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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

迷宮トイレ

作者: 真夏の雪だるま

その日、私は繁華街を散歩していた。

心と体のリフレッシュを兼ねての外出だった。

数週間続いたレポートのまとめ作業になんとか終わりの目途を付けることが出来たからだ。

特に行きたい目的地があって繁華街まで出てきたわけではない。

ただなんとなく目新しいものがあるのではという曖昧な理由からだった。

正直に言えば、暇つぶしと気分転換さえ出来れば何でも良かった。

街の風景は歩くごとに新鮮に見えた。

普段仕事で歩いている道でも行き交う人々や時間が違うと全く別の顔をのぞかせる。

そんな違う顔をカメラのファインダー越しに一枚一枚切り取ることが唯一の趣味だった。

「お客さん、ケーキはどうですか」

背後から不意に声を掛けられた。

ファインダー越しの風景に夢中のあまり、周りに人がいることすら気付かなかった。

「ボチボチです」

考えるまでもなく普段通りの社交辞令が口から飛び出た。

相手は「ハイッ?」と惑っているようだった。

(何かおかしなこと言ったかな)

私は首を傾げ、辺りを見渡し、そこがケーキ屋の前であることに気付いた。

「あっ、ごめんなさい。変なこと言って」

「いいんですよ。私の方も紛らわしい言い方をしてしまって、すみません」

「こちらこそ、すみません。あっ、お詫びに一つ頂きます。」

「そんな悪いですよ」

「いいんですよ。ちょうど小腹が空いていたところだったんで」

「そうですか。それでは店内の方へどうぞ」

私は店員の誘導に従い、店内に足を伸ばした。


ホールに入るとレトロ空間を強調した家具や照明が置かれ、レコード盤から流れるジャズの音が周囲の壁を反響して耳元に返って来た。

どちらかと言えばケーキ屋と言うよりは昔懐かしい喫茶店の様だった。

揺れる火の明かりがユラユラとランプ越しに波打ち、薄暗い店内に大きな影絵を投影した。

甘く香ばしいコーヒーの香りが鼻孔をくすぐり、私の食欲をさらに促した。

透き通ったガラスのショーウィンドウを覗くと、宝石のようなケーキが色彩を帯び、所狭しと並んでいた。

ショートケーキ、ガトーショコラ、モンブラン、ロールケーキ、タルト、ブリュレ。

どれも私に食べてもらいたそうに並んでいる。

「ご注文は決まりましたか」

店員がしっとりと艶めいた声で尋ねた。

「どれも美味しそうで迷ってしまいます。お薦めはありますか」

「そうですね。これはいかがですか。薄く伸ばして焼いた生地の上にたっぷりのホイップクリームを絞り、朝摘みの新鮮なベリー、ミントをふんだんに載せたタルトなんていかがでしょう。

ストロベリー、ブルーベリー、クランベリーを一度に食べられるのでお得だと思いますよ。

隠し味にレモンが生地に練り込んであって甘さの中にも仄かな酸味を感じる食欲をそそる一品です。

さらに今はキャンペーン中なので普段の半額、半額で食べられるのです。いかがですか。」

「それじゃ、それを頂きます」

私は財布に手を伸ばし、代金を清算した。

「ありがとうございます。商品はテイクアウトしますか、それとも店内で食べられますか」

「それじゃ、せっかくだから店内で食べていきます。あっ、その前におトイレ行ってもいいですか」

「どうぞ、お手洗いは店を出て、つきあたり奥の地下空間にあります。それでは商品はあちらのテーブルに置いておきますね。ごゆっくりどうぞ」


店員の指示通り、奥へ進むと、RPGロールプレイングゲームに出てきそうなダンジョン洞窟の入口が待ち構えていた。洞窟入口に掲げられたプレートには「ようこそ、勇者よ、いざ進むが良い。新たな冒険の始まりだ」と書かれていた。

中を覗くと手前から奥へ向かって壁据え付けのランプが均等に並び、地下深くまで続いていた。変わった趣向のトイレだな。まぁ、黄金のトイレや海中トイレを作る人がいるくらいだからそれもおかしくないか。


