5
悲しい夢を見た。
けれど、どんな夢だったのか思い出せない。
ゴホゴホと出る咳に意識が覚醒していく。
急速に失われていく魔力。
こんな夜中にあの妖魔は何をしているのだろう?
どんどん、空っぽになっていくマオの中にヒヤリとしたものが埋っていく。
焦り、悲しみ。
なんだろう?と思った
寂しい。
さびしい。
ああ、これは、あの妖魔の気持ちなのか。
そうか、あの妖魔は寂しいのか。
あんなに傲慢そうにしているのに。
痛む肺の空気を吐き出すようにマオはくつくつと微かに笑った。
夢の中の哀しみが妖魔の哀しみと混ざりあっていくようだ。
空っぽになってよかったと思った。
あの妖魔の哀しみを、僅かなりとも受け取れたことを嬉しいと思った。
そんな自分が不思議だった。
そして、唐突に気付く。
そうか、私も寂しいんだ。
ゴホゴホと血の味がする咳が出る。
もうほとんど無い魔力を搾り取ろうとする力に、体が先に悲鳴をあげている。
胸の奥が寂しい。
けれど、不思議と暖かい。
寂しいのは、自分だけじゃないと知れたから。
くすくすと嫌な笑い声がする。
珍しくマオが食堂にいるからだ。
マオのローブは誰よりも黒い。
この塔の誰よりも黒い。
しかし、マオは魔獣の討伐に行かないし、大きな魔術も行わない。
するのは召還と結界修復ばかり。
どちらも低魔力の魔法使いの仕事だ。
そのわりに、マオは魔力不足でよく倒れる。
マオは誰よりも魔力をもつが、その魔力を制御できない出来損ないの魔法使いと影で揶揄されている。
本人が影口を知っていては、影ではなく表だなとマオは思う。
今日もすれ違いざまにばしゃりと冷たい何かをかけられた。
すんっと嗅ぐと強いアルコールの匂い。
マオは気にせず、器に魔力を多く含む自分が食べられる食品だけをのせて席につく。
この国の食事は何を食べても奇妙な葉の味と、やたらと辛い実が入ったものが多い。
それに肉も癖がある。
食べると腹が痛くなることも多い。
そのためマオは基本的に食事に頼らず空気中の魔力を集めて動力源としている。
もちろん、空腹は癒せないし、食事から摂取できる魔力に比べれば微々たるもの。
けれど、体調はよくなりもしないが悪くもならない。奇妙な味のものを食べて体調を崩すよりはいくらかましだった。
マオが食べているとやたらとぶつかってくるものも多いし、相手の機嫌が悪ければ絡まれることもある。
面倒だなと思う。
面倒だけれど、わざわざふり払うほどのものでもない。
人間はとかく面倒だとマオは思う。
けれど、今はそんなとこに頓着せずに魔力を摂取するのが先だ。
かぷりと硬い果実にかじりつく。
咀嚼するのが疲れる。
マオははあ…とため息をついた。
「相変わらずだな」
「ナノ」
あの召還の日に一緒にいたナノがそこにはいた。
「生きていたのか」
マオがそう言うとナノは鼻で笑ったあと、断りもなくガタンとマオの前の椅子に座る。
「失礼なやつだ。あのあとすぐに討伐に行かされてな、あの妖魔は?」
キョロキョロとマオの回りをみて、まわりに居ないこと知るとナノは奇妙な顔をした。
「あの陣酷いつくりだったぞ?」
「うん?いや、おかしいな…そんなはずは…」
ナノは腑に落ちないと言わんばかりの顔で首をかしげた。
「私への扱いは餌とかわらないぞ」
そう言って硬い実をかじる。
味は甘味があるが、少し苦い。
「喰われたのか?」
「喰われたら、ここにいない」
ナノはしきりに首をひねっていた。
ナノの難解な頭の中をマオがわかるわけもないので、マオは不味い食事を続けた。
ナノと別れ、部屋に戻る途中でマオは水をかけられ、ゴミをかけられ、階段からは突き落とされそうになった。
異人の魔法使いのマオに嫌がらせをするのは、この国の魔法使いが多い。
そんなマオを助けるのは召還されてきた者異人の魔法使いの一部の者達だ。
マオはこの塔の召還された魔法使いの中で最年少で召還のされた。
在塔歴は最長だ。
マオを塔の主の玩具だと揶揄するものもいれば、マオを使えぬただの木偶だと言うものもいる。
友を失ったものはマオに、役立たずのお前だけが、なぜ残っていると責める。
マオよりも前に召還された魔法使い達は、もうこの世界には居ない。
死んだり、消えたり、その理由は様々。
だからマオがこの塔に長く居る理由を知るものはほとんどいない。
マオの魔力はこの塔の動力源としての役割を担っている。
だからマオはこの塔から出られない。
まだ幼かったマオは膨大な魔力を制御することが難しかった。
そこに目をつけた過去の魔法使い達がマオをこの塔に縛り付けた。
今やマオの膨大な魔力無くしてこの塔の維持は出来ない。
力の流れを視ることが出来るもの達は、マオを庇う。
マオが居なければこの塔は明かりすらつかない、水も湯も、この塔に住む全ての住人は、マオの力に依存しているのだと知っているから。
けれどそれを知る能力のない者達は、マオを貶すことで鬱憤を晴らす。
自分が底辺ではない、自分よりも下がいると安心をする。
マオはそのためにいると疑わない。
マオはため息をつく。
人間は奇妙で面倒だ。
その晩マオは熱を出した。
汚れたローブは床に脱ぎ捨て、はがした敷布を体にぐるぐると巻き付けて寝台に丸まった体が熱い。
体の中でぐるぐると魔力がうねる。マオの魔力はマオのものであってマオのものではない。
マオのちからでありながら、マオの思い通りにはならない魔力。
塔へ吸いとられる魔力と妖魔を養うための魔力、そして自分が生きるための魔力の出力調整を体がしているのだということは解った。
この熱が覚めた後はもう少し楽になるといい。マオは、そう思いながら目を閉じた。
薄い布の中で丸まりながら熱に魘されているマオの額を誰かが触った。
そんな優しい夢を見た。
「姫様、熱が在るときは出歩いてはなりません」
「つまらぬのじゃ」
「そのための狗でございます、さあ今日は、狗も一緒に寝てもようございます、お眠りください姫様」
いつもは厳しいトノエも今日ばかりは優しい。
狗は姫様を腕の中に囲える幸せにうっとりとする。
すき、すき、大好き。
いとおしい、誰よりも大切な、大切な狗の主。
狗はするりと控え目に、そしてこっそりとほほを寄せる。
「ひぃ様…1日も早く治るように狗は祈ります。」
本当は姫様の風邪は治ってほしくないと言ったら怒られるだろうか、悲しまれるだろうか?
けれど、忙しい姫様と1日ずっといっしょだなんて、いぬにとっては夢のよう。
ひぃさま、ひぃさま、狗はひいさまと一緒にいるのが幸せなのです。
ほう、とこらえきれず熱い吐息をはく狗の腕のなかで
姫様は目を閉じるたまま、くすり笑った。
「たまには熱を出すのもわるくないのぅ」
そういって、すう…と眠りについた。
あぁ、姫様も同じ気持ちだったのだと狗は歓びにうち震える。
ひぃさま、ひぃさま。
狗の幸せの全てはここにあるのです。