怪物
そして俺達は契約部屋へとたどり着いた。
そこは通路とは材質の違う黒い石に囲まれた空間が広がっていた。
「なんて綺麗な部屋……」
モーラが熱に浮かされたように瞳を潤ませながら声を発する。
そこはまるで星空を写し取ったかのように天井や壁、床まで光が散りばめられていたからだ。
中に入れば宇宙空間に漂っているかのような錯覚を覚える。
と言っても実際に宇宙空間を知っているわけじゃない。
親父から話を聞きかじっただけで、実際宇宙空間を体験したわけでも見たわけもない。
以前に興味と調査のために親父の話から『ろけっと』を作ろうとしたこともあったが、大気圏での魔力制御が困難で断念した。
あのマナの奔流と気流の乱れはとても計算できるものじゃない。
だからと言って強引に宇宙へと突き抜けようとすれば、その物理エネルギーに耐えうる材質となると竜由来のものが必要になる。
竜素材は奪い合いだ。
武器にも薬にも魔道具の素材にもなる。
研究者や職人、冒険者に騎士、そして王族……。
庶民の道楽のために使うようなものじゃないし、そもそも手に入れられない。
今の苺なら竜とだって渡り合えるだろうから素材自体は現地調達できるかもしれないが、あいどる活動を休ませてまですることじゃないし、仮に入手出来たとして、それを知られれば盗賊から貴族からこぞって素材を奪いに殺到するかもしれない。
苺や母さんならそれを撃退できるとしても、血みどろの混乱は避けたいし、そんなことになればあいどる活動どころじゃなくなる。
研究に興味はあるが、それは専門家に任せるべきだな。
「闇石で作られていますわね。これなら外からの魔術的干渉は受け付けないわね。
それに部屋全体にこれ程の魔術陣が敷き詰められているなんて……」
部屋を見渡していたモワノーが感嘆の声を漏らす。
「これ程の術式、王宮や契約ギルド本部でもそう見られるものではありませんわ」
この部屋の壁や魔術式の価値を瞬時に見抜くとは、さすがは新進気鋭の商人ってところだな。
「ああ。宣誓契約は魂に直接干渉する術式だからな。契約術式の規模も大きいし、安全対策をしようとすると何重にも構築が必要になる。
どうしても規模が大きくなっちまうんだ」
簡易契約ならともかく、あいどる契約となると生半可な契約とはいかない。
尽くせる手は全て尽くさねえとな。
それにここは理論上古代契約が可能だしな。
そう俺は内心で付け加える。
親父は魔王討伐の旅で様々な古代契約を仲間と交わした人間だからな。
契約商を作るときにも古代契約が可能なように元勇者パーティーの魔術師リルルさんに頼んで設計してもらったそうだ。
まあそのせいで俺は苺と謎の婚姻契約を交わしてしまったわけだが。
かつて五歳の俺と三歳の苺はここで結婚式ごっこをし、なぜかその勢いのままに古代契約を成立させてしまった。
『あいどる』と『ぷろでゅーさー』は夫婦同然。
いくらそう言い聞かされていたからって、それが本物の婚姻関係になってしまうとは……。
「うふふん。ここで苺とお兄ちゃんは結ばれたたたっ! 痛い、痛い……!」
気づけば俺は苺の頬をつねっていた。
「やっぱり夢じゃねえんだよなあ」
「ひどい! 普通は自分の頬をつねるよね!?」
頬をさすりながら苺がぶうぶう抗議してくる。
「んじゃ、術式を組み上げるから少し待っててくれ」
俺は苺の頭を撫でて宥めつつ、契約の書かれた羊皮紙を見ながら、操作盤に魔力を流して部屋の魔術式を組み替えていく。
「これでいいか?」
「ええ、今確認するわね。でもさすがはシュー君ね。また魔力操作の腕を上げた?」
母さんは構築した魔術陣を指で追いながら嬉しそうに言う。
「そうか? 別に大した訓練もしてねえし、そんなことはねえと思うけど」
するとルエラがいいえと言って母さんに加勢する。
「毎日ステージや音響機材のメンテナンスをしている成果だと思いますよ。あっ、防犯設備もですね。
本来なら廃棄してもおかしくない程に壊れかけている機材をあそこまで使いこなしているのですから、どれ程の緻密な魔力コントロールが必要なことか」
