模擬戦
「あ”あ”あああああ!暇だー!」
依頼を受けてから3日後、馬車の中でエスカはついに叫びを上げて立ち上がる。
白亜の離宮調査。エスカが依頼を受けた翌日から旅立てるよう強引に準備を進めたのだが、(実際に準備を行ったのはもちろんレイリアとネリスだ)その場所は思いのほか遠かった。
片道約10日間という距離。
サントムから南下し、いくつかの草原と荒野を越えた先。アーレウス山脈の中腹に白亜の離宮は位置していた。
ギルドで借りた地図で位置を確認。リナが用意していた馬車に食料などを積み込み、自分のパーティの予定を無視してついて来ようとするミセラをなんとかリナが説得してから早4日。
エスカの突然の叫びに、となりで転がって空をぼんやりと眺めていたネリスが「わひゃあ!」と可愛い声を上げる。
今まで生きてきた中で、ここまで何もしないというのは始めてのエスカ。
まだ3分の1程度の道程だが、こらえ性のないエスカはすでに我慢の限界にきていた。
なんだよなんだよ、毎日毎日食っちゃ寝食っちゃ寝して、オーク族の豚共でももうちっと活動的だぜ。なんでネリス達は平気なんだ?こちとら身体がだるくて仕方ないってのに。あー暇だ暇だ暇だ!
「なーあ、もうちっと速く走れねーのか?このままじゃあ身体が腐りそうだぜ」
「無理を言わないで下さいエスカ、これ以上速く走ると、馬が足を傷めてしまいます」
ゾンビのようにだらりと腕を垂らしてゆらゆら動くエスカを、御者をつとめるレイリアが前方から嗜める。
馬はそれなり速度で走っており、エスカの走力には劣るものの荷を運んでいることも考えれば足の良い良馬といえるだろう。
馬車内にはその速度によって生じた風が吹き込んでおり、心地のいい空間になっている。
リナの用意した馬車は。流石にBランクの魔術師というべきか、車輪の起こす振動もほとんど車内には伝わらない魔法が付加され、ネリスにとってはすこぶる快適な空間なのだが。
「そーですよー、せっかくゆっくりできるんです、エスカさんも転んで景色を楽しみましょう。ほらほら、天気も良いし雲が流れていくのを見るのも気持ちいいですから」
「ふふ、随分と老獪な楽しみ方をするのね、ネリスちゃんは」
リナが読みかけの本を片手に笑う。
「あはは、森の深くから出ることが無かったですからねー、外の世界を眺めて回るのも夢だったんです」
「婆くせえなあ、ネリスは。そんなにずーっと転がってたらオークに同族と間違われてもしらねーぞ」
「エスカさんが落ち着きなさすぎるだけです!はあ、まだ10日もあるんですよ?こうやってゴロゴロ出来る至福を味わいましょうよー」
そう言ってぽけーっと空を眺めるネリス。白亜の離宮を目指して旅立った当初はそれなりに緊張もしていたのだが、特に問題もなく進んでいく道中ですっかり気が緩み、今ではリナと世間話をする以外は一日中寝転がっている。付加魔法により衝撃吸収、温度調整が付加された馬車は、大きな揺れもなく快適だ。その快適さを満喫できるネリスには天国だが、退屈を嫌うエスカには地獄に等しい。
2日目まではこれから向かう白亜の離宮、そしてそれを囲む山脈と大森林、その場所の情報をリナから聞きくことで辛うじて暇を潰していたエスカだったが、それからあまりのやることの無さに気づいて以来、馬車の中でずっと魔法剣の素振りをしてはネリスに危ないと怒られたり、飛び出て馬車と並走しようしては馬が動揺するのでやめて、とレイリアやリナに叱られていた。
リナが持ってきた本を薦められたりもしたのだが、字は読めても性に会わなかったようですぐに投げ出す始末。
「あー、退屈すぎるぜ、暇で死にそうだ!なあネリス、狩りにでも行かねーか?」
「食料は十分買ってますから、大丈夫です。もう、エスカさんもいい加減座ってください、どうせやる事なんてないんですから」
「うあー、それがつらいんだよ……」
足を投げ出してエスカがへたり込み、馬車が小さく揺れる。
何もしていない故にげっそりとしているエスカを見かねて、そこでリナが手元の本を閉じて声を掛ける。
「うーん、なら、少し模擬戦でもしましょうか?」
エスカに掛けてはいけない一言を。
素早い動作でエスカが体を起こし、目を輝かせる。
模擬戦?って戦いだよな…やるっ、やるぞっ!
「やっ、リナさん、それは…」
「は。はははっ、いいぜいいぜいいぜ、やろう!その言葉をあたしは待ってたんだよ!前は苦手とか言って悪かったな、やっぱリナの事は好きになりそうだぜ、ネリスは全然そういうの付き合ってくれねーし!」
ネリスが止めるまもなく、エスカが歓喜の表情で答える。
「今からでいいんだよな、ちょっとレイリアに言って来る!」
「あ、え、ええ……私も少し身体を動かしたかったし」
本当は昼食を終えてからにしようと思っていたリナだったが、あまりにも嬉しそうなエスカに反射的に頷いてしまう。
「なーなー、レイリア、リナが模擬戦してくれるって!馬車止めてくれよ」
「それは本当ですか、エスカ?あなたが無理やり頼んだのでは…」
エスカがレイリアに交渉する中、起き上がったネリスが不安そうに呟く。
「エスカさん、やり過ぎないといいですけど………」
「あら、私の心配?大丈夫よ、エスカちゃんの退屈を紛らわせる程度に遊んであげるけど、怪我をさせるつもりは無いから」
「あっ、聞こえちゃいましたか。んー、でも、エスカさん……強いですよ?」
たった2回だけだが、エスカの戦闘を間近で見てきたネリスは言う。
村の戦士にはいなかった、剣技や魔術だけに頼らない、しかし本能のままの獣ともいえない独特の戦い方。膨大な戦闘経験が生み出す、勝利と生存だけを追求した戦い方にうまく説明をつけられないネリスはだた強いと、そう忠告する。
リナが強い事はギルドの指定したランクがBであることや、ミセラの話から十分に分かっているがそれでも勝負に白熱したエスカが、手加減を忘れて怪我をさせてしまうかもしれないからだ。
(最悪、水を刺ささせてもらいますから)
そうったエスカの中の微妙な危うさを、この数日でエスカは理解しているネリスはそう考える。
エスカには怒られてしまうかもしれないが、依頼人に怪我をさせるよりマシだと。
「そう、随分信頼しているのね。エスカちゃんは冒険者にはなったばかりと聞いていたけど、やっぱり天才か。なら思ったより期待できるかしらね」
リナは余裕の表情を崩さずに薄く笑う。
その瞳にここにいてもどこか別の景色を見ているような、底知れない不気味さを感じたネリスだったが、その雰囲気も馬車の止まる揺れと同時に消え去った。
「おおーい、早く始めようぜ!」
馬車が止まり、すでに降りて身体をほぐしているエスカがリナを呼んだ。
「ええ、いま行くわ」
リナが答えて、外に出る。
快晴、昇りきっていない太陽が午前中の清々しさを感じさせる頃。二人が草原の中で向かい合う。
軽い運動では済まないであろう物騒な模擬戦が、今始まろうとしていた