番外編 七之衛 <上>
古の契約に従い、神は地に降りた。
常夜は安らぎを与え、花は大地を潤す。
夜闇に星は寄り添い、神は星を数えた。
ナノが七之衛であった頃、ナノは古くから天神族に仕える数星一族の中から選ばれ、天妹様の側に仕える<添星>《そえぼし》として誰よりも側近くに居ることを許されていた。
天妹様は朝から喉のかすれを訴え、御殿医から朝餉の後に薬湯を飲むように進められていた。
七之衛は天妹様体調を加味し予定の変更に伴う些末事を調整するため各所に指示を出し、午睡の後に訪問予定だった紫陽花殿へ使いを出した後、厨所へ喉越しのよい果実の蜜煮を届けるように声をかけた。
そして、足早に主の元へと戻るべく椿花殿へ続く廊下を歩いていた。
今頃、天妹様は苦い薬湯を飲んでいる頃だろう。
あの美しい眉をひそめながら。
七之衛は口元をわずかに緩めた。蜜煮に喜ぶ主の顔を脳裏に思い浮かべたからだ。
七之衛の主は我儘を言わない。
双子の兄君の紫陽花殿の君は薬湯を飲ませるのに酷く苦労すると兄君の添星は笑っていた。
羨ましいことだとその話を聞いたときに心底思った。
七之衛の主は我儘を言わない。
それは、まだ七之衛の主の心を七之衛が開いていないからだ。
けれど、わずかだが、最近は七之衛の手を求め、七之衛に甘えることが増えた。
天妹様が愛らしい我儘を言う日も遠くない。
愁いなく、恙無く、心安らかに。
数星の一族は皆心からそう願う。
天神族のための数星一族。
夜の闇に寄り添う数星一族。
そして、七之衛は数え星の中でも栄誉ある御樹に添い護る星だった。
神であり人である天神の一族につき従う数星一族の一人として生まれたこどもは、幼い頃より数星の里で添星候補として育てられ、成人と共に尊い天神族の住まう御樹宮で務め始め、二十歳を目前に控えた頃、椿花殿へ<添星の七之衛>として侍ることとなった。添星となる事が決まったその日、七之衛へ諡が贈られた。
七之衛としていつ死んでも良いように。どこで死のうと、迷うことなくまた天神族のおわすこの地に戻れるように。
七之衛の七は七人目。
それはまだ六つという幼い尊き御方が失った添星の数。添星は尊き御方のごく近くで尽くす栄誉を賜った
数星の一族の精鋭中の精鋭。長きにわたり主となった天神族に寄り添い瞬く事をゆるされた者。
まだ六歳の幼い御方のその手をとり、支え、慈しみ、愛をこめて抱き上げることをゆるされた星。
七之衛がこれから仕える尊き御方はその数だけ温かな手を失ったということだ。
七之衛とはじめての顔合わせの時に姫様は聞いた「ななのえはしぬか?」と。
七之衛は衝撃を受けた。
ぽつりと、ただ独りで立つ尊き御方。
その、羽織を握りしめたふっくらとした蕾のような白い掌は僅かに震えていた。
一昨日、六之衛は襲撃から姫様を守って殉死した。五之衛は毒を盛られ血を吐き、四之衛は無惨な遺骸を庭に散らし、三之衛の死骸はいまだに見つからない。二之衛と一之衛は朝に床で冷たくなっているのを発見された。
星達は死因のわからないまま墓の中で眠っている。
死因がわからない。
それはその死に天神族が関わっているとう何よりの証拠。星数えの一族の精鋭を眠るように逝かせるなどということを行えるものは天神族くらいなもの。
犯人がそれに気づいてから襲撃は分かりやすい方法で行われるようになった。
それも姫様の目の前で。
そして、姫様は添え星を失いつづけた。傍らで温もりを分け与える手を失いつづけた。
七之衛が死ぬのかどうか、という幼い問いに七之衛は「はい」と答えた。
「七之衛は姫様をお守りして死にます」
嘘はつけなかった。
死なぬなどという妄言を告げられるわけがなかった。
ただの星が天神族にかなうわけがないのだから。
七之衛ができることは言葉通り姫様を御守りして散っていくことだけだ。
「わらわのそばで?」
「はい。七之衛は天妹様のお側で死にとうごさいます。」
美しい金の髪をさらりとゆらし、尊き御方は二つとない美しき瞳でまっすぐにナノを見た。まるで夜空に輝く月のように美しい色だと、ただ、ほおけたようにナノはみつめた。
「いつ?ななのえはいつしぬの?」
「さあ、いつとなるかは解りかねますが、て妹様のお側で七之衛の命が尽きるそのときまでお側におります」
七之衛兵はひたとその瞳を見つめ返した。この命が尽きるまでお側に居ます。
そう思いをこめて。
「いのちがつきるまで…」
天妹様は考えるように呟いたあと、こくりと頷いた。
幼い主が何を考えたのか七之衛にはわからなかった。
解らなかったけれど、七之衛の後、天妹様付きの添え星が増えることはなかった。
通常ならば一人の天神族に添え星は二人。そして、数人の数星達が側に使える。
けれど、天妹様はそれを望まなかった。
七之衛以降は、形式だけ八之衛、九之衛、十之衛と名のつけられた数星一族以外の側女が側におかれるようになった。
天妹様の回りに数星一族が増えることはなかった。
「妾の星は七之衛だけでよい。光らぬ星は…もうみとうないのじゃ」
七之衛の亡き後を継ぐ、添え星候補を紹介したとき、天妹様は幼い姿には不似合いな、大人びた遠い目をして庭を見つめながらそう言った。
数星達はその言葉に涙した。
それほどまでに添星を、天神族のために散っていく数星達に心を傾けてくださったことに喜び、そして、力足りず尊き御方の御心を悩ませるその不甲斐なさに泣いた。
本来ならば、憂い悩むことなく健やかに、愛されて育つはずの天神族の姫である天妹様、けれど、現実は常に寄り添う相手を失い続ける天妹様。
そして、天妹様の望みに答えるべく、星達は影のものとして見えぬ場所で控えるようになった。
今、天妹様に慈しみをこめて触れる事ができるのは正式な添星である七之衛ただ一人だけ。
(天妹様が薬湯をお飲みになられ始めました)
廊下をゆく七之衛に小さな声がそうつげてきた。潜伏している影星の声。
どうやら少し遅れていたようだ。
ならば。七之衛が姫様の眉間の皺を甘い蜜煮で消すことができる。
七之衛は椿花殿へ続く艶やかに磨かれた廊下を足早に進む。
その足元がまるでぬかるみのように弛くなった。ずぶり、と片足が沈み、まるで水におちるように板張りの床に沈んでいく。
そこからはまるで濁流に揉まれる木の葉のように息もままならぬ状態で掻き回され、そして、ようやく落ちた硬い床の上、荒い息とぐらつく視界の先にナノが見たものは
召喚陣の書かれた床に踞る塊達の中で唯一立っていたもの…
すなわちマオであった。




