無理ゲー社会と言うけれど・・・
最近、ニュースでよく出てくる『無敵の人』を見ていて思うことを綴りました。
このところ、むしゃくしゃして放火したとか、人を刺したとか、煽り運転したとか、そういったニュースに事欠かない。
正直、彼らの気持ちも分からないでもない。
誰にでも、八つ当たりしたい時もあるだろう。
例えそれが人でなくても、ごみ箱だったり、スチールロッカーだったりするわけだ。(映画でよくあるシーンですね。)
彼らのほぼ全てが社会に適応できなくなって、追い出されてしまった人達である。
しかもまだ若い。
ぼんやりとした社会に拒絶され、人生に行き詰ってしまって、どうにもならなくなって社会に復讐している。
これが〖無理ゲー社会(橘玲)〗の弊害か。
なんてことも思うのですが、しかしそこまで行き詰るのは、それ相応の理由があるに違いないと思う。
たしかにゲームの中では、理不尽で攻略できない設定があるのかもしれないが、現実社会は固定されておらず、ある社会的つながりのある塊から抜けでて、別のクラスターへ移る事もできる。
都心で働かなくとも、田舎へ行って住み込みで働くことも出来るわけだ。
例えば、マグロやカツオ漁船に乗れば、同世代の平均収入をはるかにしのぐ収入が得られる。
その気になれば、行き詰ることもない。
要は、(被保護者でなければ)どの方向へ自分が選択していくかで、自分の人生を決められるということである。
今回は、そんな大きなことよりも、最近気になっている小さなことを書きたいと思う。
今、仕事の都合で関東にいるのですが、電車に乗っていると、スマホから目を離せない人を多く見かける。
中にはヘッドホンをしたまま歩きスマホをしている若者もいる。
大変危険極まりないのだが、本人は悪いことをしているといった自覚がない、若しくは分かっていても、自分だけは大丈夫だと思っているのだろう。
しかし、これは反社会的な行為であり、自ら社会から脱落していく行為であることは間違いない。
きっと、一事が万事、この調子なのだろう。
そのような姿勢で、社会に適応できるだろうか。
社会に適応して、社会的に成功している人からは、間違いなく遠ざけられるだろう。
・挨拶をしない。
・ごみの分別が理解できない。
・歩道や駅の歩行エリアで自転車に乗る。
・信号を守らない。
・電車でリュックサックを背中に負う。
ちいさなマナーであるけれども、他人への気遣いができない人達の行為である。
最近は聞かなくなったけれども、『品行』という言葉がある。
社会的に成功している人は、自分が気にかけている分だけ、他人の品行に敏感に気が付くものだ。
悪い品行に気づいたとしても、その人を注意したり非難することなく、ただ避けるか、遠ざかっていくだけである。
しかし、避けられた人は気づいていない。
そうなると、避けられた人には避けられた人同士のつながりできて、やがて社会的地位の低い集団へと固定されていく。
『類は類を呼ぶ』とも言いますが。
自分も、作業着を着て整髪をしていないと、何故だかしょぼくれたおっさんが近くに寄ってきます。
人というのは、見た目で判断するんですねぇ。
話しを戻しますが、犯行に至っている人達というのは、他人も自分も信じられない人達のような気がします。
育った環境によってそうなってしまったのでしょうが、私達は、その人達を反面教師として捉えて、反省しなければならないと思います。
結論を言いますと、やはり社会的にこぼれた人を増やさないために、政府は子育て環境にお金を突っ込む必要があると思います。
日本の社会が目先のことばかり追いかけてきた弊害ではないでしょうか。
あと8年くらいは、変わらないかなぁ・・・。(´・ω・`)ハァ。