青の魔術師
「……は?いや……人間のはずだ、けど」
言葉に詰まるエスカを、女の灰色の瞳が興味深そうに覗き込む。
エスカの真紅の瞳。その奥を見ているかのように。
なんだ、こいつ。この感じ、気持ちわりぃな。
エスカは不快感に眉をひそめる。それは好意的でいて、どこか不気味な感触のするもの。
好奇心からの観察という、エスカは初めて向けられる感情にどう対処するかを迷う。
その隙に、女の口からは言葉が流れるように吐き出される。
「あら、それは残念ね。ミセラからの話を聞く限り、その若さを見る限り、人を超えた者だと思っていたのだけれど。あくまで天才括りの人間だったという事かしら。んー…どうしたのかしら?握手をしましょうよ、エスカちゃん。私はさっきから差し出した手を握り返してもらえなくてすごく寂しいのよ。握手。もしかしてご存知ないかしら、お互いに友好示すために行われる行為なのだけれど、ああ、これは利き手をに武器を持っていないことを示すことから 来ている意味なのだけれど、私が魔術師だから利き手なんて関係がないと、そう穿った考え方をしているのかしら。ふふ、これは私が単にあなたと仲良くしたいだけなのだから、そんな穿った考え方をされても困ってしまうわ。それとも私が歳上だと思って、格上だと感じて緊張しているの?ああ、心配しなくて結構よ。私、敬語なんて使われなくても気にしないわ、もちろん私に敬意を示してくれるのは嬉しいわよ、けれど私はあなたと仲良くしないと思っているんですもの、今は不要というものよ、どうぞ、いつも通りに喋って?」
「…あ、ああ」
別にエスカは噂に聞く魔術師を前に緊張していたり、握手の利き手がどうだとかを考えていたわけではない。ただ女の、濁流のように押し寄せてくる言葉の流れに面くらっていただけだ。
言われるがままに、手を握り返す。
そんな様子のエスカと女に、ミセラが怪訝そうな顔で割り込んでくる。
「師匠、久々の来客で嬉しいのは分かりますけど、エスカが困ってるじゃないですか。ちゃんと自己紹介くらいして下さいよ。ていうか私は化け物じみた力を持ってるとは言いましたけど、エスカが人間じゃないなんて一言もいってないです!」
「黙りなさいミセラ。私に敬語を使うなと何度いったら分かるのよ、あなたから敬語を聞くとあのいけ好かない豚貴族の顔がちらついて吐き気がするのよね。それとも何?そこまでして私と距離を取りたいの、?はーあ、私も随分と弟子に嫌われたものね。あの『ちちょーちちょー』って私の後を付いてきてくれたミセラはもういないのかしら、あの頃のあなたは可愛かったわよね、特に怖い物話なんて読んであげた日には私の布団に潜り込んできて―――」
「わあああああ、何年も昔の話じゃない!ごめんって師匠、謝るから!」
よろり、と椅子に持たれかかり遠い目でミセラの昔話を始める女を、ミセラは必死になだめるが、女の話は止まらない。話は続き、ミセラが初恋を終えた辺りまで進んで、本人が顔を真っ赤にうずくまった所で女は満足そうな顔で立ち上がった。
「よし、今回はここまでにしておきましょう。けど次、あなたが私に敬語を使ったら『ミセラの黒歴史その2、初恋の詩』を朗読するわよ、覚えておきなさい」
初恋の詩、と聞き苦しそうなうめき声をあげるミセラ。
女の立ち振る舞いの自由奔放さに空気と化していたエスカ達三人。それに気づき女はそこで初めて自己紹介をする。
「ああ、失礼。名乗り遅れたわね。ミセラから聞いているかもしれないけれど、私はリナ。リナ・アルトゥールよ。一応Bランク冒険者の称号なんて頂いてはいるけど、本職は魔術研究という所かしら。三人とも改めてようこそ、私のアトリエへ。歓迎するわ」
