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まだ雨が降っている。

そう思った。


ぱたぱたと降る大粒の雨。

こんなに大粒の雨がふるなんて、嵐がくるよだろうか?


嵐の後の庭は花びらが苔むした地面を赤く埋め尽くしてとても綺麗だった、

トノエとナナノエは花びらを集めるのが大変だと言っていた。

そういえば、まだ狗とはその景色を見てはいなかった。


真っ赤に染まった地面にさぞかし驚くだろう。


ああ、でも、あの子は椿が好きだから、悲しむかもしれない。


悲しんだらすぐに花を咲かせてあげよう。

空も地面も椿の花だらけにしてあげよう。

そうしたら、紫陽花殿に使いをだして、ユカリもいっしょになって皆で縁側で椿花をみながら…



夢から覚めた。


目の前にあった赤紫色が溶けてパタパタと敷布に落ちていく。

雨はこの音だったのか。

マオはぼんやりと降る涙を見た。


記憶の中よりも大きくなった。

背も角も。


けれど、光を吸い込むような漆黒の髪の毛と赤紫の瞳は変わらない。

主の指示を決して見落とさないようにと見つめてくるその眼差しも、こちらから声をかけないと一言も話さない所も。


あの頃のままだ。


「何を…泣いている?」

声をかけると、いよいよ瞳が溶けて、なくなるのではないかというほどに涙があふれていく。

その涙を拭うこともなく狗は呟いた。


「みつけられませんでした」


悲痛な声だった。


「貴女様を、必ずお探しすると約束しましたのに…側にいながら…気づくことができませんでした」


そう言って、悔やむように伏せた瞳からほたほたとまた涙が落ちた。


「狗の身でありながら、主を…お守りすることもできませんでしたっ」


魂まで裂くような悲痛な声だった。


「私は、貴女様の傷を癒すことも、敵を討つことも、なに一つ満足にできませんでしたッ…貴女の狗はっ……狗として…狗としての…役目を果たせませんでした!」


ゴッと床に固いものが当たる音がした。当たったのは額なのか、角なのかはわからなかったけれど。どちらにせよ、痛そうな音だ。

「私はいつだって間に合わない…」

呻くような言葉が床にむかって吐き出された。

見下ろす床に黒い髪の毛が拡がっている。


ふぅ。と、ティエンマイはため息をついた。


その微かな音にもビクリと狗の背中が跳ね る。


「私の狗は主の呼び方をわすれたのかぇ?」


ティエンマイの問いに狗はしゃくりながら答える。

「ひっ…ひぃ様とッ」

「そうじゃ、妾の狗は貴女様などという言葉を妾に使わぬ」


敷布に拡がっている黒髪をひとふさ、くいと引っ張る。

涙でぐしゃぐしゃの顔がこちらを見上げる。こんなにも大きく なったというのに、しゃくりあげる姿もあの頃のままだ。


「大きゅうなってもそなたは変わらぬのぅ。妾は狗に何をせよと、命じたかの?」


問いかけの真意を知ろうと細められた赤紫の瞳が色を濃くする。


「ひぃ様の…傍にいろと…」

「そうじゃ。妾は狗に、妾の傍らに常におれと命じたはずじゃ」


常に傍らに居ること。

それは、狗が何よりも出来ていなかったこと。

突きつけられる罪に、狗の顔色は真っ青になっていく。


カタカタと震える手が膝の上できつく握られた。


いらないと、役立たずはいらないと、いわれるのだろうか。

そう、考えただけで狗は底知れぬ絶望に襲われる。

やっと会えたのに、もう、必要がないと捨てられてしまうのだろうか。

それでも仕方がない。

こんな役立たずの狗など傍に置く価値もないのだから。


「じゃがの、狗が迷子になったときはどうしろと妾は言うたかの?」


責められると思っていた狗は予想外の問いかけに首をかしげた。


それは、何の変鉄もない日常で交わされた小さな約束。


ーーそなたが迷子になったときは妾が探してしんぜよう。

迎えに行くまで臥してまつのじゃぞ?


脳裏に甦る今よりも幼い姫様の高い声。

何年経っても忘れることのない大切な約束。


「ひぃ様が、迎えにくるまで待つ?」

恐る恐る言う緋榧の顔の横にある角をつ…とティェンマイは撫でた。

狗はその、感触にぶるりと震えた。


「緋榧、迎えが遅くなったのは妾じゃ」


「ーーーっ!ひぃ様っ!」



ティエンマイは大きくなった狗を抱き締めた。

大きさは違えど、その暖かさはあの頃のまま。


「妾の狗は主を待てるよい狗じゃ」


緋榧の頭の天辺をなで、角の付け根をくすぐる。

赤紫の瞳から一度は止まった涙が再び溢れた。


「ひぃ様…っ!狗は…ひぃ様を…お待ち申しておりました…」


ティエンマイの腕の中で緋榧は拾った時と同じように泣いた。





緋榧のなみだが落ち着く頃、コンコンとドアがノックされた。

「やあ、起きたんだねマオ」

にこやかなエルヴィロスとその後ろからナノが入ってきた。


「マオは凄い怪我だったんだよ」

流石にちょっと助けられないかとおもったよ~

と入ってきた早々にカラカラと笑ったエルヴィロスの頭を背後からナノが叩いた。


ナノは今までとは違いきっちりとした服装をしている。

この世界でいう礼服だ。

髪も整えられ、こう見るとよく知った人物だということを思い出す。


「久しいの、ナナノエ」

ナノは深く頭を下げた。


「そなたは勘づいておったのじゃろう?」


ナノが召還されて3年、その間にマオはナノと共に儀式に参加することが多かった。

ナノと共に居るときは怪我も、いやがらせも少なかった。

何より、塔が大きくなっていく度に使う魔力は増え、この数年はいつ死んでもおかしくないほど、塔に魔力を奪われていた。


そのマオが今も生きている。


それは誰かの助けが無ければ不可能なこと。


「微力ながら…なれど、私だけでは力が足りず、姫様を此処からお助けすることはできませんでした…」

「いや、そなたには十分助けられた。しかし…ナノは妾がここに召還される前に消えたはすじゃが?」


「恐らく界を越える時、座標にずれが生じるようですね」


あちらの界に戻るにも、基点とするものがなければ同じことが起きかねない。

ため息をつくティエンマイとナノの間に、エルヴィロスの暢気な声が割って入る。


「まあまあ、まずマオはよく休んで、体力を回復させてからもう一度考えよう」


そう言われ、ティエンマイは深く息をついた。確かにまだ、体調は万全とは言い難い。


「さ、ひぃ様、楽になさってください」


緋榧は甲斐甲斐しくマオのいめにクッションを重ね整える。

その瞳はとろけそうに甘い。

姫様のお世話をすることが何よりも幸せなのだ。

「姫様がお疲れだ、お前達は出ていけ」

ギッと睨むように後ろに振り返り、きつく告げる緋榧に二人は呆れたように肩をすくめ部屋を出ていった。

ティエンマイは苦笑しつつ整えられたクッションに沈む。

結局のところ根本的な問題は解決していないのだ。

しかし…ちらりと横を見ると幸せそうに口元を緩めた狗がいる。

昔はもう少し表情がコロコロと変ったのだが…

目が合うと細められるその赤紫の瞳が幸せそうで…まあ、いいか。とティエンマイは口元を緩めた。


傍らに狗がいる。


今はそれだけで十分だった。




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