母と息子
ダブルベッドの上ですやすやと仲良く寝息を立てている苺とルエラを残し、俺と母さんはリビングに戻った。
「この映像なんだが何かおかしいところはあるか?」
俺が持ち帰った映像を確認した母さんは、しかし首を横に振った。
「急に馬車が別の動きを始めたようにしか見えないわね」
「ああ。時間を操作して空間内の隅々までくまなく調べたんだがな、なんの手がかりも見つけられなかった」
「となると……因果操作かしら?」
母さんもやはり俺と同じ意見を口にする。
同じ契約術師のライセンスを持つ俺達だ、当然その可能性にはすぐに思い至る。
「一つは俺達に恨みを持った人物が非認可で古代契約を結び俺達の命を狙ったケースだな」
「当時の古代契約の痕跡なら調べたわ。少なくとも事件前後で国内で発動した契約はルエラちゃんのそれだけね」
「そりゃあ調べてるか」
どうやら母さんはそこまで調べてくれていたらしい。
古代契約の魔力波長は独特で、隠蔽など理論上不可能だ。
王都どころか国内で不正な契約を交わそうものなら一発でバレる。
「国外での契約はどうだ?」
「調べられる範囲では調べたけれど、それらしい契約は見つけられていないわ。さすがに他国の契約事情となると、国家や現地の契約ギルドの事情もあるから根掘り葉掘り調べるのは無理だったけれど……」
「よくもまあ調べられたな」
「ふふっ、私はこれでも勇者様の妻だったのよ。伝手はいくらでもあるんだから」
「確かに。そのせいで俺も苺も小さい頃から色々と仕込まれたもんな」
得意げに笑う母さんは普段と違ってどこか無邪気で楽しそうだ。
「当時の俺達はワールドツアーの直後だった。どこぞの国での言われのない逆恨みを買っていてもおかしくはないわな」
行き過ぎたファンの暴走行為か、それとも利害関係のあった商業組合とのトラブルか……。
プロデューサーとして、そういうものからあいどるを守るのも俺の仕事だ。
「二つ目は何かの願いの副産物の場合だが……」
誰かの願望に対する契約が俺達の存在を障害とみなした場合だ。
「古代契約を交わした少女達とシュー君達との関わり、それが直接的なものなのか間接的なものなのか……推測を上げ始めたらきりがないわね」
古代契約は成立こそ難しいが、成功すれば必ずその誓いは履行される。
それがたとえ本人の願った形でなかったとしても――必ず、だ。
たとえば自分の村を守りたいと切に願った少女の願いが敵国を滅ぼすきっかけとなった話は歴史書にも記される程有名だ。
決して滅ぼせない村を橋頭保に逆に敵国を攻め滅ぼした自国。
確かに願いは叶えられた。
だが戦争の惨劇は形を変えて牙を剥いた。
拠点の村は軍事要塞と化し、果たして村人はそこで平穏なこれまで通りの幸せな人生を送れたのだろうか?
絶望に打ちひしがれた少女がやがて希望を失い魔人となり、多くの魔獣をばら撒きながら『魔王』へと進化を遂げて世界に対して翻ったのは彼女の望むところではなかったはずだ。
「そうだな。けど事故が起こったのはほとんどの所属あいどるが世界ツアーで契約を満了した後だ。ワールドツアー中ならともかく、実質活動できない状態になってる時期ってのがな……」
「けれど心当たりはあるのよね?」
「……まあな」
俺は母さんの言葉に肩をすくめる。
古代契約として成立する程あいどるに対する強い純粋な願いを持ち、しかもその願望を胸に今もあいどるを続けている少女を俺は知っている。
「少し飲まない? 今日は一日色々あって疲れたでしょ?」
「そうだな、少し付き合ってやるよ」
俺は母さんの誘いに頷いて応じる。
母さんがお酒を用意している間に俺はキッチンでつまみを作る。
と言っても冷蔵庫に作り置きしていた青きゅうりとマンドラゴラのピクルス、それにチーズの盛り合わせを用意しただけだが。
リビングに戻るとテーブルにはワインとワイングラスが並んでいる。
向かいの席に座ると、母さんがワインの入ったグラスを差し出してきた。
軽くグラスを合わせると綺麗な音が鳴る。
フルーティな香りとまろやかな口当たりでとても飲みやすい。
「ふふっ、こうして息子とお酒を酌み交わすのがなによりの楽しみね」
母さんはグラスを口に運ぶと、うっとりと表情を緩め、艶めかしい吐息を漏らす。
俺達はゆっくりと飲みつつ、時間が流れていくのを感じていた。
ふと母さんが息を吐く。
「……ごめんなさいね」
「急にどうしたんだよ。母さんが謝るなんて、発情しない苺より不気味だぞ」
普段はこっちがいくら注意したって反省しない癖に。
やっぱり今日の母さんはどこかおかしい。
