添い寝
「ううっ、苺はね、苺はね……ぐすん」
苺はやはり泣きながら眠っていた。
俺はゆっくりと苺の頭を撫でる。
ふわふわと桃色ブロンドの柔らかい髪が手に馴染んだ。
三年前から魔女の秘薬を飲ませる一年前まで、毎日のように見ていたその苺の寝顔に俺の胸が痛くなる。
この一年、楽しそうに寝ている苺の顔にどれだけ救われ、そして苦しんで来たか。
そう思うと苺が苦しんでいる姿にどこか安堵を覚える自分がいて、そんな思いを抱いた罪悪感が俺を押し潰そうとする。
けれどそんな感傷を抱くのも今日までだ。
俺は……俺達は進み始めたんだ。
だったら前を向いて笑うために行動を起こすべきだよな。
「うーん……ふにゃ? おにい……ふぇっ!?」
「悪い、起こしたか?」
頭を撫で続けていると、うっすらと目を開いた苺がぼんやりと俺を見て、それからがばっと起き上がろうとする。
「お、おに、むぐぐ……!?」
「しっ、大声出したらルエラに気づかれるだろ?」
俺は苺の口を手で塞ぎながら耳元に小声で囁く。
苺は目を回しながらも俺の言葉でピタリと動きを止める。
あれから苺を部屋に運び、苺のベッドで添い寝をしていた。
部屋には世界各地で集めたらしき様々な謎置物が棚に並んでいる。
『かわいい』を免罪符としたカオス空間だ。
床にもどこから拾って来たんだと言いたいようなブサイクなクッションが置かれていたり、どうもどこか感性がずれているんじゃないかというものが色々と転がっている。
それでも苺らしい賑やな部屋にはこいつの匂いが満ちていて、それだけで不思議と落ち着いてくるのだから、俺の感性もまたどこかずれているのかもしれない。
そして無防備に眠る苺がなんとも面白くてつい色々と悪戯をしていたら起こしてしまった。
ルエラは隣の部屋だし耳もいいから気づかれないように気をつけねえとな。
「えっと、ここ苺の部屋ね? どどど、どたの?」
「なんで片言なんだよ」
苺の慌てぶりに俺は笑いを堪えながら言う。
「決まってるだろ、夜這いだ夜這い」
「……へっ!? よよ、よよよっ!?」
動揺しまくっている苺が俺の腕を見る。
どうやら今の今まで自分が腕枕をされていることに気づいていなかったらしい。
「どうしたんだよ。こんなのいつもお前がしようとしてる事だろ?」
「ででで、でも……!」
「小さい頃はよくこうやって一緒に寝てたじゃねえか。俺達夫婦なんだろ? だったらこうやって並んで寝るのも普通じゃねえか」
「お、おかしい。お兄ちゃんがこんな大胆な行動に出るなんて……!」
俺は知っている。
苺は攻撃力極振りで防御力がないんだ。
いつもちょっかいかけてくるくせに、こっちから行くとこんな感じなんだよな。
「少しは落ち着いたか? だったらこっち向け」
「う、うん……」
俺の隣で寝そべる苺は冷凍したサーベルマグロのように真っ直ぐにかちんこちんと全身を強ばらせていた。
「別にとって食ったりしねえよ。……ってかそうした方がいいんだったか?」
「ええと……心の準備とか色々あるからもう少しこのままでいいかな?」
「はいはい」
微動だにしない苺だったが、それでも体だけは俺の方に倒す。
まったく、さっき夢の中で俺を全裸に剥こうとしたのと同一人物とは思えねえな。
それからしばらくの間黙ったまま苺を見守っていると、ようやく落ち着いたようだった。
「えへへ。お兄ちゃん、いらっしゃい」
「おう、可愛い妹に会いに来たぞ」
ここで手を出す素振りを見せればまた苺が緊張するだろう。
意地悪したい気持ちを抑えながら俺は優しい兄を演じてやる。
そっと頭を撫でながらまだどこか緊張した顔の苺を見る。
……こうして一緒に横になるのは久しぶりだ。
ほんと昔から甘えん坊で、失言症の時なんかは一時も俺から離れようとはしなかった。
――いや、本当は俺が離れたくなかったのかもな。
今にしてみればそう思う。
そうでもしなければ苺が崩れて消えてしまいそうに思えたから。
「ねえ、お兄ちゃん。あの時何を言いかけたの?」
「あの時? ……ああ、夢映しの時に俺がお前に言いかけた言葉か?」
やっぱり兄妹だなと俺は思った。
俺がここに来たのはまさにそれだったからだ。
三年前、何かを言いかけた俺はそこで馬車の突進に気がついて苺を庇った。
苺はラナナスと喧嘩をした――いや、ラナナスの方が一方的に怒っていたというのが正しいか。
苺は落ち込み、ずっと悩んでいたんだ。
ただ純粋無垢に歌を歌っていただけの少女が、それだけではいけないのではないかと初めて自分を疑った。
俺も二年の介抱生活ですっかり摩耗させてしまった想い。
再現とはいえあの場面に立ち会い胸に戻って来た想いを苺に打ち明ける。
「みんなお前に元気で歌ってほしいと望んでる。だから周囲に感謝しつつも、今までどおり思いっきり自分の歌を歌えばいい」
そう言ってにかっと笑う。
子供の頃はなんの気なしに出来ていたのに、いつから出来なくなったのだろうか?