それから奥の部屋、客間として使っているのだろう大部屋に案内される。壁には素人目にも素晴らしいと分かる絵画が飾られ、中央の高そうな木製のテーブル には、湯気の立つ黒い液体が入ったティーカップが5つほど並ぶ。今日と言う日を狙い済ましたかのような5角形のテーブル、その一角についてリナは他のエスカ達に席を勧める。
「さあ、座って頂戴。じきにパイも焼きあがるから、それまでお話でもしましょう」
そう言って、香りを楽しみつつカップに口をつける。その所作は非常に優雅で、生まれの高貴さを感じさせる。
「では、改めて。そちらの名前を聞かせて貰ってもいいかしら?」
「……エスカだ」
「ネリスです」
「レイリアと申します」
名を名乗る三者を、リナが見回す。その瞳には好奇の色が浮かぶ。
「ふーん。赤色に、亜麻色に、金色、それに全員もれなく美女か、面白いわね。あなた達、この国の出身じゃないようね?王国辺りの出かしら」
男共が放って置かないでしょう、とリナは小さく笑う。
実体験のこもる笑いは、彼女もまた中性的であるが、美しい顔立ちをしているからだろう。
それにネリスが答える。
「あっ、近くの私は森のエルフです!、エスカさんと先生は違うんですが…」
「あら、エルフだったの。気がつかなくてごめんなさいね、もしかしてそう見えてもかなり年上なのかしら?」
「あー、私は森の加護から外れているので、見た目通りで、今は11歳なんです。だから気にしないでください」
「森の加護を……へぇ、そんな事もあるのね。それはまた、興味深いわね…」
ほんの一瞬だけ、リナの周囲の温度が下がったような感触に、エスカが反応しかけたが、それは瞬く間に霧散する。
「それで、エスカちゃんとレイリアさんは?」
「ん、ああ、かなり遠くだな」
「すみません、少し事情がありまして。出来れば出自は聞かないで頂ければと思います」
ここで素直に異世界と答えても、奇異の目で変人と見られるだけだろう。これからお世話になるかもしれない相手におかしな印象を与えたくはない。レイリアはそう考えてエスカにフォローを入れておく。
「あら、そうなの?まあ詮索はしないわ、私を含めて訳ありなんて珍しくもないし…」
リナは薬指の指輪。小さいが、綺麗な青色をした宝石のついた指輪を見つめて言う。
「そういえば、リナさんは貴族の出なんですか?名前の後のアルトゥールって」
名の後に続くのは、大体が貴族名だ。自信の領地を持つ貴族などは、さらにその領名を続けることもあるが、基本的に平民階級には1つ以上の名を持つことは許されていない。
自称は可能だが、良い笑いものになるか、貴族に目をつけられて私刑を下されるのが大半だ。
それを基本知識として持っていたネリスは、どうみても貴族には見えないリナに尋ねる。
「私の夫がね、貴族の出だったのよ。それだけ、私自身には貴族の血は入っていないわ」
それ以上は話すつもりはない。という風にリナはその話題を打ち切る。
そしてミセラの名を呼び、焼き上がるパイを持ってくるよう指示をだす。
するとやっと羞恥心を克服したミセラはなんとか立ち上がり、別の部屋から果物の甘い匂いを漂わせるパイを運んでくる。
「さあ、頂いて頂戴。このアップルパイはコーヒーに良く会うのよ」
パイを5等分に切り分け、各々に取り分けると、リナは話を続ける。
魔物との死闘。盗賊狩りの話を経てネリスとレイリアは本題に入る。
パイは既にエスカ以外全員食べ切っていたが、コーヒーにはリナとレイリア以外口をつけていない。
エスカはリナを警戒していた為食べ物には手を付けず、コーヒーも少しだけ舐めて顔をしかめた。ネリスは一口飲んで苦手だと申し訳なさそうにリナに断ったからだ。
「と、いう理由でエスカさんの腕を直す宛てが無いかと」
「なるほどねぇ、それは大変だったわね。そりゃ私にもあるわよ、直す方法くらい」
「師匠、本当なの!?」
