15 番外編 緋榧
微グロ注意
赤紫に染まった実がいくつも落ちたその大木の下で子供は泣いていた。
足を繋いでいた鎖から痩せすぎた足がぬけたことに気づいたとき、なにも考えず逃げ出してしまった。
後先など考えずただ逃げた。
逃げて逃げて、けれど、そのあとどうすればいいのか、わからなくなった。
どうすればいいのかわからず、これから訪れるだろうより激しい痛みの予感にただ怯えてないた。
手も足も大きな切り傷で赤黒く染まっていた。
さくさくと小さな足音がする。
子供は体を小さく丸めた。
「なぜ泣くのじゃ?」
綺麗な声だと思った。
綺麗な澄んだ子供の声。
問に答えようにも言葉は出ない。
舌を切られて喉を焼かれたから。
「よい、話せずとも聞こえる。」
そう言う相手には確かに話さずとも自分の声が聞こえているらしい。
きっとこの人は不思議な力をもつ特別な人なんだろう。子供はそう思った。
「なぜ泣いているのじゃ?」
綺麗な声はもう一度問いかけてきた。
ーー手も足も痛いんだ。切られるのは嫌だ、血をとられるのは嫌だ。
「なぜ血をとられるのじゃ?」
ーーぼくは半妖だから。半妖の血は便利なんだって。
「そなたは半妖なのか?」
ーーそうだよ、半妖として産ませたんだって。
半妖なんて嫌だ。昨日は血の出が悪いからってお腹を切られた。
凄く痛いの、お腹の中のぐにゃぐにゃが外にでちゃったら、入れるのは凄く痛くて大変なのに。
もう痛いのは嫌だ…
めそめそと泣く子供の頭に優しいなにかがそっと触れた。
「そなた、角があるのう」
耳の後ろから前に向かって渦を巻くように捻れた奇妙な角。犬のようだと笑われた。まるで犬の尾のような角だと。そして戯れに折られる。角を折られるのは体の何処を傷つけられるより痛い。
ーーーこんな角大嫌いだ。
話していたらぐうぐうと腹がなった。
「何の音じゃ?」
ーーお腹の音だよ、もう半月何も 食べていないから、ずっと音がなってるんだ。
半妖に食べさせるものはないんだって、半妖はご飯をたべなくても死なないから。
ぐすぐすと泣く童子の眼は瞳がなかった。
ぽかりと空いた黒い隙間から、だらだらと涙だけが溜まっていく。
「眼はどこに落としたのじゃ?」
ーー眼はとられた。
「痛いのかぇ?」
ーーもう痛くない。でも治したらまたとられるから。目玉は摘まんでとられるととても痛いから治さないんだ。
ぐずぐずと泣く子供の手を柔らかな手がとる。
暖かい何かが流れ込んでくる。
すると、みるみるうちに痛みがなくなり、傷が癒えていく。
残ったのは赤い汚れだけ。
驚く子供に柔らかな手の持ち主はいった。
「そなたは狗じゃ」
何を言われているかわからずに、子供は首をひねる。
久しぶりの外の光は眩しすぎて目をぎゅっとつぶる。
そうして、そろそろともう一度開けると、太陽のような金色が目の前に広がっていた。
子供は赤紫の瞳を大きく見開いて、目の前の子供をみつめた。
金色の子供は神様のように美しかった。
「そなたは今から半妖ではなく狗じゃ、妾の側におれ、狗は投げた鞠をとるのじゃぞ?」
ーーい…ぬ?
「うむ、狗じゃ、妾の狗じゃ。」
にっこりと笑った金色の子供は、美しい真白い手を狗とよんだ子供に向かって伸ばす。
びくりとその手を恐れる子供の様子を気にすることなく、白い手は撫でる。ガサガサとした猪のような手触りの髪、それを小さな手が飽きずに撫でる。
産まれてこのかた、そんな扱いを受けたことがなかった。
子供は何が起きたのかわからず、ぽかんと口を半開きにしているだけだった。
にっこりと笑った金色の子供は、目の前にあるポカリと開いた口に、硬い石のような何かを放り込んだ
びくっとした子供は慌てて口に入った石をだそうとしたが
ーーあま…い?
ゴロゴロとしたそれは舌が痺れるほどに甘かった。
「甘露玉じゃ、妾は飴は好かぬのにアジサイはいつも渡してくるのじゃ、そなたがいれば妾が食べんのを気づかれぬ。
あやつはすぐに妾を子ども扱いをする嫌なヤツじゃ。さぁ狗、話はまずは湯殿でその汚れを落としてからじゃ」
くるりと向けられた背に子供は慌てる。
久しぶりの目に映るのは美しい黄金色の髪と赤い羽織、白い椿がふっくりと描かれたそれはまるで天の衣のように美しい。
ついていけばいいのか?
それともここで待つのか?
ゆどのとはなんだろうか?
美しい貴人はついてこない子供を訝しげにふり返った。
「ついて来よ」
濃い緑の苔を美しく塗られた甲堀が踏む。
「そなたは今日から妾の狗じゃ」
小さな貴人はそう言って赤く汚れた狗に桜の花弁のような美しい手を差し伸べた。
見上げたその貴人の後ろには赤い椿の花。
狗は震えながらその手をとった。
キレイ、甘い、おいしい。
それに…優しい。
口のなかの甘い塊も、
傷を癒し、一瞬で空腹を消してくれた気も。
こんなにキレイで優しくて素敵なモノを自分は知らない。
こんなに満たされたのはいつぶりだろうか。
繋いだ指先から冷えきっていた指先からぽかぽかと温まるっていく。
優しい力。
あまい、甘い…おいしい力。
湯殿で婢達に容赦なく洗われているときも、拭かれて髪に匂いのするべたべたを塗られて、ガシガシと櫛でとかされている時も、幼い貴人は側で面白そうに見ていた。
だから何をされても不思議と怖くなかった。
側にこの美しく優しい人が居るなら、なにも怖くなかった。
「ティエンマイじゃ」
「エンマイ?」
言われた言葉を鸚鵡のように繰り返す。
「うむ、ティエン 、マイじゃ」
「イェン、マイヤ?」
真似ようとしても久しぶりに動かす舌が縺れてうまくいかない。
「ほんに仕方のない狗じゃ」
呆れた様子にドキリとする。
いらないといわれてしまうのだろうか?
