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3



ぱちりと目が覚めた。


そこは召還の行われた部屋の隅。



あの時転がっていた人だったものは、もう無かった。

マオは魔力切れで寝ていたから放置されたのだろう。

服がぐっしょりと濡れている。


恐らく血で汚れた床を水で流した時に一緒に水をかけられたのだろう。


べしょりと音を立ててローブを脱ぎ捨てる。


ボサボサとしたバサバサに傷んだマオの白髪もぐっしょりと濡れており、床についた髪もどろどろに汚れ、とぐろを巻いた。


泥と血と水にまみれた外套は乾かしても着る気にはならなかったので、ここに捨てていくことにする。


僅かに戻った魔力を使って部屋まで道を繋ぐ。

魔力の無駄遣いだか、歩くのも億劫なほど疲れているから仕方がない。


魔窟と揶揄されるマオの部屋は、足の踏み場もないほどに様々なものが散乱している。

その部屋の奥にある簡易風呂に湯をはり、泥水でよごれた体を洗う。



ーーまあ、なんて汚いこと!こんな汚い狗は姫様の傍に置けませんわ。

ーーうむ、石鹸のよいにおいじゃ、狗は綺麗になったのう、さぁ傍に来よ。


なかば意識が朦朧としているマオの頭のなかで、優しい記憶、が浮かんでは消えていく。


時折ぐらりと体が傾ぎ、ハッと気がつく。


ごしごしと湯で擦るだけでは、いいにおいになんてならない。

けれど、久しぶりに使う湯に気分はすっきりとしてはくる。


髪を洗うとぎしぎしと絡まり、ちぎれた髪は排水溝にたまる。


マオは洗うのが億劫になり、汚れは落ちたからまあ良いだろうとそのまま湯に浸かった。


マオが汚れていても、怒る人はもう居ないのだから。


ぶくぶくと湯に髪の毛ごと沈む。

透明だった湯はすっかり濁ってしまっている。


生きていくのはなんと面倒なことか。


ふと思い立ち清浄の魔法で湯ごと綺麗にする。

そうか、初めからこうすればよかったのか。

マオはきれいになった湯と自分に満足する。


暫く狭い湯船を堪能してから、ざばりと湯から上がりぼたぼたと水を、したたらせながら床を歩く。


いや、床に積まれた、何かよくわからないものの上を歩く。


ふと、魔法書が濡れてしまっていることに気付き魔法で水気を飛ばす。


たしか、魔法使いに支給される服は入り口近くに置いたはず。

がさがさと漁ると目当てのものが出てきた。

誰かの使い古しの灰色のローブ。

ボロボロの服だ。

この国の魔法使いが使わなくなった古い服。

マオはそれを魔法で汚れをとってから着る。

汚れはとれるが裂けた所や擦りきれたところは直らない。

魔法も万能ではないなとマオは常々思う。

ボロ袋のようなものでも着られればそれでいい。


下着は…と探すが、そういえばもう長らく買っていないことに気付きまあ、いいか。と諦める。


そのうち買えばいい。


袋のような上着は膝下まで隠してくれる。

その上から被ったローブはマオの魔力を吸って漆黒に染まった。ローブは着てみると大きすぎて床を引き摺る。

マオはかまうものかと、そのままずるずると寝床に向かう。

大きなローブはあちこちにひっかって端がビリビリと破けていく。


それすらも気にせず、この部屋で唯一綺麗な寝床で猫のように丸くなる。


布団はないからローブが布団代わりだ。

寝床といっても板の上に薄い布がひかれただけ。



ーー狗の寝床はここにせよ。


うつらうつらとする脳裏に、高慢な童子の声が聞こえる。

今日はやたらと昔を思い出す。


ーーなりませぬ、狗は床で寝るものです。

ーートノエはならぬばかり云う。狗は傀儡達と同じぞ。狗の寝床はここじゃ。

ポンポンとウサギや熊を模した人形を端によせ、真っ白な敷布を叩く。

狗はおどおどしながらそろりと童子の示した場所に座る。

童子は満足そうに狗の腹を抱えて眠りにつく。




あぁ…とても温かい。





バサバサと音がする。

時折、悪態もがきこえる。

なんだろう?