「イチゴちゃんの前で動揺ばかりして、母としても、セラピストとしても失格ね」
「はあ、そんな事かよ……」
「そんな事ってひどい! お母さん、とっても気にしているのよ!」
頬を膨らませぷりぷり怒る様子は苺のそれとよく似ていて思わず笑いそうになってしまう。
「母さんは俺が魔女の秘薬を使ってからも、苺の治療法をずっと探してくれていたんだろ?」
仕事の合間に資料だって漁っていた。
国の仕事を引き受ける代わりに、セラピストに関する様々な技術や情報を世界中から取り寄せていたのも知っている。
仕事が片付かなくて夜更かしをよくすると言っても、その多くは苺絡みの研究に違いない。
「あんまり自分を追い詰めるなよ。根を詰めたらもたねえぞ」
「そういうシュー君だって毎晩夢魔術を使って寝ている時だって働いてるじゃない」
「寝てるから問題ねえよ。ってか俺は楽しくてやってるだけだからな」
「ずるい! ずるい! 二十四時間営業なんてずるい!」
「誰が二十四時間営業だ。普通に死ぬわ」
駄々(だだ)をこねる母さんの頭を撫でるとむすっとしたまま大人しくなる。
「ほんとシュー君もすっかりダーリンに似てきちゃったわね」
母さんは懐かしさと寂しさが入り混じった苦笑を浮かべている。
そんな表情を見て、俺は母さんに聞いてみる。
「……親父に、会いたいか?」
俺の質問に母さんは目を細めると、どこか遠くを見つめながら答えた。
「そうね。今頃二ホンに帰って何してるんだろうって思う事はたまにあるわ。ダーリンだったらイチゴちゃんの事、どう助けたんだろうって考えちゃったりもするわね」
「……そうだな」
魔王討伐が終わり、あいどる事業を通して対価を支払い終えた親父は二ホンに帰還した。
親父本人はこの世界に残りたがっていたそうだが、契約がそれを許さなかったらしい。
それからも母さんは親父を呼ぶために自らが古代契約を行おうとしたが、契約ギルドからの承認は下りず、未だに再召喚は叶っていない。
勇者召喚は高度な政治的事案として、現在では国際条約で禁止もされている。
「まあ苺の事は俺に任せろって、なんとかするからさ。だからもっと自分のために時間を使え。気になるヤツとかいねえのか?」
「あら、恋バナかしら?」
俯いていた母さんが顔を上げてにぱっと笑う。
そういうところはやっぱり母娘そっくりだと内心呆れてしまった。
「べ、別にそんなんじゃねえけどよ」
「ルエラちゃんはどう?」
「重い……ってか怖い」
俺は真顔で即答した。
まかり間違ってもルエラは恋愛対象にはならねえな。
ってかそもそもルエラはあいどるだし、プロデューサーとしてそういう目では見てはいけない対象だ。
「ふふっ、もっと本質を見てあげて」
「本質?」
「ルエラちゃんはいい子よ。少し愛情表現が過剰なところはあるけれど」
「あれを『過剰』で済ますのか? んまあ確かに。どうして俺にあんなにこだわるんだろうな?」
俺の問いに母さんはただ微笑んで見つめ返してくるだけだ。
「何か知ってるのか?」
「知っているとしても教えないけれど。これはシュー君自身が気づかないといけない事だから」
「なんだよ、教えろ」
「だーめ」
有無を言わせず問い詰めようにも母さんはいつものようにのらりくらりとかわしてしまう。
こういった優しい目つきをした母さんはどうにもやりづらい。
「それに俺はこれでも一応所帯持ちだからな。古代契約をなんとかしないといけないわけだが……結局これってなんなんだ?」
「シュー君もイチゴちゃんも間違いなく私の子。私がお腹を痛めて産んだ愛する子供達よ」
「ああ……うん」
その真摯で慈愛に満ちた瞳から俺は思わず目を逸らしてしまう。
なんだか顔が少し熱い。
「……悪かった。自分で考える」
「じゃあお詫びに一緒に寝る?」
「断る。それに今日は少しやる事があるからな」
「そう、残念。またフラれちゃった。夢魔の先輩として色々とテクニックを伝授してあげようと思ったのに。本や玩具で勉強するよりよっぽど実践的よ」
「余計なお世話だ。大体母さんは両性具有だろうが。参考になるわけがねえ」
「ええーっ、男女の両面からアドバイスできると思うけど?」
母さんがつまらなそうに唇を尖らせるのを見やりながら俺は立ち上がった。
「とにかく苺のことは心配するな。俺がなんとかする」
「わかったわ。そこまで言うのだから何か考えがあるのよね? じゃあお任せしようかな」
母さんは再び優し気な顔になって俺を信頼してくれる。
俺はそれに軽く手を振り返しながら、ある準備のためにリビングを出たのだった。