「まあ苦労していることは認めるけどな。別に大したことねえだろ」
さらにモワノーまでもが続いた。
「外のわたくしから見ても凄まじい腕ですわ。王立魔術学院で講師も務まるレベルではないかしら?」
「ありがとな。けど生憎魔力が一般人の十分の一、ほとんどねえからとても務まるとは思わねえよ」
苺が一瞬目を伏せたのが視界の端に入ったが見なかったフリをする。
三年前の事故はラナナスの呪いで不可抗力だった。
それにその後の二年間の猛特訓で失った魔力を補って余りあるくらいの魔力制御を身につけたからな。
大量に魔力が欲しいときは苺に供給して貰えばいいし、なんの問題もない。
「いざという時の代替の機材は用意できます。ですが今の苺さんやルエラさんの魔力に耐えうる機材となると、我々の提供できるものでも厳しいですわね」
「ああ。ペリステラー商会でも厳しいとは思ってなかった。ってか本当にあれって希少素材の塊だったんだな……」
俺はさっき契約交渉の時に機材の修繕・新調について相談したときのことを思い出して嘆息してしまう。
子供の頃から愛用していたせいで金銭感覚が完全にマヒしていた。
顔を引き攣らせ手を震わせるモワノーに概算の見積をしてもらった結果、あまりの桁の数に俺だけでなくルエラ、母さん、金銭感覚に疎い苺までもが絶句した程だ。
モーラなんて卒倒していた。
入手困難な素材だとは思っていたが、まさか時価総額にすると城が買えるんじゃないかと思う程の額だった。
本当に今の機材が壊れたらどうしたらいいかなんてわからない。
ラナナスとの決闘ライブで過負荷を発動させたせいか劣化もかなり進んでいるし、そろそろ本気で省魔力でのパフォーマンスも考えないといけないかもしれない。
「私としては、希少と言いながら自分たちで素材を調達するという選択肢を持っている貴方方も十分規格外だと思いますわ」
「えへへ、そうかなあ? 結構普通だと思うけど」
照れる苺にルエラが呆れた声を漏らす。
「どこぞに素材が欲しいから竜を一狩りいこうぜ、で狩りに行くあいどるがいるんですか?」
「つくづく、勇者というものが規格外だと思い知らされますわ」
それを見たモワノーはただただ苦笑いだ。
心なしか遠い目をしている気がする。
「確認終わったわよ。術式に問題はなかったわ」
実際の契約が始まるからだろう。
母さんが笑みを少しだけ真面目なものにして俺の術式構築に許可を出してくれた。
宣誓契約は魂の契約。
さすがにここからはおふざけはなさそうだ。
普段からこういう態度だったら少しはデキる女に見えるってのに。
そしてモワノーも術式を見渡してから頷いた。
「ええ。私から見ても問題ないと思いますわ。とはいえここまで繊細なものですと全てを把握するのは難しいですけれど。本当にシュカ、貴方の本職並みの技術力には驚かされますわね」
モワノーからも承諾が下りる。
それに俺は一つ頷き返すとモーラに向き直った。
目を合わせたモーラが息を呑む。
「それじゃあ始めるか」
「は、はい。よろしくお願いします」
緊張した声が返ってきた。
せっかく道中で身を挺して……ってか命がけでモーラの緊張をほぐしたのにすっかり元のびくびくした状態に戻ってしまっている。
俺は先に魔術陣に入りモーラを受け入れることにする。
「こっちだ。俺の前まで来てくれ」
それにモーラが頷き返し、恐る恐る魔術陣へと踏み出そうとした時だった。
「モーラ」
モワノーが呼び止める。
声こそそれ程大きくないが、すっと鋭く入り込んでくるようなキレがあった。
モワノーはそのまま立ち止まるモーラに言霊を届ける。
「ここは貴方のステージよ」
その言葉を聞いた途端、魔術陣に踏み入ろうとしていたモーラが停止した。
元々歩みは止めていたがそれだけじゃない。
さっきまでびくびくとしていた様子もなくなり、目を閉じて文字通りその場で静止している。
まるで深く集中しているかのようだ。
一体どうしたのだろうと様子を見ていると、モーラがゆっくりと目を開いた。
その瞬間だった。
そわり――。
――怪物が現れた。
俺は幻視したイメージに戸惑う。
目の前の少女はなんだ?
