契約内容
「んっ? 苺はよく覚えてないんだけど?」
「まあお前の記憶喪失期間に起こった出来事だからな、覚えてなくて当たり前だ。……んでその事故がどうかしたか?」
俺は小首を傾げる苺を努めて軽くあしらった。
母さんだってわかってて口に出したはずだ。
なら今は話を進めるしかねえよな。
「三年前、苺と大通りを歩いている時に突然貴族の馬車が歩道に突っ込んできた。その時に苺を庇ったんだよな? 後になって俺が生き残ったのは奇跡だと治療師から聞いたが……」
そこまで言って俺は自分の言った言葉に引っ掛かりを覚えた。
「あの時は『奇跡』的に助かったって……まさか!?」
奇跡という言葉と共に俺は目の前で慈母のように微笑むルエラを凝視する。
「はい。『奇跡』を行使しました。あの場で貴方との契約を交わしたのですよ」
「それってルエラがあの場所に居合わせたって事か? お前……俺を助けるために『願った』のか?」
俺は頭を抱えた。
俺がいくら自分で助かりたいと願っても、あいどるの契約主の俺には自らの願いを叶える術がない。
契約主は宣誓者にはなれない。
助かるためには宣誓者に自らの身を差し出し、心から願って貰う必要があるからだ。
死にかけていれば俺自身無意識に助かりたいと願っていてもおかしくはない。
だとすれば後は誰かが助けたいと願ってしまえば契約は成立してしまう。
「貴方に乞われ、私が願いました」
「それって貴族用に用意されていた古代契約術式が刻まれたスクロールを使ったのか?」
「はい。緊急時だったので本来は侍女が私の命が危険に晒された時に使うための契約術のスクロールを使いました」
宣誓契約は契約ギルドで厳しく管理されている。
契約は基本契約師の管理する術式部屋か契約ギルドで執り行われるが、例外として術式スクロールが使われる事がある。
王族、身分の高い貴族やその他英雄級の人物に対して万が一身の危険が訪れた時に使われるものだ。
そんなスクロールは今では決して生産できない。
古代遺跡のしかもかなり深い領域から発掘するしか入手手段がないのである。
もしかしてルエラの家って、貴族の中でも相当身分が高かったりするのだろうか?
「つまりルエラには命を救ってもらったばかりか、対価まで背負わせてるって話だよな? ……ああ、もう! なんだよこれ、おかしいだろ!」
俺は頭をガリガリと掻く。
「命の恩人を宣誓者にしちまうとか、恩知らずにも程があるだろ!」
俺はしばらくそうして身悶えていたが、はっとしてルエラに顔を向ける。
そうだ、詳しい契約内容を確認しねえと。
「それで、契約書は持っているのか?」
俺の問いかけにルエラは小さく首を横に振る。
「身一つで出てきましたし、そもそも契約書は取り上げられてどこにあるのかもわかりません」
「契約書の写しなら私が預かっているわ」
すると母さんが口を開いた。
「特例中の特例だったから。契約書自体は契約ギルドで厳重に管理しているわよ」
「つまり他言無用と?」
「ええ。国家権力を敵に回したくなければね」
母さんは微笑みながらそう言った。
貴族なら奇跡を起こすことが出来る。
その事実を世間に知られたくないのだろう。
知れ渡れば貴族を襲撃してスクロールを奪ったり、脅して奇跡を使わせようと考える輩が出てくるかもしれない。
「でもさ、別に気に病む必要はないんじゃない?」
と、苺がルエラを見据えてそんな事を言い出した。
苺にしては珍しく淡々とした口調だ。
だがそこから俺は悪寒を覚えてしまう。
その理由は次の苺の言葉ですぐにわかった。
「舐め犬は事故の時、どこにいたのかな?」
「ご想像の通り、私はあの馬車に乗っていましたよ」
「馬車って……! まあそうか。貴族様がふらふらと路上を歩いてるわけねえよな」
苺は当時の記憶がない。
だからこそこの状況をこの場の誰よりも客観的に見ているのかもしれない。
そんな苺の冷静な追及の視線をまっすぐに受け止めたルエラは平然と答えたのだった。
「それって舐め犬が事故を引き起こしたって事でいいの?」
「そうだとしたらどうしますか?」
