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「まあ、姫様その着物は男の子のものですわ」
「知っておる」
黒地小紋の着物を持った姫様に側女達が困惑している。
「姫様の着物はこちらになります」
トノエは困ったと眉をさげた。
「妾は今日はこれが着たいのじゃ」
むくれた姫様をトノエは必死に宥めようとする。それを嫌だと跳ね返す姫との間で狗はおろおろとするばかりだった。
「紫陽花のは女の子の着物も男の子の着物も好きに着ておるのに、妾はなぜダメなのじゃ?」
急にしおらしくなった姫様は悲しげにトノエに問い掛ける。
「姫様は姫様ですから」
けれど、トノエはとりつく島もなくぴしりと言い切る。
その扱いに姫様はより一層むくれた。
そして、がばりと狗は腹にしがみつき
「ならば妾は今日はこのままでよい!!」
そう、襦袢のままで叫んだ。
側女もため息をついて部屋を出ていった。
狗は姫様の美しい髪を手ですきながら姫様が落ち着くのを待った。
女の子の着物は華やかだけれど動きにくい。紫陽花殿のように着物を好きに選びたい…
姫様はひとしきり想うことを狗の腹にむかって言ったあとポツリと…
「妾も皆と同じように外に出たいのじゃ」
そう小さく呟いた。そして声も出さずに泣いた。
狗は無言で姫様の滑らかな髪をすいた。
うち泣きつかれた姫様がすうすうと寝息を立てるまで、優しく、やさしく。
影に控えていたトノエが音を立てずに現れ、姫様へそっと暖かな布をかける。
「おかわいそうな姫様…」
小さく呟き、涙の後を優しくぬぐった。
姫様は限られた範囲でしか行動を認められていない。
双子の兄君と比べ好きに選べることも少ない。それは姫様の立場が難しいからだと聞く。
狗は姫様が誰よりも幸せになれたらといいのにと思う。
姫様がいつも笑っていられるようになればいいのにと。
そのためなら、なんでもできるのに。
そのためなら…
「狗、短慮を起こしてはなりませんよ?」
トノエが冷たい声で釘を刺す。
狗はそれが不服だ。
姫様を不幸にしているアイツが狗は嫌いだった。
狗は姫様のためなら、なんだって出来るのに。
そんな狗の考えを読んだのかトノエは諭すように言う。
「お前が姫様を守るのよ、狗は狗としてするべきことをなさい」
狗のするべきことをは姫様の傍にいること。
牙はそのままに。
爪もそのままに。
姫様の傍で。
目が覚めたら上がった覚えのない自分の寝台で眠っていた。
床で寝ていた気がするのだが。
起き上がると体に痛みや違和感もなく、怪我も綺麗に治っている。
どうやら、あの後も床で寝たマオを見かねた妖魔が移動させたようだ。
しかも、いつも首元まで止められているローブの合わせが寛がれている。
あの妖魔は元来、世話好きなのかもしれない。
妖魔を召還して以来、枯渇寸前まで使っていた魔力も今日はまだ多少は残っている。
これも、妖魔の優しさなのだろうと口元が笑みの形に歪む。
枕元には畳まれた新しい服とローブまで用意されていた。
端を摘まんで持ち上げるとぽとり下着が落ちた。
あの妖魔はマオが下着を着けていないことをしっていたのだろうか?
いや、まさか…な。
どうせマオのことだから下着もボロボロなのだろうと考えたに違いない。
まぁ、間違ってはいない。
ボロボロどころか着ける下着すらなくなっていただけだ。
久しぶりに下着をつけるとスースーとした奇妙な感覚が無くなり、非常に落ち着く。
しかし、なぜこの下着は奇妙な形の合わせが前にあるのだろうか。
多少の、疑問はのこるものの、誰の使い古しでもない新しい服は気分がいい。
残念なことに真白だったローブは、マオが纏うと漆黒に変わった。
せっかく美しい白だったのに。
妖魔の気遣いはあったものの、相変わらず髪にまでは回る余剰魔力は無いようで、髪はボソボソとした灰色だ。昔はもう少しキラキラしていたように思う。
いつのまにかキラキラは無くなってしまった。
以前は指を通すとブチブチと千切れていたが、指が通るだけ今日はいつもより多少マシだ。
夢の中の美しい髪を目の裏に浮かべる。
髪を櫛けずる優しい手。
マオは久しぶりに高揚した気分で書庫へと向かった。
「おいで、妾の狗」
優しい手が狗の頭を撫でる。
「妾の選んだ服がよう似合うておる」
「はい、ひぃ様、狗はこの服が好きです」
尊い主人が狗の服を選んでくれたことが何よりも嬉しくて、狗はうっとりと目を閉じ、優しく撫でる掌の感触に恍惚とする。
「うむ、そなたの髪には夜の色が似合う。
そなたの髪は夜空の星のように光っているからの」
満足気に頷く姫様はさて、と立ち上がる。
その声には気鬱がにじむ。
「今日は、にぃ様に会う日じゃ」
狗はパチリと目を開く。
姫様のにぃ様とは会ったことがある。
姫様の居ない場所でにぃ様は狗を鞠のように蹴る。
清廉なる姫様とは異なる、澱んだ気を纏わせる尊い人。
濁った目で狗を見下す冷たい尊い方。
にぃ様に会った後、姫様はいつも狗に触れたがった。
寂しい時、悲しい時、姫様はなにも言わず狗を側に侍らせた。
なぜ、にぃ様に会うと姫様は、悲しむのか。
以前、狗はトノエに聞いた。
「姫様は難しいお立場にいるのですよ」
帰ってくる言葉はいつも同じ。
難しい立場にいるから姫様は悲しい顔をするらしい。
姫様の哀しみがひとつでも多く消えればいいのに。
狗はそう思う。
姫様を哀しませるにぃ様が狗は嫌いだった。