苺はいつも俺達をぐいぐいと引っ張ってくれた。
それこそ後先なんて考えないくらいに真っ直ぐで、そんな苺を誰もが支えたいと感じていた。
そして俺もそんな人間の一人だったんだ。
そう伝えると、しかし苺は目を伏せてしまう。
「でも苺は周りの人達を振り回してばっかりで、そのせいで悲しませている人がいるって。不幸にしている人がいるってナナちゃんが……」
まるであの時の続きの会話のように、苺はぽしょりと言葉を紡ぎ出す。
「んなの勝手に言わせておけ。今の苺なら……それくらいわかるだろ?」
「うん、まあね……」
苺が苦笑しているのがわかる。
こいつだって今年でもう十六だ、世の中が綺麗事だけで回っていない事くらいとっくにわかっている。
「お前はお前の好きにやれ。いつでも支えてやるし、守ってやる」
俺はそれを三年前に伝えたかったんだ。
夫婦と言われてもよく分からない。
けれど兄妹も夫婦も『家族』という意味では変わらないはずだ。
恋愛感情なんて抱いていないとしても、苺は確かに俺にとっての大切な家族であって、今はそれで十分だと思う。
「えへへ……家族か」
俺の言葉を苺は噛みしめるように繰り返す。
「うん……でも、お兄ちゃんが嫌な思いするのはイヤだよ。あんな風になったお兄ちゃんをもう二度と見たくない」
涙を浮かべる苺。
恐らくは三年前の事故で俺が瀕死の重傷を負った時の光景を思い出したのだろう。
「歌おうとするたびにあの時のお兄ちゃんの姿が浮かんできて……怖くて声が出なくなるの」
ほぼ普通の人間と変わらない俺があんな馬車にまともに激突したら、いったいどんなスプラッタな姿になっていたかわかったもんじゃねえよな。
「心配するな。俺も苺も三年前に比べて凄え強くなっただろ? 今の俺達なら無敵だから問題ねえよ」
実際、今の俺なら馬車を避けたり、ぶつかっても力を逃がせるくらいには技量だって高まっている。
怪我を追うにしても死にかけるなんてことはまずあり得ない。
最悪、苺に任せればノーダメージ確定だ。
今なら迷わず苺を置いて逃げるな、うん。
「お前の歌は人を幸せにする歌だ。だから何の心配もせずに予選では思い切り歌ってみろ」
「なにそれ……うん、でも頑張ってみるね」
「よく言った。それでこそみらくるベリーズのリーダーだな」
俺は苺の頭をくしゃくしゃに撫で回す。
「えへへ、お兄ちゃんの手、大きいね」
「そうか? まあでかい胸を揉むためにはもっとでかい手が欲しいところだがな」
「むう、苺だってこれから成長するんだからね」
それからはとりとめのない話をしながらしばらく苺の頭を撫でていると、やがて苺は寝息を立て始めた。
苺を起こさないように俺はそっとベッドから抜け出す。
苺はさっきとは違って穏やかな表情で眠っていた。
何かに苦しめられるように呻くことも、唐突な感情の爆発で夜泣きすることもない。
きっと今夜はぐっすり眠ることだろう。
「さてと、やる事をしっかりやらねえと」
手掛かりは何もなかった――それが手掛かりだ。
だから俺はあいつに会わないといけない。
――待ってろよ、苺。
俺は幸せそうに眠る苺の顔を見て決心を固めると、部屋を出るのだった。




