは子爵家とはいえ跡取りだし、ベルナッタ程では無いものの学力が高く学園でも上位を保っていた。身体が細身でやや弱そうに見えるかもしれないが、病弱というものでもないので男爵令嬢や子爵令嬢から良い物件だと見られている。

 実際に過去、十六歳の頃と去年、二人の令嬢とお付き合いはした事があるが、ナジェルがどちらの令嬢も好きになれなかった事と令嬢よりも跡取り教育を優先していたせいで振られている。そして今回の事態。早急な結婚を考えても仕方ない状況だから、余計にキャロルが家を守る必要が有った。


 場合によっては……この場合、ナジェルの婚約者探しという意味だが……来年入学予定の学園を再来年に変更する必要も考えている。

 学園は、子息は十二〜十四歳で入学し、十八〜十九歳頃に卒業する。子女は十三〜十四歳で入学し、十七〜十八歳で卒業する。子女の方が遅く入学して早く卒業するのは、恋愛結婚を推奨している国として様々な子息と出会う可能性が高いのがお茶会を除けば、学園だからであり、子息に対して子女の結婚年齢が早いからで有る。遅い入学は、淑女教育に時間をかけるせいだ。精神的な成長の早い子女達に恋愛結婚が主流となれば、相手を蹴落とし合う確率が高くなる。下手をすればマナー違反が増えないとも限らない。だからこそ、子息より子女の方が厳しい教育を受ける時間が長くなっていたので、結果的に入学年齢も遅くなったので有る。


「では、ナジェル兄上は早急な婚約者探し。キャロルは入学まで兄上の補佐。俺はジャクリーヌの所に婿入り」


 改めて確認したミックにナジェルとキャロルは頷いた。そこで話は終わったが、気が抜けたのだろう。キャロルは大きく溜め息をついてしまった。ハッとしたが、兄二人の前だから構わないだろう、と疲れたので早々に休むと部屋に引っ込んだ。


「キャロルは……確かに疲れているだろうし、俺や兄上より余程しっかりしていたが、まだ十二歳だったな」


「……ああ。本当ならば私とミックがあの子を支えなければならなかったのに」


 自室に向かったキャロルの背を見て兄二人は項垂れる。両親を喪って辛いのは変わらないのに、一番下の妹が最初に我に返った。その瞬間から、子どもでいる事をやめてしまったかのように。聡明で精神的に早熟な女の子であっても、まだまだ両親や兄達に甘えていた可愛い子だった。そのキャロルに、一気に甘える事を辞めさせ、大人にさせたのは、両親を喪い立ち直るのが遅かった兄二人の責任だ、と気落ちする。


「まだまだ甘えたい盛りなのに」


「なぁ兄上、ベルナッタ様は未だ帰国されないのか」


 両親の葬儀にベルナッタの両親が駆け付けてくれていたがベルナッタは留学先から帰国していない。隣国の留学先の学園は卒業しているのに関わらず。


「隣国の第三王子殿下に気に入られて側近とまではいかないが、離してもらえないようだ」


「そうか……。身分差も年の差も有るが、ベルナッタ様がキャロルを望んでくれれば、もしかしたらキャロルは甘えられるかもしれないのに」


 抑々、恋愛結婚推奨ならば身分差も年の差も関係無いはずだが、それは建前だと二人は理解していた。

 推奨され始めたのも最近。祖父母世代は政略結婚が当たり前で有るし、親世代も半分くらいの貴族は政略結婚。それ故に政略結婚をした夫人達は恋愛結婚と言ってあまりにも身分差が有る結婚をした相手を影で貶めている。それは少しでも社交に出れば若者でも気づく程酷いもの。


 それが若い男女が憧れる恋愛結婚の現実。

 そして若者達は理解するのだ。誰に言われずとも。

 あまりにも身分差・年の差の有る結婚は妬まれ、疎まれるのだという事を。

 それを撥ね付ける程の力を恋愛結婚した二人が持たねば食われるので有る。どちらかが弱気に、或いは二人が弱気になった途端に「恋愛結婚? 身の程知らずだったから」 それみたことか。と言われる。