ルエラは目を細めて挑発的な笑みを浮かべる。
途端、リビングに殺気が満ちた。
「――よせっ!!」
ぶわっと苺の魔力が一気に膨れ上がる。
肌がちりちりと焼かれるような痛みを覚え、全身の毛穴が開いて汗が滴る。
女王夢魔の血を色濃く引いた苺の魔力は、変身していないにも関わらず、その威圧だけで周囲を震え上がらせるに足る力を持っていた。
だというのに、ルエラは涼しい顔で苺の威圧を受け流す。
「私の乗っていた馬車が突然暴走し、歩道を歩いていた修果を跳ね飛ばしたのです。私がした事はその補填なのですよ。だから苺さんの言うとおり修果が気に病む必要はありません」
ルエラはそう説明しながら自分の首元に手を添えて頬を赤らめた。
そんな一連の流れで俺の方は冷静さを取り戻せた。
「つまり馬車が暴走した時、ルエラはただ乗っていただけなんだな? でなきゃその宣誓錠の色が白なわけがねえ。犯罪を犯していれば首輪は黒色になるはずだ」
罪を犯した犯罪奴隷の宣誓錠は黒色だ。
もしあの馬車の暴走がルエラの引き起こしたものなら、首輪が白いはずがねえよな。
「はい、私はただ乗っていただけです。事故の原因は未だに解明されておりません」
ルエラは困った顔で頬に手をやった。
こういう仕草を見ると、ルエラが貴族なんだと実感するな。
「まったく……紛らわしい真似をするなよ。苺も納得したな?」
「……わかってるよ。だけどやっぱ苺、こいつとは組みたくない」
「あのなあ……」
まあ気持ちも分からないではないが……。
「気にしないでください。憎まれるのには慣れてますから」
「そういう自虐的なギャグは感心しねえな。今のは憎まれるような態度をとったお前にも非があるからな。苺相手にそういう挑発、ほんと洒落にならねえからやめとけよ」
「ええ、気をつけますね」
ルエラはにこりと笑った。
そしてなぜかうっとりとした表情を浮かべる。
その顔に俺は背筋に冷たいものが奔る感覚を覚えた。
なにか根本的なところで歪んでいるような……いや、ルエラが歪んでいる?
自ら人生を差し出せる程相手に親身になれる心根の優しいこの少女が?
その純白の宣誓錠がなによりも証明しているじゃねえか。
「もしかして今まで俺に会いに来れなかったのは、事故や契約の件で投獄されていたから、とかか?」
緊急事態とはいえ、本来の用途以外での不正な契約に対する懲罰は発生していただろう。
「そうですね……投獄という訳ではないですが、似たような環境だったかもしれません」
ルエラはどこか寂し気な、けれど悲劇に酔うヒロインのような笑みを浮かべた。
「家庭の事情で会いに行けなかったのです。ただでさえ使用人の子である私です。それでも耳や尻尾であれば隠す事も可能だったのですが……」
「宣誓錠は隠せなかったと?」
俺の言葉にルエラは頷く。
確かに耳や尻尾は髪やドレスで隠せるし、人に変身する魔術だってある。
だが首元の宣誓錠だけはどうやっても隠しようがない。
「ですから私はこの三年間、周囲には難病にかかったとして、ずっと部屋に閉じ込められていました」
貴族の身分でありながら宣誓者に身を窶す。
それは家名に盛大に泥を塗る行為に等しい。
なればこそその存在を隠そうとするのは自然の行動ではあるのだろう。
「軟禁されていたのかよ。しかも三年って……!」
何気ない口調で語られる事実に俺は愕然とする。
「人助けをしただけでどうしてそこまでの仕打ちを受けなきゃいけねえ!? そこまでして家の面子を守る事が大切なのかよ――!?」
歯を食いしばるとギリッと奥歯が鳴った。
そんな俺の反応にルエラは困ったような笑みを浮かべる。
「ですがどうしても対価を支払いたくて家を出てきたのです」
「家を出てきたって、大丈夫なのか?」
「はい。実家からは勘当されました。私は闘病生活の末に死んだことになり、外に出しても問題ないと判断されたのでしょう。私は身一つで放逐されました」
「身一つって……じゃあ家を出てからまっすぐここにやって来たのか?」
「ええ。苺さんのライブを見た後、その足でここまで来ました」