「テエマ、テイェンマッ?」
慌てて繰り返す。
「姫様はいかがでしょう?狗は舌をきられて長いのでしょう慣れるまでは時間がかかります。」
焦る様子を見かねた側女がそう言うと、幼い貴人もそうじゃな、と頷いた。
「姫様でよい、狗、言ってみよ」
「ひぃめひゃま、ひぃめはまッ」
簡略化された名前すら言えない口にどっと汗が浮かぶ。
「ひっひぃめっ…ひゃっ…ひゃっ」
焦りからどんどん舌が縺れてくる。
あ…あ、殴られる、蹴られる。
い、痛いのは嫌だ。
裂かれるのは嫌だ。
だらだらと嫌な汗が次から次へと出てくる。
側に控えた衛士の拳はきっといたい。
あんなに大きな足蹴にされたら、折れた骨が内臓に刺さる。
そうなると痛いし治りが遅くなるのが辛い。
うまく治らないと自分でぐにぐにとした腹に手を突っ込んで治さないといけないから嫌だ。あれはひどく痛い。
殴られたくない、蹴られたくない。
名前さえ呼べたら、きちんと言えたらっ!
「ひぃひっ…ひぃさっ、さまっ…ひぃヒッ」
ぶるぶると震えながら壊れたように呼べぬ名を繰り返す頭に、ちいさな手がおかれた。
「もうよい」
痛いのは嫌だ、嫌だ、いたいのはいや。
「ひぃさまぁっ!」
これから襲うだろう痛みに覚悟をする
どん!
衝撃が体を襲う。
けれど、それは痛みではなく温かで柔らかな温もり。
「そうじゃ!ひぃさまでよい、妾をそう呼ぶのはそなただけじゃ。妾の名を呼べる狗はなんと偉い狗じゃ!」
「ひぃひゃま!?」
がしがしと頭を撫でられる。
綿のように柔らかな胸に頭が抱えられていた。
そしてわしわしと容赦なく両手で頭を撫でられる。
「ほんに可愛いのう、狗は妾の側にずーっとおるのじゃぞ?」
「ティエンマイ様、はしたのうございますわ」
「トノエ、こやつは狗じゃ」
「半妖でございます」
「半妖ではない、狗じゃ、妾の狗じゃ、十之衛!ほれ見よ、こやつには角がある。いつか、誰がみても立派な狗になる証拠じゃ」
子供の高い声が胸伝って抱えられた頭に響く。
「羊の間違いでは?」
「狗じゃ、妾は犬がほしいのじゃ」
柔らかくて暖かくていいにおいのする腕のなかに囲われて思った。
この腕のなかは何処よりも安全だ。
この腕のなかで狗になれば、もう痛いことはない。
こんなにも小さな手がこんなにたくさんの優しさをくれる。
暖かさをくれる。
狗になれば、狗になればもっと?
「愛い角じゃ、妾の側で大きくなるのじゃぞ、大きな立派な狗になるのじゃ」
チュッチュッと、童子の持つままごと用の傀儡にするような口づけを頭と角に落とされる。
その柔らかさと暖かさにビリビリと体に衝撃が走る。
「なゆ、いぬになゆ。ひぃさまのいぬになゆ。おおきないぬになゆっ!!」
小さな貴人の腕のなかで、回らぬ舌で狗になる、といい募る。
姫様の狗になる。
大きな狗になる
狗になりたい。
半妖の自分には、誰も頭をなでてなんてくれなかった。
こんな優しさをくれなかった。
皆、半妖には痛みしか、くれなかった。
なら、狗になりたい。
半妖ではなく、狗に。
こんなに素敵なモノをくれるこの人の狗になりたい。
「ふふっ、愛いヤツじゃ」
満足気にきゅうっと抱き締められほわほわと胸が暖かくなる。
すき、狗は姫様がすき。
優しい。優しい姫様。
狗の大切なひぃさま。
「ティェンマイ様、この狗を名でお縛りなさいませ、こやつは半妖、観たところ真名もありませぬ、野良狗は宮中で殺されることもありましょう、真名を与えればティェンマイ様を害することもございません。」
トノエと呼ばれている側女が至極真面目な顔でそう言うのを、腕の間から狗は見た。
「うむ、そうじゃなぁ…十之衛、妾はこやつを榧の木の下で拾ったのじゃ。
落ちていた榧の実がこやつの血で綺麗な赤に染まっておってな、何かと思うて覗いたら榧の木の裏にこやつが落ちていたのじゃ。ふむ…緋色の榧の実…そなたの名は緋榧じゃ、いつか、榧の木のように大きくなり、妾を護るのじゃぞ?」
ひかや、狗の名前は緋榧。
緋榧は姫様の大きな狗になる。
いつか、大きな狗になって姫様を護る。
「ひかやは、ひぃさまの、いぬになゆ」
貰ったばかりの大切な前。
「ひかやは、おおひくなって、ひぃさまをまもゆ」
はじめて交わした大切な約束。
尊い方は満足気に頷いた。
「そなたは今日から妾の狗じゃ」




