ギルド
街を囲む城塞の一部、無骨な石造りの門をくぐる。
馬車の荷台から飛び降りたエスカが見たのは、押し寄せるほどの人の群れであった。あちらこちらで人が行きかい、何かを話し合っている。門からまっすぐ伸びる整備された石畳の大通りには、様々な屋台が出ており、店主や売り子が大声で客引きをしていた。客の奪い合いをしている彼らの目は、エスカ達の姿を見逃すはずもない。
「おーい、そこの可愛い赤髪の嬢ちゃん!、うちのランドスネークの串はどうだい、カリッカリまで焼き上げてあるからうめぇぞ?」
「あほ、あんな子がスネークなんて食べるかよ!嬢ちゃん、こっちのミルラビットのほうが柔らかくてうまいぞ」
「そこのちっこいエルフの子、あたしの所は甘い芋の焼き菓子だよー、サントムに来たなら名産の焼き菓子を一度は食べてきな!」
「それなら、こっちも————」
「俺んとこだって————」
滝のように浴びせかけられる言葉に、人混みに慣れないネリスはおどおどと首を縮め、好奇心の塊であるエスカは誘われるがままに踏み出そうとする足を、後ろからレイリアに引き止められる。フードを深めにかぶり直し、傍からは目立たなくなったレイリアの瞳には呆れが映っていた。
「なんだよ!」
焼けた芋の甘い香りや、数々の肉が焼ける食欲を掻き立てる匂いに、2時間ほど前に食事を済ませたことも忘れ、屋台を堪能しようとしていたエスカは声を荒げる。元、狼にとってお預けほど苦しいものはない。まあ、そもそもお預けされた事すらないのだが。
引き止められながらも、ウズウズと体を揺さぶるエスカにレイリアは。
「エスカ、あなたはお金を持っていないでしょう?あれらをどう買うのです」
と呆れ半分、怒り半分ほどの口調で叱責する。
目の前にあんなうまそうな物があるってのに、レイリアの奴まだ俺に恨みでもあんのかよ。くっそ、オカネ?オカネってなんだっけな、そういやネリスがなんか言ってたような……?
自分に興味の無いことはそこそこ聞き流しているエスカは、森を抜ける最中にネリスがなぜ食べられない素材を拾っていたのか、ここに至っては完全に忘れていた。
「……オカネってなんだよ?」
「はぁ…一度説明したでしょう。お金というのは人族に限らず、知能ある生物同士が物々交換の代わりに使えるよう、鉱石や金属などを加工したものです。このお金が無ければ、街では買い物をすることは出来ません」
「なんだ、前に人の街を落とした時はそんな物はいらな」
「そ、れ、は!あなたが不当な手段で奪ったからでしょう。一応言っておきますが、もしこの世界であなたがそんな事をしようとすれば、今度こそ永遠なる闇の中で、無限に続く無を味わって貰いますよ?」
「う、わ、悪かったって」
「大体あなたはですね————」
前の世界で自分が街に入ったとき、屋台の人間などあっという間に姿を消して、品物など食べ放題だったのでそう言いかけたエスカだが、底冷えのするようなレイリアの声音に素直に謝る。
無限に続く無って、なんだよ、怖えよ。あーあ、めっちゃ美味そうなのになあ、食べちゃいなけいのか…。くぅ。
お腹を押さえて涙目で落ち込むエスカの後を、馬車から降りたロウ達が追いついてくる。そこで俯き気味に屋台を見るエスカと、いつもより強い口調でエスカに説教をするレイリアをみて、ロウは大体何があったかを悟った。実際はロウの想像よりも斜め上なのだが、そんな事を知る由もないロウは、沈むエスカを宥める。
「まあまあ、レイリアさん。無駄遣いは確かにダメかもしれませんが、この街に初めて来たのなら見たことの無いものを食べたくなる気持ちも分かりますよ、なあ、エスカちゃん?」
「そ、そうだ。ちょっと目がいっただけじゃねーか!あんなに美味そうなんだから仕方ねえだろ」
ロウの加勢を得て、目の前の串焼きを諦め切れないエスカは、屋台を指さして抗議する。
「それは、そうかも知れませんが…」
「なら、ギルドへ行く前に少しだけ買っていきましょう。なに、お金は俺が出しますよ、盗賊からの分が無くても、正規の護衛報酬で懐はすぐに温まりますから」