事も無げに言うルエラの様子に俺は呻く。
頭の片隅で、ああだから今日は最下位じゃなかったのか、などと現実逃避の思考が勝手に過ぎってしまった。
「俺のせいでルエラの人生が……ってか、もしあの場で俺が追い返していたらどうするつもりだったんだ?」
俺を助けたばかりにルエラは自由を失い、辛い目に遭い続けたっていうのに……。
「気に病まないでください。あの事故が無かったとしても到底あのまま私が幸せに暮らせていたとは思えません。むしろ軟禁によって姉上達のいびりから解放されたのです。感謝こそすれど恨んだ事は一度たりともありませんよ」
ルエラは優し気な笑みで俺を見つめてくる。
その笑顔が痛々しくて、居た堪れなくなる。
いっそ俺を責めてくれた方がどれだけ楽だったか。
俺は一つ大きくゆっくりと呼吸をすると、ルエラのどこまでも無垢に輝く翠色の瞳を見つめながら口を開く。
「……わかった、これからよろしく頼む。俺も出来る限りの事はするからさ、早く対価を支払い終えて自由になれるように協力する」
「はい。こちらこそよろしくお願いいたしますね、ご主人様」
「俺に主人を名乗る資格なんかねえよ。昔のように修果でいいから」
俺は苦笑しながら言った。
「わかりました。よろしくお願いしますね、修果」
ルエラの真っ直ぐな笑みが俺に向けられる。
「苺もそれでいいか?」
「むう、行くとこないんじゃ仕方ないじゃん」
苺は唇を強く引き結んでそっぽを向いた。
そんな苺に対し、なるべく穏やかに、気持ちを込めることを心掛けて頭を撫でる。
「いきなりルエラが現れてびっくりしたよな? 俺も正直驚いてる」
「…………うん」
しばらく撫で続けると、苺は小さく頷いてくれた。
それから顔を上げてルエラに向き直る。
「……ごめんね、ルエラちゃん」
「いえ、お気になさらずに。ふふっ、お二人はとても仲が良いのですね」
よく言えたな――そうぐしゃぐしゃと苺の頭を掻きまわしていると、ルエラが微笑ましそうに口もとに手をやる。
「当たり前だよ。だって苺はお兄ちゃんの妻だもん」
「はいはい、そうだなそうだな」
まあ今だけは訂正しないでおいてやろう。
「んじゃルエラ、これからよろしくな」
「はい。これからご指導よろしくお願いしますね」
「おう、任せとけ。お前を絶対に幸せにしてみせるからな」
「……えっ?」
するとルエラがきょとんとした顔で俺を見る。
そんな顔を見ながら、俺は自分の頬が熱くなるのを感じた。
「わ、悪い! 別に他意はねえからな! お前はあいどるで俺は契約主だ。俺は主人として全力でお前をサポートするって意味だから!」
俺はただ、今自分の中にある想いをルエラにぶつけただけだ。
もちろん少しでもルエラが安心するように、今後の未来に希望が持てるようにって願いを込めての発言で、決してプロポーズ的なそれじゃねえぞ!
「そうですか……私としては愛妾でも構わないのですが。むしろ歓迎と言いますか」
「愛妾なんて必要ないし! 苺がお兄ちゃんの子供産むもん!」
ルエラが両手に頬を当てて幸せそうにする前で、苺が叫びながら俺の腕に抱き着く。
ここでリメッタには愛妾オーケーみたいな事言ってなかったかとはツッコまない。
まあ俺は絶対そんな真似はしないけどな。
父さんを取り合うあの元勇者パーティーの女共の修羅場は今でも俺のトラウマだ。
「あらあ、お赤飯用意しなきゃ♪」
「しなくていいから! ってか母さん作れねえだろ!」
「いやん! シュー君、大胆!」
「うるせえ! とっとと着替えて来い!」
軽快な足取りで台所へと向かう母さんの襟首を引っ張ると、ブチッと音がしてボタンを撒き散らしながらワイシャツがはだけた。
よってリビングから強制的に叩き出す。
「とにかくどっちも要らねえから! ルエラも面白がって苺を煽るな!」
どうもルエラは悪ノリが好きなきらいがある。
もしかして俺とんでもない痛い子を入れてしまったのでは?
一瞬そんな考えが頭を過ぎりつつ、俺は二人の間に挟まれながら叫び声を上げるのだった。