 これが現実だった。


「言うな。それに政略結婚ならば可能性は有ったかもしれないが、表向きは恋愛結婚推奨の我が国で、ベルナッタがキャロルと恋愛すると思うか」


「……そうだな。妹みたいに接していたものな」


「キャロルもそれを解っている」


 結局のところ恋愛結婚という事は片方だけの愛情ではなく二人が同じ方向(みらい)を見て思い合わなくては、成立しないもの。


「政略結婚は……」


「可能性は低い。あちらは我が家と縁付いても良いことなど無いだろう。共同事業も無い。互いの家に利益も無い」


「……そう、だよな。キャロルは初恋を忘れるつもりなのだな」


 十二歳で現実が見えているのも、やはり兄二人の不甲斐なさの現れだろう、と二人はまた落ち込んだ。


 そんなこんなで新当主となったナジェルをキャロルは良く支え、ミックもジャクリーヌの父の力を借りて兄を助けておよそ一年。ようやく傷が少しずつ癒えているように見えた。そんな中でベルナッタが帰国した。そろそろ父の跡を継ぎ侯爵としての引き継ぎや地盤固めをせねばならない、と隣国の第三王子に丁寧に申し出て、ようやっとの事だった。


 帰国して子爵夫妻の葬儀に帰れなかった事を詫びに子爵家新当主であるナジェルの元を訪れたベルナッタ。彼も訃報を知って帰国したかったのだが、運が悪かった。言い訳めいた説明もせずにただ詫びるベルナッタに、ナジェルは溜め息を一つ吐いて「気にしないでくれ」 とだけ言った。


 ナジェルもベルナッタが一年前に帰国出来なかった理由を今は知っていた。


 ……あの頃、隣国はこの国とは違う国と、争いの危機に瀕していた。それこそ一触即発で、隣国は出入国する者を警戒していた。自国他国問わず、特に国外に出る者を。国力や地形など情報を与えたくなかったという事だ。争いは最終手段として互いの国は思っていたが、慎重に慎重を重ねた平和的な交渉で折り合いが付いて、争いが回避されたのが二ヶ月程前。

 ようやくベルナッタも帰国の許可が出て、帰国したところだった。第三王子に離してもらえないのも嘘では無かったが、どちらかと言えば、争いになるかもしれない、という緊迫の状況だったから帰国出来なかったのだろう。


 そして、ベルナッタは久しぶりにキャロルと再会する。


「キャロル?」


 帰国の挨拶と葬儀に出られなかった詫びに来ている事を知ったキャロルが、ベルナッタに挨拶に来た所だった。


「ごきげんよう、ベルナッタ次期侯爵様」


 通常は爵位名か家名で声をかけるべきだが、婚約者や家族でなくても幼馴染という気安い関係で構わない、と昔に言われた通り、キャロルはベルナッタの名を呼ぶ。


 ベルナッタは久しぶりに会う七歳年下の幼馴染の少女の可憐さに目を見開いた。

 別れた時は九歳。あれから四年が経ち、キャロルは十三歳。まだあどけなさが残っていた四年前より蕾が綻ぶ前の少女と大人の女性との間の危うい魅力が垣間見えた。


「キャロル、随分と成長したね」


 そこはせめて大人になった、とか、美しくなった、とか、言うべきだが。そんな褒め言葉がスルリと出てこない程、キャロルの成長にベルナッタは戸惑っていた。


「ありがとう存じます」


 四年前までは満面の笑みだったキャロルは、初々しい少女のはにかむ微笑みに変わって、ベルナッタの目に焼き付いた。同時に心がコトリと音を立てたような気がして、ベルナッタは少し何故か焦った。


「キャロル、もうすぐ入学だね」


 焦りを隠すように学園入学の話題を出せば、キャロルは静かに首を振り、ナジェルは辛そうに眉間に皺を寄せた。どうやら話題にしてはいけなかったらしい。


「いえ。わたくし、入学を一年延ばす事にしましたの」


「え」


「父母の喪に服す期間は終えましたが、未だ我が家は落ち着いておらず、せめてナジェルお兄様にお相手が見つかるまでは……と思いましたの」


 そう。ナジェルとミックは早急にナジェルの婚約者探しを考えていたが、抑々、親族の喪に服す期間は小さなお茶会であっても社交は控えるもの。キャロルはそれを覚えていたが、兄二人は忘れていたので、三ヶ月もすると社交に復帰しようとナジェルは考えていた。


