紐解ける
すっかり黒く塗り潰された森では、馬を引く王様の腕すら覚束ない有り様です。前後左右が闇に覆われた道を進むのは決して賢明なことではありません。
「ここらで夜明けを待とうか」
馬を止めて、王様はマントにくるまります。木々の隙間からこぼれる星のまたたきだけが拠り所です。
慣れない遠出で疲れたのでしょう。王様はたちまちにして微睡みました。
静かな森は、葉っぱの擦れる音や虫の音色で満たされています。城の窮屈なベッドで眠るよりも、穏やかで安らげる場所です。
ふいに体を揺すられて、王様は目を覚ましました。
「どうしたんだい」
鼻息荒く、闇の中の一点を見据える馬が立ち上がっているではありませんか。耳がピンと張って上を向いています。きっと何かを警戒しているに違いありません。
すると草むらから唸り声がして、毛むくじゃらの獣が襲いかかって来ました。
「オオカミだ!」
月明かりにきらめく銀色の牙にかかれば、王様の首など一溜まりもありません。素早く馬に跨がって、不意打ちを間一髪かわします。
馬の背を叩き、
「それ、走るんだ」
王様は手綱を操ります。一匹ではありません。無数の眼光が、背後に貼りついてきます。
無我夢中で森を突き抜けます。もしも目の前に崖が口を開けていたとしても、進むしかないのです。
もう間もなく日は昇ります。
「早く、太陽よ。夜が明けてくれ」
光が木立をぬって、闇を切り裂いていくのです。眩しさに怯んだオオカミたちは、足を止めて後退りしていくのが分かりました。
そのうちに林は疎らになっていき、とうとう王様は山の麓の街を見下ろす平原へと辿り着いたのです。
「あれっ」
王様は馬の背から転げ落ちました。見ると馬は足から血を流しています。でこぼこの道を、必死に駆けたのですから無理もありません。嘶きとともに蹲った馬はそれっきり目を覚ますことはありませんでした。
涙ながらに馬を残して王様は山の麓の街へ降りていきます。知らない街の空気は、王様に遠くに来たことを改めて彷彿とさせます。
「この辺りで美しい娘を知らないか。ここが故郷らしいのだが」
王様は街の人々に訪ね回ります。どうしてもナタリーにもう一度会いたかったのです。再会して、去っていった理由を確かめたかったのでした。
「ああ、麗しの美女のことなら任せろ。案内してやる」
そう言って大柄の男は、こぢんまりとした小屋に王様を誘いました。そこはサーカス場のようで、天幕が放射状に張られています。
「ほら、出てくるぞ」
男の指差す方から、鎖に繋がれた女が出てきます。刹那に王様は目を疑いました。
ライオンの前に放り出された美女は、まばたきせずに聴衆を睨んでいます。その緑色の瞳には見覚えがありました。
「あの娘はこれからどうなる?」
「さあな。食われるかどうかは猛獣の気分次第さ」
「今すぐ放してやれ」
王様は金貨を一袋取り出します。
「いや、こんなに」
「いいから、早く」
慌てた男はステージに駆け上がっていきました。
しばらくしてサーカス小屋の裏手で待っていると、シンシアがやってきました。憔悴しきった瞳は濁り、かつての輝きは失われています。
「何があったのかは聞かないけれど、無事で良かった」
王様は軽く挨拶をして、その場を去ろうとします。
「待ってよ」
シンシアの手のひらに、ダイヤの指輪が載っていました。
「これだけ残ったの、返すわ」
「ありがとう」
震える手を、王様はそっと包み込みます。そして指輪を受け取りました。街を出て山頂を目指す間、王様はシンシアのことを思い出していました。
宝物庫からたくさんのものを盗まれましたが、ダイヤの指輪以外のものがどうなったかなんて正直どうでもよかったのです。
指輪を返してくれた勇気が嬉しかったですし、何より彼女がこれ以上痛い目に遇わなければいいと願いました。
尊い馬を犠牲にしてしまったので、吹雪の山へは自分の足で登らなければならないのです。
王様は覚悟を決めて、急な斜面へと一歩踏み出しました。




