昼食
戦闘に巻き込まれないよう、少し離れて見ていたネリスとレイリアが、模擬戦の終了を見てエスカ達に近づいてくる。レイリアはいつも通り平静だが、ネリスはこれ以上ないほど興奮して二人に駆け寄ってきた。
「なななな、何なんですかこのレベルの高さは!リナさん、あの水蛇はオリジナル魔法なんですかっ、う、動きが生きてるっぽかったんですが、まま、まさか生命を持って!?エスカさんに至っては魔法を剣で斬ってませんでした!?流石に見間違いですよねっ、そうだと言って下さいよ!」
口早に紡がれる質問の嵐に、エスカは反応せず脱力して空を眺め、リナも流石に魔力を使い過ぎたのか、灰色の相貌に疲労の色を滲ませて苦笑する。
「まあまあ、ネリス。二人とも少し疲れている様ですし、まずは昼食にでもしましょう。料理は私がするので…そうですね、リナさん、水をお願いしても大丈夫ですか?」
「え、ええ。大丈夫よ。ありがとう」
リナは先ほどより少し時間をかけた水球の魔法で、レイリアの用意した鍋に水を入れる。
それを横目にレイリアは馬車から別の鉄鍋と材料を運んでくる。
エスカが仮眠状態に入ったので、ネリスはリナに質問を投げかけていたが、リナを気遣って魔法に対する好奇心を押さえ、質問を一時中断して手伝うことにした。
切り分けた鶏肉に小麦粉をまぶし、牛乳やチーズにも小麦粉を加えてよくかき混ぜる。
元々、集めていた枝にネリスが雷の火花で火をつけて上に鉄板を置き、レイリアが肉と野菜を炒め始める。肉だけを取り出し、街で購入した香辛料と水を加えて蓋をし、少し待機の時間。初めてみる料理にネリスは興味深そうに、鍋の中を覗き込む。
「先生、これは何をしているんです?」
「煮て野菜が柔らかくなるのを待っています。もう仕上げだけですし、退屈ならリナさんとお喋りしていても構いませんよ?」
「あはは、リナさんも疲れてるっぽいので自重しまーす。でも二人とも凄かったですよね!エスカさんもリナさんも、何してたのか全然分かりませんでしたよぉ…」
魔法に関しては自身のあったネリスだったが、先の模擬戦ではエスカの動きは勿論、二人が使った魔法すら全く知識になく、少々へこんでいた。第3階梯である水球や水槍、程度の見知っていた魔法でさえも、どうしたらあれほどの展開量で放てるのか想像もつかない。水槍と風の刃が同位階の魔法であることを考慮すれば、ネリスには風の刃を同時に4本放てればいい方だろう。当然狙いも甘くなる。
それが12本あろうと、エスカは余裕で対応可能だと知れば、それは一緒に旅をしているネリスの身としては、戦闘面での格が違い過ぎて自信を無くすのも仕方のない事だった。
そして最後の魔法、第5階梯を超えるだろう水魔法。その膨大な質量制御に加え、自律性を備えたあの水蛇は、森での10年間の中で魔法の勉強を積み重ねていたネリスでさえ、意味不明と言える高き領域にある魔法だった。
(魔法を覚えて、外の世界なんて楽勝だと息巻いていたあの時の自分が恨めしいなぁ…)
自分には出来ない高度な魔法を思い出して、自分の未熟さに落ち込むネリスの頭を、レイリアは優しく撫でる。
「そう気を落とさないで、ネリス。あなたにはあなたにしか出来ない事があります。私だって魔法はほとんど使えませんが、こうして皆の食事や、ネリスに様々な知識を教えることは出来るでしょう?」
「でも、私が得意なのは魔法だけですし……本物のエルフでもないから……」
「ネリスはネリスですよ、まあ、そうですね…。少しだけ助言をするなら、リナさんは単体の水槍を複数展開しているわけではなく、複数の水槍を1つの魔法と考えて構築しているようですよ。それでもあそこまで射出に緩急をつけれているのには驚きますが。」
「え…?それはどうやって」
「ふふっ、ネリスも色々と考えてみて下さい。努力はあなたを裏切りませんから」
「…はい、先生!」
具体的な方法は教えないが指針は示した、優秀なこの子なら遠からず答えに辿り着くだろう。そう思いながら、レイリアは具材が十分に煮詰まったと判断。鍋の蓋を開ける。炒めて、その後に煮詰めたものに肉を再び入れてに小麦粉を溶かした牛乳を注ぐ。あとは適温に温めればホワイトシチューの完成だ。
小さな小皿に少しだけ取り分け、味を確認してレイリアは頷く。
