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バレンタインデー

 某平成アイドルユニットは改元したらどうなるんだろう、などと考えていた時期もあったが平成は終わらなかった。

改元による新時代の幕開けより先に、この星の終焉をもって新たな世界が始まるらしい。そこに我々人類は立ち会うことができないのが残念であると述べたコメンテーターは飄々としていた。その横でニュースを読み上げる女子アナが泣いていたのを鮮明に覚えている。

小惑星が地球にぶつかるのだとかなんだとか、神の怒りに触れたとか、翌日からいろんな言説が飛び交った。結局なにが真の理由なのかはいまだにわからない。愛は地球を救うとかのたまっていたテレビ局も、急激に増えた詐欺だの強盗だの、愛のない事件を報道するのに必死になっていた。

それが1か月前、平成31年1月14日のことである。

「佐伯君って、大概のことに動じないよね」

それに大概のことに興味がない、と僕の前に立っている女性が言う。女性。名前は安本さん、確か。多分。

学生も教授もまばらになった大学の講義が終わって、地球滅亡までの生活費を稼ぐアルバイトが終わって、日付が変わる直前、いざ帰ろうとしたときに安本さんに呼び止められた。なに、と聞くよりも前に僕の胸に押し付けられたチョコレート。すきだよ、のことばが指すのが鍬や隙ではないことくらいさすがにわかるが。

「どうして」

「今日、バレンタインでしょ」

だから、と言って安本さんは笑った。だから、あげる。淡い色の唇が動くのを黙って見ていた。そういう色の口紅なのか自前のものなのかは、僕には判断できない。

バレンタインという文化の存在は知っている。勿論知っている。恩恵にあずかったことがなければ翌月のお返しに困ったこともない僕でも、知っている。好きな人に好意と贈り物を渡す日。それに便乗してお菓子会社の商戦が起こる日。だから安本さんは好意を持つ僕にチョコレートをくれた。すきだよ、のことばとともに。

「どうして」

それでも僕は理解できない。

「どうして、今」

改元を待たずして、つまり残り2か月ほどで地球が滅亡する。地球のかけらも、僕らのいた形跡も全て消えてしまう。今更僕と安本さんが付き合ったところで、その2か月になんの意味があるだろう。

深夜のバイト先の事務所で、人生初のチョコレートと告白。飲食店特有のこもったにおい。天井に残った2本の蛍光灯は、そのうちの1本が不定期に点滅をしている。タイムカードを押し忘れていないかな、と不意に思った。

「わたし」

 安本さんの唇が開く。淡い色の唇から零れる声は、淡い。

「あと3か月くらいで地球が終わるって聞いて、わたし思ったの。ああ、成人もせずに死んじゃうのか、って。あと半年で20歳なのに、って」

 目尻にかけて長くなっている睫毛の上、綺麗な形をした二重幅に薄い茶色が塗られている。1つか2つ年上だと思っていたが、どうやら同じ年齢らしい。

「成人して、お酒も飲めるようになって、吸わないけど煙草も吸えるようになって、選挙にも行けて、なんでもできるようになるはずだったのに。わたし、あと半年だったのに」

 死んじゃうの、と囁く声が震える。

「だから、今のうちにしたいこと、全部、するんだ。成人はできないけど、したいこと」

 言い切った安本さんはもう一度微笑んで、僕の胸にチョコレートを押し付ける。思わず両手で受け取った、赤いパッケージに包まれた有名なブランドのチョコレートは、手を加えたのか黄色のリボンが掛けられている。

「バレンタインにチョコレートを渡すのも、誰かに告白したり付き合ったりすることも今までしたことなかったから、本当はこんな感じでいいのかよくわからないんだけど」

 ありがとうね、伝えたかっただけなの。そう言うと安本さんは数歩下がって、事務所のロッカーから自分の荷物を出し始めた。束ねた髪の毛と後頭部が蛍光灯の点滅によって照らされ、明るい水色のリュックサックに翳を作る。エプロンをたたんでロッカーの奥に丁寧にしまうのを、呆然と見ていた。

「じゃあ、また」

 リュックを背負った安本さんが、僕に背を向ける。

 思わず、手を伸ばした。

「地球」

「えっ?」

「地球、終わらないから」

 なにを言っているのかわからない、という顔で安本さんは僕を見る。僕だってわからない。でも、必死だった。

「終わらないから、なんでも、できるから」

 あと二か月後にやっぱり地球は滅亡しませんと政府が発表して、地球上の人が激怒して、でもやっぱり安堵して。半年後には安本さんがお酒を飲めるようになって、その二か月後に僕が成人して。次の選挙には二人で投票しに行けるから。あのときの混乱はひどかった、って思い出して呆れるような未来がくるから。

「だから、付き合ってって、言ってよ」

 自分の中で、諦めたりしないでよ。そう言うと安本さんの顔が歪んだ。目尻にかけて長くなる睫毛を伝って、涙が頬を流れる。付き合って、と言い終わる前に抱き寄せた体は小さかった。

 小さな音で時計が時間を告げる。 

 地球滅亡までの1日がまた、始まる。


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