少し行くと分かれ道になっていた。「上級者」、「中級者」、「初級」の三つに分かれていた。

これはどういう意味だろう。トイレには階級があったのか。

自分は知らなかったが世の中では常識なのかもしれない。

しばらく外出していない間に世の中は変わったものだ。

あぁ~そうか、もしかして初級者は子供用という意味じゃないだろうか。それならつじつまが合う。

トイレの仕方を知らない子供に専門家から懇切丁寧な説明でもされるのだろう。

間違いない。だとすると自分はそんなこと大人の常識として知っているから中級と上級のどちらかだ。

でも何が違うのだろう。大して変わらないように感じるが…。

そうか、わかったぞ。きっとこれは使われている素材や空間が違うのだろう。

上級者は広い室内に最高の材料で作られた便器やトイレットペーパーがあるのかもしれない。

用を足している間、暇を持て余さないように据え付けのテレビからドラマ、ニュース、映画が流れていたり、短編小説が本棚にズラリと揃えられていたりして…。

室内ではリラックスできるようにクラッシック音楽が流れ、気持ちを落ち着かせるためのアロマが焚かれている。

脇には、次に用を足す人用にリクライニングソファーが置かれ、急に気分が悪くなった人のために医者が常駐して、症状の診断や病室で休めるように手配する。

そんなサービスなのだろう。

そうなると中級者は普通のトイレということになる。

通常の仕切られた空間に通常の便座が置かれ、ホルダーには通常通りのトイレットペーパーがある。

室内は安売りで買った特売の通常通りの臭い消しがトイレの異臭を消している。

だとするならば、行くのは上級者に決まっている。

まだ、お腹の調子もいいし、我慢できる範囲だ。その贅沢が出来るという上級者のサービスを私は受けてみたい。そう決意すると私は薄暗い地下の方へ明かりを頼りに階段を降りて行った。

しばらく進むとジメジメと湿気を帯びた空間に生臭く酸っぱい香りを感じた。

これはどういうことだろう。自分には、どぶ川のような鼻をつまむ位の臭いに感じる。

あぁ~、わかった。これはきっと自分の体臭に違いない。

きっと今でも室内ではマイクロイオンを帯びた香水が空気中に漂い、この空間の嫌な臭いを消しているのだろう。

でも異臭の発生源である自分は今までそれに気付かなかった。

周りの空間が無臭になったことで自らの体臭を酷く受け入れ難く感じるのだろう。

こんな事なら外出前にシャワーでも浴びておくべきだった。

しょうがない、我慢することにしよう。

さらに道を進むとレンガの隙間からヒューと風が吹き込み、頬を撫でた。

これは一体どういうことだろう。

こんな地下深くにいるのになぜ風が吹いているのだろう。

手抜き工事でもしたのだろうか。

あぁ~、分かったぞ。

これは地下空間にいても酸欠にならないように配慮されているに違いない。

昔、聞いたことがある地下工事の際にはカナリアを連れて行き、カナリアが生きているか死んでいるかで酸素濃度の有無を確認したという。

今は昔とは違って酸欠にならないように機械が自動で酸素を送っているのだろう。

そう開き直って考え、奥に向かい通路を進んで行った。だが次第に恐怖が増してきた。

今まで通路を真っ直ぐに進んでいるのに誰一人ともすれ違っていない。

もしかして上級者は高額の手数料を取られるのではないだろうか。

それはそうだろう。高級なサービスを受けるのだからそれに見合うだけの高額な手数料も必要だろう。

なぜ,私はそのことに気付かなかったんだ。なんて私は馬鹿なんだ。だからこの通路では利用者と誰一人合わなかったのだろう。

普通の人は今頃、中級者のトイレに行っているに違いない。今からでも遅くはない。来た通路を引き返そう。

いざ、引き返す決意をして通路を戻ると、あるはずの出口がどこにも見当たらなかった。

たしか来たときはほぼ一直線だったはずだ。道はカーブしていたのか。歩いている途中で脇道があったのか。

ひとまず懸命に辺りの壁を手当たり次第に手で触れ、おかしなところが無いか調べた。次にどうにかしてこのレンガを動かせないか手探りで脱出の糸口を考えた。

すると近くのレンガがカチリと音を鳴らし、その後、ゴ―という音と共に隠し扉が開いた。

一体、この地下はどうなっているんだ。私は急いで開いた扉の中に入った。

扉の中に入ってみると暗闇が広がっていた。

先ほどまで通路にあった据え付けのランプは間隔をさらに伸ばし、暗闇の中に仄かな光を点していた。

壁面を見ると、洞窟の壁に鏡が埋め込まれている。

覗いてみると人の形をした煙のようなものが透き通ったガラス越しに後ろの空間を縦横無尽に泳いでいる。

私はサッと振り返ってみた。けれどもその空間には一切、何も飛んでいない。

もう一度、鏡を覗いて見た。すると先ほどまで写っていたものが一切、写っていなかった。

疲れているのかもしれない。最近まで徹夜が続いていたからな。

家に帰ったら栄養剤でも飲んでゆっくり眠ることにしよう。

ふと、私は足元がヌルヌルしていることに気付いた。

床を見てみると濡れた床にムカデ、サソリ、ミミズ、蜘蛛、ダンゴムシといった昆虫がうじゃうじゃ好き勝手に走り回り、踏みつける度にプチッ、プチッといった感触が足に残った。