 気持ちが焦っていたのだろう。

 キャロルに「通常、一年は喪に服す期間ですから、社交は控えて下さいませ」 と言われて、ようやく思い至った。キャロルは喪が明けてからの数ヶ月で兄に婚約者が見つかれば、入学するつもりだったが、たった数ヶ月で見つかるわけがなく。入学一ヶ月前に延期の決断を、キャロルはしていた。


 ナジェルはここでもキャロルに不甲斐ない姿を見せた、と落ち込んでいたのだった。それはさておき。そんなわけでキャロルは一年入学を延ばすことをベルナッタに告げると当たり障り無い隣国の生活等を聞いてある程度になると、その場を辞した。ナジェルがベルナッタと話を咲かせている間に、キャロルは出来る事をしなくてはならないから。あまりに話が弾むようだと晩餐に声をかけるようかもしれない、と執事に指示を出していた。そして結局、ベルナッタは話が尽きずに晩餐をナジェルとキャロルと共にして、侯爵家へと帰って行った。


 そんな幼馴染達との再会から僅か四ヶ月後の事だった。


 子爵家に再び悲劇が訪れる。

 今度は新子爵当主のナジェルが事故に遭い、その命を落とした。

 ナジェルは馬車でとある伯爵家の夜会に出たのだが、帰りは思わぬ雨。小雨程度ならばともかく、かなり大降りだったので伯爵家に泊まるよう勧められた。他の貴族達はそのまま泊まる事にしたものの、使用人達が居るとはいえ、一人で居るキャロルを思うと帰る選択をしたナジェル。


 強行した結果、雨でぬかるむ道を走らせ、橋に差し掛かって馬が転倒。御者は投げ出され、そしてナジェルも中から投げ出された。運悪く橋の手すりに捕まって立ちあがろうとして手が滑り川に転落したのである。雨水で川の水量が増えていた事も不幸に繋がった。御者は怪我をしたものの生還し、夜中に歩いて子爵家のタウンハウスに帰り……キャロルは夜明け前に執事から叩き起こされて事態を知る。


 川に流されただろう兄を助けるべく、ジャクリーヌの伯爵家に居る次兄・ミックに知らせ、王都の騎士団にも連絡をし、捜索を頼んだ。懸命な捜索で早くにナジェルは見つかったが……帰らぬ人となった。父母を喪い、ようやく傷が癒えつつあった矢先の兄の死。ミックもキャロルも再び深い悲しみに足を踏み入れ、絶望寸前だった。


 だが。

 死を嘆いている暇はどこにもない。

 両親の時と同じく、葬儀の準備に新聞を通しての知人への連絡などやる事が多い。

 もう学園を卒業していたミックは、ナジェルの生前中にジャクリーヌと婚姻を済ませていて子爵家の籍を抜けていたため、子爵家の代表として表立って動くのは、キャロルしかいなかった。


 ベルナッタは、友人の訃報を聞いて真っ青になりながら駆け付けた。まだ学園にも入っていない庇護対象のキャロルが心配でならなかった。ミックが居るとはいえ、彼は既に子爵家の者ではないから余計に。きっと泣きじゃくり兄の居ないことに怯えて震えているに違いない、と。

 しかし、ベルナッタが子爵家で見たものは全く違っていた。


 顔は青褪めていたものの、次兄にあたるミックとその妻のジャクリーヌ、そしてジャクリーヌの父である伯爵が側に居るとはいえ、当主代理として振舞っているキャロルの姿だった。泣きじゃくり怯えて震えている姿など見せもしない。弔問客に頭を下げる姿は学園でのんびりと過ごしている同じ年頃の子息子女より遥かに大人びていた。


 その姿を見て不意に生前の友人の言葉を思い出した。


「キャロルは、両親を喪って、私やミックと同じように悲しみと絶望に陥っていたのに、先ず最初に為すべき事をしなくてはならない、と我に返ったんだよ。その時から子どもである事を辞めてしまった。まだまだ甘えたい盛りで守られるべき対象だったはずなのに。私とミックが不甲斐ないばかりに大人になる事を余儀なくされた」