「すみません、ロウさん。エスカの我が儘で」
「いえいえ」
そう言ってロウは懐から何枚かの銅貨を取り出し、屋台を回っていく。
数分後。ロウの手元には8本ほどの種類の違う串があった。満面の笑みでそれらを受け取るエスカは、すぐに腹に納めていこうとするが。そこでレイリアの叱責が再び掛かる。
「エスカ、お礼をきちんと言いなさい。それが礼儀というものです」
肉を貰ったのだから、礼を言うのは当然。何かを与えられたことが無く忘れていたが、この理屈に素直に納得できたエスカは、ロウにお礼を言う。
「ありがとな、ロウ。この恩は忘れねー!」
「ははは、そんなに大袈裟なものじゃないさ」
嬉しそうに食べ始めるエスカを見て、ロウも思わず笑顔になる。エスカほど可愛らしい子が銅貨の数枚で、これほどの笑顔を見せるのだ、ロウとしても奢るかいのあるというものだった。
やがて一行はギルドへと到着する。巨木の柱で頑丈に作られた入口に、冒険者ギルドのシンボルである、7つの宝玉を埋め込まれた杖と竜の牙から作られたと 言われる剣、その絵が描かれた皮の大盾が飾られている。初めて来たものに圧迫感と、そのような伝説級の武器への憧れを抱かせる盾の下を通り、エスカ達は中に入る。
外からみると頑丈な白石作りの建物だったが、内部は光沢のある木貼りの床に、磨かれた大理石の柱が天井に向かって伸びる、一流の宿のようでもあった。
天井のガラスからは夕刻の赤い日差しが降り注ぐ。壁に設置されている魔法灯はまだ光を放ってはいないが、もう少し暗くなるとつくのだろう。右側カウンターで は幾人かの皮鎧や剣を装備した人間が、大袋を持って並び、受付嬢の案内で奥へ通されている。
左側の空間は酒場となっているのか、並々と黄色い液体を注がれ た杯を片手に、軽食を撮む無骨な冒険者達の姿がる。キョロキョロと初めて入る人族の建物を、興味深く見回すエスカだったが、そこでこちらに気づいた酒場の男達の一人が、ロウにやじを飛ばす。
「おいおいおい、なんだぁ、ロウ!お前んとこは護衛だって聞いてたが、子守りの間違いだったのかよ、それであの報酬だったてなら、俺らも受けとくべきだったなあ!」
「ほんとだぜ、あんな可愛い子と旅が出来たってんならなあ!で、もうやっちまったのか?」
「ぎゃははは、ありゃあガキじゃねーか。おい、嬢ちゃん、もう2、3年したらこのダイナス様が抱いてやるぞ?」
少女のようなエスカと、さらに幼いネリスをみて男達はゲラゲラと笑う。その顔は紅潮して、かなり酔いの回っていることが分かる。
あからさまな嘲りに、ネリスはムッとして近寄ろうとしたが、その頭をポンと、タイナーに止められる。
「ほら、無視しとけネリスちゃん。あんな酔っ払いの言う事をいちいち相手にしてたらキリがねーよ。構ったら構うだけ喜ばれるだけだぜ?」
「でも、タイナーさん……」
「エスカちゃんを見てみろって、微塵も気にしてねーだろ?、エルフ族じゃ違うのかもしれないが、酔った奴のいう事なんて間に受けないに限るぜ」
ネリスの視線の先には、男達からの嘲笑が聞こえていないとでもいう風に、先ほどと変わらず建物内を見回すエスカがいた。短気だと思っていたエスカの意外な反応に、ネリスは自分の方が過敏になり過ぎていたのだと気持ちを改める。
冒険者用のカウンターで、護衛報酬を受け取るロウ達に続き、エスカ達もカウンターに向かう。
要件は魔物の素材買取だ。手元に碌にお金がなく、今晩の宿すら取れない今、早めにして置かなければならないことだったのだが。
「当ギルドでは冒険者以外の方から、素材の買取を行っておりません。冒険者登録後でしたら、買取を行えますが、どうされますか?登録料金はお一人銅貨5枚となります」
栗色の髪を三つ編みにくくった、地味だが仕事の出来る雰囲気の受付嬢の言葉に三人は顔を見合わせる。素材を売ればお金が出来ると思っていただけに、そも そも売れないという事態を想像していなかったからだ。誰か一人でも登録できれば解決なのだが、残念ながら今の手持ちはネリスが銅貨を2枚ほど持っているだ けだった。