殺気や威圧を向けられているわけじゃない。
なのにこの存在感は何だ?
言葉すら発せずただモーラは微笑を浮かべてこちらを見つめている。
その姿が先ほどの何倍にも大きく見えた。
しばらく目を合わせていると、モーラが足を踏み出し魔術陣の中に入ってくる。
その仕草は自信に溢れていた。
モデルらしいモーラの動きはモワノーの普段の所作に通づるものがある。
だがモワノーのそれとは迫力が違う。
まるで普段のおどおどした態度が反転したかのように、モーラは超一流のファッションモデルかくやにこちらへと歩いてくる。
ここはファッションショーの舞台なのか?
そんな錯覚を覚えた。
「よろしくお願いします」
モーラは俺の目の前まで来ると、静かな口調でそう言った。
ほんと目の前の彼女は誰だ?
目が離せない。
――そしてなによりもモーラは美しかった。
完成された美が目の前にある。
ここにいる誰もがモーラに魅入られているかのように静まり返っている。
俺がモーラを見つめたまま声を出せずにいると、静寂を破る声がした。
「うふふっ、相手に見惚れるのもいいけれど、準備はいいかしら?」
声の方に視線を向ければ俺の顔を見て楽しそうに微笑んだ母さんがいた。
そうだ、今は宣誓契約をするためにこの場にいるんだ。
相手に呑まれている場合じゃねえよな。
俺は両頬を手で叩いてからあらためてモーラを見返す。
ほんと凄えよ。こんな力を隠し持っていたとはな。
間違いなくモーラには人を惹きつける力がある。
苺のような周りを巻き込む天真爛漫さとも、ルエラのような溶け込むような透明感とも違う。
自らの美をもって相手を魅了する力だ。
外見だけじゃない。
内面から溢れ出す自信が彼女への羨望となる。
それはあのエスクラブプリュイのメンバーたちにも引けを取らない。
いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。
――引き出してみてえな。
一体モーラの中にはどれだけのポテンシャルが眠っているのか?
もしモーラがあいどるになったなら、どんな世界を描いてくれるだろうか?
このモーラの魅力を最大限に活かしたパフォーマンスを……楽曲を作りてえ!
「モーラ」
自然と俺の口角は上がっていた。
体の中からふつふつと力が沸き上がってくる。
この才能溢れる少女にふさわしくありたいと、俺は真っすぐにモーラを見つめ返す。
「俺と契約してくれ。そうしたらお前に最高の楽曲を提供してやる」
「……はい」
俺の言葉にモーラが首肯する。
モーラは真っすぐに俺の目を見返していた。
それを確認した母さんは契約魔術陣に魔力を注ぐ。
すると魔術陣が淡い青白の光を放ち始め、部屋全体が明るくなった。
「よし。じゃあ誓約をかわすぞ」
「はい、よろしくお願いいたします……」
モーラは返事をすると人化を解いて下半身を蛇にする。
それから鼻先がつくくらいの距離で向かい合い、見つめあった。
床の魔術陣から光の柱が立ち上り、俺達を包み込む。
魔力の奔流が魔術陣の上を駆け巡る。
俺の魔力とモーラの魔力が混ざり合い、干渉する。
俺は意を決して詠唱を開始した。
「運命に対価を、誓いに勇気を、咎人に罪を、願いに奇跡を――我、三矢修果が共に誓う。その誓約者の名はモーラ・ペリステラー。
我、因果に楔を穿ち、その決意を体現する者なり――!!」
詠唱が終わり、魔術陣の光がひと際強く輝くと、空間ごと俺達を包み込む。
光の中で俺達は契約を成立させる。
「宣誓契約――!」
魔術陣の光が収束し、それは目の前の少女の首元へと集まって物理的な形を成す。
目の前の少女は目を閉じたまま、それをただ静かに受け入れていた。
やがてその細く白い首元に銀色の宣誓錠が現れる。
まるでシルバーアクセサリーのように静かに輝いていてモーラにはよく似合っている。
「契約成立だ。これからよろしくな」
「はい、よろしくお願いいたします……シュカさん」
俺の言葉にモーラは力強く頷き返したのだった。