 聞いた時は、両親の死を乗り越えて悲しみを抱えながらも成長したのだろう、などと考えていた。

 だが、目の前にすれば解る。


 乗り越えたのではない。

 悲しみを抱えたのではない。

 ただ、呑み込まれないように立つしかなかったのだ、と。


 成長したなどと呑気に考えていた己にベルナッタは嫌気が差した。

 成長したのではない。

 大人になるしか、彼女に道が無かったのだ、と初めて理解した。


 ベルナッタは弔問を終え墓に埋葬されるまでを見届けてから帰った。近いうちに顔を出す事だけを告げて。他に何を言えば良かったと言うのだろう。何もかけてやる言葉が浮かばない。ベルナッタの中でキャロルはまだ留学前に見ていた子どものままだった。だから泣いているなら慰めてやらなくては……と思っていた。それが傲慢な考えだと否が応でも突き付けられた。

 キャロルは子どもでいることを辞めてしまった。そんな相手に子どものように慰めるだけで良いわけじゃない。そんな相手にかける言葉など見つかりもしなかった。


 数日後、ベルナッタは再び子爵家を訪った。立て続けに主人を亡くした使用人達も悲嘆の空気と沈痛の表情で対応をしてくる。それにベルナッタも当たり障りの事も言えず黙ってミックとキャロルの所に案内してもらう。ミックは暫くの間実家に帰っているという。これからの事も話し合う必要が有るのだろう。


 二人はサロンで話し合っているという。案内して来た執事が声を掛けようとして、ミックの荒げた声を聞く。


「キャロルっ! お前、俺に帰って来るな、と言うのか!」


「いいえ。ミックお兄様、違います。伯爵家へお戻りを、と言っているのです」


「つまり、帰って来るな、と言う事だろう!」


 執事が慌てて中に入ろうとしたが、それをベルナッタは止めた。今は仲裁しない方がいい。下手に仲裁をすれば蟠りが残るだろう、と考えての事だった。


「違いますわ、お兄様。……お兄様、お父様とお母様が亡くなった後、三人で話した事を覚えておられます?」


「ナジェル兄上とキャロルと今後についての話し合い、だったな」


「あの時と同じですわ」


「つまり……俺にジャクリーヌの婿になって、子爵家を支え……ちょっと待て。それではお前は」


「はい。わたくしが女子爵として立ちます。わたくしはナジェルお兄様の補佐を少し行っておりました。爵位返上も考えたのですが……その手続きもかなり大変でしょう。それよりは、ジャクリーヌお義姉様が女伯爵として跡を継ぐ事は貴族の間では有名。その義妹であるわたくしが続くのは流れとして悪くないはずです」


「それは、そうかもしれないが」


「ミックお兄様はジャクリーヌお義姉様と信頼を築き愛情も持たれているのでしょう? それなのに離縁するなんて。それよりは少しだけでも子爵家の事に関わっていたわたくしが女子爵として立つ方が話は分かり易い。そして、ミックお兄様にしか出来ないことが有るのです」


「外から子爵家を支える事だな」


「それともう一つ。伯爵様が当主であるうちに、伯爵様の伝手を頼ってわたくしに婿をお願いしたいのです」


「それは」


 暫く間が空いたが、その間に考えたのだろう。ミックは静かな声で「分かった」 と了承した。そこまでを聞いたベルナッタは二人に会わずに侯爵家へ帰る。そこまで決意を固めているキャロルの芯の強さに驚きつつ。ベルナッタも帰国して一年。何度か婚約者候補の令嬢と顔合わせはして来ているが、それでも決定打が無いのに己よりも七歳も年下のキャロルは、あからさまな政略結婚をミックに頼んだ事が尚、衝撃だった。


 そうしてベルナッタはたった一ヶ月で根回しを終えて改めて子爵家を訪ねた。もうミックは伯爵家に帰っていたので、相手をするのはキャロルだ。


 度重なる不幸により窶れた見た目は、儚さも醸し出す。そんなキャロルに目を奪われながらもベルナッタは訪問目的を告げた。


「キャロル」


「はい」


「度重なる不幸にも負けず、前を向いて立つ姿を美しい、と思った。そして悲しみを押し込めて立ちあがろうとする姿に胸が痛んだ。君と結婚をしたい、と思っている。私に君を守らせて欲しい」


 キャロルはあまりの事に何も言えない。いや、思考も出来ないで身体は動かない。


「キャロル?」


 あまりにも返事が無いので声をかけるベルナッタ。キャロルはようやく我に返り、言葉を絞り出した。


「ですが。ベルナッタ様は侯爵家の跡取り。わたくしは……この子爵家と領地領民を守るべく女子爵として立つ身。とてもでは有りませんが」


 お断りします、と静かにキャロルが呟く。


「うん。そうだね。だから私は跡継ぎから外してもらった」


「えっ」


 キャロルは驚いて目を丸くする。

 そんなキャロルは出会った頃と同じようでベルナッタは可愛い、とクスリとキャロルの好きな王子様のように笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。