「あの、先に買取をして貰って、そこから登録料を引けませんか?」
「すみませんが、規則なのでそういった事は出来ません。買取した素材が登録料以下であったり、他にもいくつかギルド側の損失になるケースがありましたので。登録、買取等の取引は厳格な規則に基づいて行われています」
ネリスの頭を使った交渉だったが、受付嬢に断られ、三人は頭を悩ます。正確には悩んでいるのは二人だが。エスカは、まあ何とかなるだろ、とお気楽なものだ。
「なら、俺が出しますよ。後で返して頂けるなら問題もないし、なあ?」
「そうね、明日には盗賊の討伐も渡せるし、そこから引いても十分だし」
「だな、異論なし!」
「うむ、問題なかろう」
四人は口々に賛成し、ロウはとりあえすエスカの分という事で銅貨を受付嬢に渡す。
そこで、後ろの男達から一際大きな哄笑が広がった。
「おいおい、ロウの奴マジかよ!あんなガキを冒険者にしてどうするつもりだ、は、はははは、笑い死ぬわ、あははははは」
「荷物持ちとしてもひ、ひ弱すぎだろっ、もしかして惚れてるんじゃねーの?」
「ぎゃははははは、こりゃあちょっとロウの愛しの嬢ちゃんに挨拶でもしとくか」
「そりゃいいぜダイナス」
「面白れえぞ、やったれや」
のっそりとした動作で、ダイナスと呼ばれた大柄の男がエスカに近寄っていく。
武器は飲みの席においてあるが、ロウよりも腕は上だと自負しているダイナスは広い歩幅で威圧するように歩きエスカの肩に太い指を掛ける。
ロウが腕をつかんで怒鳴ってくるが、倍近い体重のあるダイナスを止めるには至らない。肩を引かれ、エスカがダイナスに振り返る。
(ほう、こりゃあ思ったより、そそるなぁ)
振り返るエスカの顔を間近でみて、ダイナスは舌なめずりをする。絹で出来たかのように、にさらさらと揺れる赤髪。吸い込まれるような真紅の瞳に、淡い桜 色の小さな唇。胸はまだ大きくはないが、数年で成長する可能性は十分だ。
思いの他の上玉に、ダイナスは自分の欲望が膨らむのが分かる。当初はちょっと威圧してやるだけにしようと思っていたが、その欲望に従って少女の唇を奪うことに決めた。なんなら後でロウから買い取ってやろう、そう考え酒臭い自分の口を、少女の唇に近づける。
その瞬間、ダイナスの世界が反転した。
汚い欲望を露わにして迫るダイナスの足をエスカが払い、転倒させたのだ。ダイナスの踏み出しに合わせて出されたエスカの足に、酔いが回り反応が遅れたダイナスはあっさりと掛かり、床に肩を打ち付けてエスカを睨む。
少女にダイナスを見て、酒場の方から笑い声があがる。見世物になったのは自分、そう気づき羞恥と怒りで顔を真っ赤にしたダイナスは、すぐに起き上がってエスカに掴みかかる。
「てめぇ!」
太い腕を使った力任せの掴みだったが、エスカはそれをするりと交わして獰猛に笑う。
「なんだ、お前、あたしの敵だったのかよ。殺意も敵意も鈍いのによく鳴くから、出産中の草食動物かと思ってたぜ」
「あんだと!?、女だからって手を出されねぇと思ってじゃねぇ!」
エスカの言葉を挑発と受け取った男は、渾身の力で殴り掛かるが、速度と重さの乗った拳はエスカに掠りすらせず、そのまま勢いのまま手首を取られて投げられる。バランスの乱れをついた、重量差を感じさせない投げ。男は気持ちの悪い浮遊感の後、背中から床に叩き落とされた。
「がはっ、てめえ、こんな…がっ!?」
「うるせーなぁ、まだ鳴くのか」
仰向けになった男の喉を踏みつけ、エスカは腰の革帯からナイフを引き抜く。
その場に至り、やっと危機を認識して顔面を蒼白にした男は、叫び声を出そうとするが喉を踏みつけられて声が出せない。
エスカが男を殺そうとしていることに気づき、流石に『竜の咆哮』の面々からエスカを止めようと声が掛かるが、もう戦闘状態に入ったエスカには雑音は届かない。
脂汗を吹き出し、パクパクと餌を求める魚の様に口を開閉する男を一瞥して、エスカはナイフを眉間の真ん中に投擲した。