ガタッ、通路の奥から物音がした。誰かいるのかもしれない。

私は勇気を振り絞り、音のした方へ向かった。

行ってみると通路の突き当りに人の背中が見えた。

「あの~、スイマセン。どうやったらここから出られるのでしょうか」

私はその人物に向けて声を掛けた。すると振り向いた顔は人では無かった。

目玉がダラリと瞳から飛び出し、皮膚から粘膜のようなものがポタリ、ポタリと糸を引いて床に落ちた。

着衣には、手で擦り、拭ったのであろう血の跡が白い衣服に赤黒く残っていた。

その者は声にならないうめき声を発し、こちらにゆっくりと近付いてくる。

これは俗にいう、ゾンビに違いない。自分の背後を見ると、吐いて捨てるほどのゾンビらしきものが徐々に数を増やし、ユラリ、ユラリと体を揺らし、こちらの方へ向かい這い寄ってくる。

そのうちの一人が私にもたれかかった。私は辛うじてギリギリでかわした。

だが次から次へとゾンビが私の方に向かい、這い寄って来る。気付くと死角にゾンビが迫っていた。

私はあまりのショックで体が動かなかった。そんな私の気持ちも知らず、ゾンビは私の首筋にゆっくり這い寄ると、静かにその牙を立て、噛みついた。

ギャーと悲鳴が地下空間に響いた。

「お~勇者よ、こんなところで死んでしまうと何事だ。」

そんな声がしたのを遠くで聞き、私は静かに気を失った。


気付くと私は楽屋のような部屋で横たわっていた。

「あっ、気づいた。もう大変だったのよ。あんなところで気絶しちゃうんだもの」

そんな女性の声を聞き、横を見ると頭に杭が刺さり、両目が飛び出した血まみれゾンビがいた。

私は一瞬、怯んだ。

「あ~、ごめん、ごめん。驚かせちゃった。メイクを落としている最中だったから」

そう言うと女性はクレンジングをコットンに染み込ませ、顔のメイクを落とした。

メイクを落とした女性は先ほど見たゾンビ顔とは違い、誰もが惚れてしまうくらいの美人だった。

「迷惑をかけたお詫びに何か奢りますよ。」

私は先ほどの失態を挽回しようと、そしてあわよくばお近づきになろうと彼女を誘った。

「本当、ラッキー。それならこの近くにケーキ屋があるんだ。そこで何か奢って」

女性は片目を瞑り、私に向けてウィンクをした。


「お客様、申し訳ありません。お手洗いは反対の方向でした。何分、最近バイトを始めたばかりの学生だったもので勘違いしていたようです。本当に申し訳ありません。お手洗いへ無事に付けたでしょうか。確かあちらの方では何かイベントの最中だったと思うのですが」

ケーキ屋に戻ると開口一番にその店の店長がそう言った。

「えぇ、確かにやっていましたよ。脱出ゲームを…」

案内された席に座ると、テーブルには先ほど自分が購入したタルトと女性が新たに注文したティラミス、ミルフィーユが白い皿の上にのっていた。

「ティラミスには「自分を勇気づけて」という意味があるんですよ。だから落ち込んだり、疲れた時にはこれを食べることにしているんです」

女性は得意げに自分が知っているトリビアを語った。

でも私の目はチラリ、チラリと目の前に置かれた皿に向けられていた。

目の前に置かれたタルトをじっと見ていると大量の目玉が右往左往にうごめいているように見えた。

「お気に召しましたか」

店員が笑顔で尋ねた。そんな店員に私は苦笑いをしながらこう答えた。

「えぇ、そうですね。本当に生き生きとしています」

私は目の前のタルトが自分を食べようとしている、そんな錯覚に陥っていた。

「はぁ~、やっぱりトイレは中級者に限る」




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