「先日、君とミックの会話を失礼ながら聞かせてもらった。ミックに伯爵家で自分を助けるよう促し、伯爵の力を借りて婿を探す、と。それを聞いた時に思ったよ。私はチョコレート色のキャロルのフワフワした髪を撫でるのは、私で有りたいし、キャンディーみたいな鮮やかなオレンジの目に映るのも私で有りたい。マシュマロみたいな頬やフルーツのような唇に口付けるのも私が良い。キャロルの隣にずっと居たい、とね。だから両親を説き伏せ、弟に家督を譲る事にして君の婿に立候補しに来た」


 キャロルは思い掛けない口説き文句に顔を真っ赤にし、久しぶりに年相応の少女のような表情を浮かべる。とはいえ、侯爵家の跡継ぎじゃなく、侯爵家から比べれば小さな子爵家に婿入りなど……と表情が曇った。


「わたくしの初恋はベルナッタ様ですが。好きという気持ちだけで貴方様を縛る気は……。ベルナッタ様は麗しいお顔立ちに留学する程聡明なお方。わたくしの婿などならずとも、抑々侯爵家の跡継ぎなのですし、ベルナッタ様に似合いの令嬢方もいらっしゃるはずです。同情心と幼馴染の妹を守る気持ちなどで侯爵家を出ずとも宜しいか、と」


「全く宜しくないなぁ。同情? もちろん有るよ。幼馴染の妹だし、実際、ずっと私も妹みたいに考えていた。けれど。留学先から帰り、大人びたキャロルを見て、そしてナジェルと言うまた大事な人を喪い、悲嘆に沈みながらも気丈に振る舞う姿を見て。私はキャロルを一人の女性として見ている事に気付いた。侯爵家の跡継ぎとしてずっと勉強もしていたし、悩んだよ。でもね。簡単では無かったからこそ、キャロルの隣に立ちたいと思ったのさ。まぁ私だってね。それなりに令嬢方から告白されてお付き合いもしたし、手を繋いでデートとか口づけくらいはしたけれども。でも、私から好きだ、と、結婚したい、と思ったのはキャロルだけ。私はね、隣国の第三王子殿下に言われたことが有った」


「言われたこと……?」


「付き合う令嬢方の話や相談事を聞くと、誰かと比べているように思える、と。私はずっと気付かなかったのだが。どうも、無意識にキャロルと他の女性を、いつも比べていたみたいでね。もちろん、口に出していたわけじゃないけれど。心の中で何か贈り物をしても貰って当たり前の令嬢達に冷めていたらしい。殿下から、あの子は花一輪でもお礼を言うのに、彼女達は……という私の口癖をよく聞いた、と帰国前に仰った。その時に、花一輪でも喜ぶあの子など、キャロルしかいない、と思ってね」


 キャロルは照れたように頬を掻くベルナッタを見て、更に目を見開く。


「きっと、私も気付かない程、キャロルはずっと私の心に居たのだと思う。私は無意識に君を基準に女性のことを考えていたのだと思うよ。そして帰国して大人っぽくなった君を見て。ご両親もナジェルも喪い、儚げながら凛と立つ君のその隣に立つのは、私で居たいと強く望んだ。もう一度言うよ。キャロル。君が好きだから、君と結婚したい」


 キャロルは真っ直ぐに自分を見つめる薄紫の目に自分が映る程近くに居る事を恥ずかしく思いながら、それ以上に嬉しさが込み上げる。


「もちろん、両親と弟を説得したとはいえ、周囲から君との結婚にアレコレ言われる事も有るだろうけど。幸いにも我が国は恋愛結婚が推奨されている。私が君に恋をした、と言えば、きっと周りも受け入れてくれるさ」


 キャロルの不安な気持ちを見透かすように、ベルナッタはそんな事も言う。溢れてくる涙を拭う前に差し出された手に手を重ねて、久々に満面の笑みを浮かべた。ベルナッタが初めて見たキャロルのこの笑顔をずっと守ろうとベルナッタは改めて決意する。キャロルは柔らかな声で返事をした。


「喜んで」





(了)

お読み頂きまして、ありがとうございました。

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