目をあけるとガサガサの白い髪の毛のすだれの向こうで、昨日召還した妖魔が部屋を片付けていた。

「なんだこの汚さは、いったいどうやったらこんなことになるんだ…」

ブツブツと文句を言いながら妖魔が使い魔に、指示を出して片付ける姿は昨日の高慢な様子からは想像もつかなかった。



ーーいいかい?狗よ、姫様の脱いだ服はこの籠にいれて婢に渡す。硯と筆は文箱にいれる。大切なものはあちらの櫃に、お気に入りのものは引戸の棚の手前に飾るのよ。

ーーはい、トノエ様。

ーー姫様のお手をわずらわせることの無いように気をつけなさい。


そうだ。


狗は主のお手を煩わせてはいけない。



はっと目が覚める。



がばりと起き上がるとマオの目の前が暗くなる。

ゴン、と音がして後頭部が痛んだ。

目を回して後ろにた折れ込んだらしい。

どうやら休んだというのに魔力回復していないようだ。


「目を醒ましたか、全く部屋の主と同じく汚い部屋だ。我を迎えるのならば整えよ」


そう呆れたように言われ、倒れたまま片付けを念じる。


バサバサと埃を巻き上げ部屋に散乱していたものが移動していく。


本は書庫に、それ以外はゴミ箱に。


もうもうと立ち込める埃は窓から外へと吐き出す。


一気に床が現れた部屋はその一角はゴミの山だ。

そのゴミの山は山ごとゴミ捨て場へと転移させた。


ゴホゴホと咳き込みながら妖魔が呆れたようにこちらを見た。


「何も全て捨てることはないだろう」


その言葉にマオは横に首をふる。

マオに必要なものはなにもない。

必要なのは本だけだ。


「その服はもう少しなんとかならんのか」


マオのボロボロのローブ指して妖魔は顔をしかめた。

服はもうこれしかない。

どうにもならないのでマオはこくりと頷いた。


呆れたようにため息をつく妖魔の姿には昨日の傲慢さは無かった。

案外いい妖魔なのかもしれない。


そう思いながらマオはどさりと寝台に沈んだ。魔力が全く足りていない。

まずい、このままでは死んしまう。

慌てて空気中の魔力を取り込む。


ここで自分が死んだらこの妖魔がどうなるか契約を調べなくては不用意に死ねな。


「これしきのことで魔力切れを起こすとは情けない」

「寝れば治る…」


久しぶりに声を出した喉は、カサカサと掠れていた。


そうだ、魔力切れは寝れば治る。

マオはローブを体に巻きなおし、再度眠りについた。


寝れば治る。


マオの魔力は常にこの棟の動力として取られていく。

いつも、魔力が足りない状態だったのに、今は妖魔まで使役しているのだからマオがいつ倒れてもおかしくはない。


部屋が片付いたからいいか。


自分の為にはする気もおきなかったが、あの傲慢な妖魔のためなら多少の無理はしてやってもいいだろう。



真名がよべぬとはいえ、私はあの妖魔の飼い主なのだから。









椿の咲く庭に鈴のような笑い声がこぼれている。


白い優美な手が甘い砂糖菓子を放る。

狗はそれをとても上手に受け取って食べる。

甘い。甘い幸せの味。

甘いのは優しい。

優しいひぃ様の味。


白くまろやかだった指は少し成長し、すらりとのびた爪先を赤く染めた指が優しく犬の柔らかな髪を撫でる。

「ティエンマイ様、狗を甘やかしてはなりません」

呆れたようなトノエの苦言に貴人はコロコロと鈴の音のようにわらう。

「狗を愛でるのは主人の役目じゃて」

「甘やかしては愚かな狗に成り下がります」

「妾の狗は賢い狗ゆえ分を弁えることも知っておる」

ツンとむくれてそっぽをむく横顔も美しいと狗はうっとりと主をみつめる。

「ならばその賢き狗に見合う賢き主人となられませ、さぁ、ティエンマイ様、手習いのお時間ですわ」

トノエの笑みを含んだ声に主はむくれる。

「あの術は好かぬ…疲れるのじゃ…それにあのような狗の扱いは見ていて気分が悪くなる…」

むくれながらぎゅうぎゅうと狗の腹にしがみつく。

そしてため息をひとつつき、名残惜しげに狗から離れた。

「可愛い狗のためじゃ、賢き狗に見合う賢き主人となろうぞ…」

はぁーと再び大きくため息をついて立ち上がる。

「さあ、狗、そなたも勉学の時間じゃ」


狗も尊き主の傍にいるために学ぶことは多い。


二人が椿花の庭に戻る頃、陽はすっかり沈んでいた。

夕餉の後、軒先には庭を舞う蛍火を見ながらゆったりと過ごす狗と主の姿を見てトノエはくすりと笑った。


そんなトノエに狗はちらりと一度だけ目を向けた。



蛍火は死んだ狗の魂の欠片だという。


ならば、狗が死んだらこの庭にこよう。



小さな明かりで暗闇に沈む椿花を灯そう。



狗はそう思った。





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