「これなら良いでしょう。ネリス、二人を呼んできて貰えますか?」
「はいはーい、リナさん、エスカさん、昼食が出来ましたよー!」
まずはそこの草の上に転がっていたエスカ、次に馬車で休んでいたリナを呼び出し4人が鍋を囲う様に集まる。
髪に草がついていますよ、と草原に転がっていたエスカにレイリアが注意するも、腹ぺこのエスカはレイリアの言葉が耳に入らないようで、視線はシチューに釘付けだ。
すぐに手をだそうとしたが、それをレイリアに咎められる。
「なんだよぉ…」
「今取り分けますから、素手を鍋に突っ込もうとするのは汚れるからやめなさい。ちゃんとスプーンを使って、行儀よく食べて下さい。でないと、エスカだけお昼抜きですよ?」
「ぐえー、それだけは勘弁してくれ、腹減って死にそうなんだ」
うずうずと、鍋に飛びかからんばかりのエスカの分をレイリアは深めの皿に装い、パンを添える。うまっ!、と一言漏らしてがつがつと食べ始めるエスカ。レイリアは食べ方に小言を言っても無駄だろうと諦め、他の皆の分も装う。エスカはスプーンを使っているだけ妥協しよう。
「これは…見たことのない料理ね。んんー、良い匂いだわ、何ていう料理なの?」
目を閉じて匂いを嗅ぐリナの質問に、レイリアが答える。
「シチューと言います。こちらの様な暖かい地域では珍しいのかもしれませんが、北方では普通に食べられている料理のはずです」
「北方ね、魔道国はないとして王国の北側かしら。じゃあ、頂くわね。………んっ!これは、美味しいわね。濃いのにしつこさの無い優しい味で、クセになりそう。正直、街の高級料理店のスープよりいいかも」
「はい先生、これ、凄く美味しいですよ!!」
「ふふっ、ありがとうございます」
リナが一口食し、驚きと賛辞を口にする。高級な店に通った経験もあるようだったが、それでも驚くほどの味だったようだ。続いてネリスも満面の笑みで感想を告げる。レイリアはそれに対してお礼を述べてから、自分も食事をはじめる。
食事を終えて、4人で食器や鍋を洗って片付ける。当初はリナとレイリアだけでやっていたが、ネリスが手伝いを申し出て、何事も経験だとエスカはレイリアに促されてやっている形だ。
全員で行なったことにより、片付けはすぐに終わり、4人は馬車に乗って再び目的地に向かい始める。
馬車内で、食後からあまり話さないエスカにネリスは流石に負けて落ち込んでいるのかもしれないと、声を掛ける。
「あー、エスカさん?何考えてるんですか…さっきの模擬戦、エスカさんも十分強かったですし、負けたからってそんなに落ち込まなくても……て、あれ…?」
言いづらそうに話すネリスの言葉に、エスカは一瞬何をいってるのか分からないという顔をして、それからすぐに意味が分かり笑い始める。
「はっはっは、んだよネリス、そんな事気にしてたのか。道理でさっきからあたしの事をちらちら見てると思ったぜ」
エスカの意外な反応に、ネリスが疑問を声に変える。
「へ?…違ったんですか?私はてっきり負けてへこんでるんだと」
自分がそうだったから。その言葉はネリスの中で飲み込む。
自分の情けなさを、エスカにはあまり知られたくなかったからだ。
「まー、確かに負けは負けだよ。正直めっっつちゃ悔しいぜ!でも…死んだわけじゃねーだろ?なら何回だってやればいいさ、今は明日の模擬戦でどうあの水蛇を攻略しようか考えてたんだよ」
「「明日の…模擬戦?」」
ネリスの声と、こっそり耳を傾けていたリナの声が重なる。
「当然。まだ目的地まで時間がかかるんだろ?だったら可能な限り挑むさ」
「あ、あはは、それでこそエスカさんですね………」
戦意の滾る赤い瞳。獰猛な笑み。
久々に挑戦者でいられ、しかも命の危険もないこの機会は、エスカにとって極上のご馳走にも劣らない好物であった。
何より、やっぱ負けっぱなしってのは性に合わねぇからな。
ちらり、と。ネリスはリナの方に目をそらす。意外なことにリナの表情は平静で、諦めではなく、覚悟を決めたように微笑んでから頷く。
「いいわ、目的地に着くまで相手をしてあげる。私を超えるのを、楽しみにしているわよ?」
「まかせろ、期待には答えてやる」
「そうね……あなたなら……」
リナの了承を得て、こうして、模擬戦は旅の日課となった。