水の『シングル』。治癒魔法を使えないはずのリナがさも当然と言い、それにミセラが顔を上げる。
自分の師匠の凄さを再確認し、エスカ達の力にもなれる。ミセラは歓喜の表情で言う。
「じゃあ、師匠、さっそく!」
「まあ、待ちなさいよミセラ。私だって面白い土産話を聞かせて貰ったわけだし、力になってあげるのもやぶさかじゃないけど。こんなに可愛い子が片腕で生活していかなきゃいけないって所に同情もあるけど。でも流石にタダというわけには行かないわよ、ね、エスカちゃん」
リナの視線が、エスカの右腕に注がれる。
エスカは怪訝そうに首を捻る。対人会話経験の少ないエスカには、リナが何を言いたいのか分からない。代わりににネリスが言う。
「お金、ですか?」
「まさか、そんなものに興味はないわ。それに金額で提示するのなら金貨150枚は掛かるわよ、払えるの?」
「いえ……」
「回りくどいな、何が言いたいんだよ?」
そこで、リナの要点を遅らせる話し方に痺れを切らしたエスカが発言する。
「あら、エスカちゃん。ようやく私と話してくれる気になってくれたのかしら?聞いてたより無口で残念に思っていたのよ。あなたとは一番お話したいと思っていたのだから」
「あー、わりぃな。なんつーか、あたしはお前みたいなのは苦手なんだ、何考えてんのかよく分かんねぇし」
「えっ……?」
正直なエスカの感想に、ショックを受けてリナの言葉は止まる。
「いや、なんか話し方が面倒くせぇ。何言ってるかもよく分からねぇし、てかよくこんな黒いの飲めるなー、舌どうなってんだよ」
グサリ、グサリとエスカの声が矢となってリナを貫く。
そう、エスカはリナが苦手だった。
会話という方法を使い慣れていないエスカには、曲がりなりにも貴族と相対し舌戦をしいられてきた、その為に相手のリズムを崩すように調整されているリナの話し方は酷く回りくどく、気持ちが悪いものに聞こえる。
ゴテゴテと飾り付けられていて、本心が見えないその話し方に、嫌悪感を覚える。
勿論、リナに敵意はなく、むしろエスカ達をもてなそうをしてくれているのは分かっているのだが。
エスカがどうしても婉曲的に会話を進めるリナに苦手意識を芽生えさせるのは、仕方のないことだった。
「あたしと話してえなら、何か言いてぇなら、もっとはっきり言えよ。あたしはあんまり頭良くねーから分かんねえんだよ」
直線的で、思ったことしか言わない未だ幼いエスカ。それは人として美徳であり、欠点でもあるのだが、今回はそれがたまたま良い方に作用した。
エスカの言葉に少し大きく目を開き、リナが素直に謝罪する。
「…そうね、ごめんなさい。貴族を相手に話し過ぎていたのかしらね、私が嫌いな彼らと、いつの間にか同族になっていたのかも。恥ずべきことね、ここは素直に謝らせて貰うわ。……コーヒーの件は別とさせて貰うけれど」
リナはティーカップを置き、一度頭を下げる。
背筋に一本の芯が通った礼は、その動作にすら美しさを感じさせるものだ。
「それじゃあ単刀直入に言わせてもらうけど、白亜の離宮。そこを調査する私の護衛をしてくれないかしら?報酬は治癒の宝珠によるエスカちゃんの腕の再生、指名依頼で難度はC~Bランクといった所よ」
難度Bランク。そう聞いて身構えるネリスやミセラと対象的に、エスカは笑う。
なんだよ、やりゃあ出来るじゃねーか。それならあたしにも理解できるぜ。
「実際、かなりの危険が伴うわ。あの遺跡では――――」
「いいぜ、任せろ」
続けて起き得る危険の説明を始めるリナを遮ってエスカは言う。
即答だった。
理由は、面白そうだから。
諦めたようにうんざりとした顔で、ネリスが「もうちょっと話を聞きましょうよ~」と愚痴っているが、反対は無い。
冒険者エスカの始めての依頼は、思いのほか高難易度となりそうだった。